青山透子公式サイト 日航123便墜落の真相

日航123便墜落事件の真相を追究するー歴史的裁判開始の幕開け

非科学的な発想を許してはならない

世間では今、科学的思考でものを考える重要性を訴えている。

フクシマの汚染水問題もそうだが、先日プリゴジン氏を乗せて墜落したブラジル製のエンブラエルジェット機における事故調査は、ブラジルの要請にもかかわらずロシアが国際ルールに従わないで、事故原因の調査を行わないそうである。民間人を乗せた旅客機の墜落原因の調査をしないなど、どれほど異常な事態か誰もがわかるはずだ。

当然のことながら再発防止のために、事故原因を詳細に調査しなければならない。しかしながら世界中どの国も、政治をする側の人間は、特に軍事が絡むと腰が引ける。その隠蔽にはすさまじいほどの巨額の金銭が絡む。それに伴って荒唐無稽な発想も加わり、世間に混乱を招く。

例えば、「物事をよく知らない」、「情報を与えられていない」一般人なら多少は許されることもあるが、この日航123便は、群馬県警日航機事故対策本部長の肩書のある河村一男氏がフェイクを語り、藤原洋次席事故調査官が、マスコミ向けに、黒板に書かれた圧力隔壁を指さして説明をした。この藤原氏は今もなおNHKに圧力隔壁を強調する発言をしていた。当時もまるでそれが正解であるように話をした。しかし、真っ赤なウソだった。

 

それから28年を経た2013年、垂直尾翼に異常な外力が着力」したことが墜落原因であると、公開された公文書から私たちは知った。それでもなお、情報量の乏しい元パイロット、特に杉江弘は、知ってか知らずか、一方的に私の本で記したエビデンスを否定して、異なる墜落原因の指摘を手前勝手に非難した。

事故時の高木養根日航社長の後に代表取締役社長となった運輸省からの天下りの山路進は、吉備さんら遺族の前で「相模湾に沈んだ残骸は引き上げない。必要がない」と断言した。

つまり、私たちは専門家の発言や加害企業の社長の発言ですら、すべて正しいと錯覚する。本人たちの語りの裏側にどんな卑劣な思惑があるか、などとは、当時は夢にも思わなかった。素直に受け入れた結果、バカを見たようなものである。

それがこの日航123便事件である。

さて、まるでひっかけ問題のような低レベルのカラクリの一例を紹介する。これは、専門知識がなくても、小学生でも簡単にわかることである。

 

 

頑強のジャンボ機の第四番目のエンジンが衝突したとされる木の実物写真(一本カラ松)

 

この木の先端に、ジャンボ機の7トンほどある第四エンジンがぶつかり、取れて外れた。そして、森林の中に落ちたので木っ端みじんにバラバラになった。(河村一男著「日航機墜落」から抜粋)

●事故調査報告書の第四エンジンのバラバラ図

 

 

この本で河村氏は、事故調査報告書の一部を上記のように図解で解説をしてくれている。「ジャンボ機のエンジンが木に衝突して外れたので、バラバラの木っ端みじんになったのである」。これが非科学的な内容だと誰もがわかるだろう。

皆さんの大笑いの声が聞こえる。

ちなみに、ジャンボ機のエンジンは4つあり、一つ7トンほどある最も頑強な物体である。それがなぜ木(先端の細い部分)に当たって、しかも、木の側が折れている(力学的に木が負けている)にもかかわらずエンジン側が落ちて、その結果、細かく粉々になって砕け散るのか?

例えば、7トントラックが木の電柱に衝突したとき、電柱は折れるが、トラックが木っ端みじん(細部にわたってバラバラ)になり、跡形もなくなり、その破片が広範囲で細切れ状態で飛び散るわけがない。こういえば、小学生でもわかるだろう。ちなみに、他の3つのエンジンは山の岩斜面に激突してもその原型は留めていた。

なぜか、第四エンジンだけが木っ端みじん、なのである。私たちはこの事実を重く受け止めなければならない。

日航安全啓発センターにおいて、河村氏同様に非科学的な内容語り部(と称するJAL宣伝担当宴会部長)が、永遠と言い伝えていくことを許してはならない。

この場所はJALの新入社員への洗脳機関ともいえるが、その被害は、ここを訪れる一般人、他企業にも及ぶ。どこかの国と同じで、実に恐ろしいことである。

これほど明らかな事実を無視し、圧力隔壁を指さして都合よく改変して言い続ける「洗脳語り部」の仕事をする社員(元社員)たちは、世間を欺き続けていることになる。

この事件について、私たちは科学的思考を取り戻さなければ、いつまでたってもこういった悪意がはびこることにもなる。

 

事故調査報告書に名前を記された専門家の方々の名誉を守ることなど、521人の命と引き換えにすべきではない。

 

追記

当時、「後部圧力隔壁ではない、別の原因がある」と異論を唱えた本を出版した方々に対して、この河村一男氏が即座に批判(一部は新聞広告を利用)して警察組織を盾に圧力をかけ、執筆活動が妨害されたと聞いた。多額の金銭を提示された人もいるという。

また、私の本がベストセラーとなった後、群馬県上野村近隣の駐在所にいたという元警察官から、日誌のようなものが送られてきたこともあった。そこには、「上野村村民は誰も日航機事件を目撃していない」というようなことも書いてあった。一体それで何を証明したかったのか、いまもわからないが、目撃証言を否定するために作成したものだといえよう。

なお、いまだにこういう元警察官もいれば、当時はまだ墜落原因に疑問を持つ遺族の味方になってくれた警察官もいたそうだ。そういう警察関係者は「第二の職場が焼き鳥屋のおっちゃんになってもいい」と言って、親身になってくれたと聞いた。

 

現在、上野村慰霊の園で長年展示されていた上野村小学校文集「小さな目はみた」が裁判開始後に撤去されたと聞く。今年もまったくその文集が見当たらない。

また、日航安全啓発センターでも、以前は展示していたこの文集を、いつのまにかこっそりと書庫に隠してしまった。不都合なことを隠すのは止めるべきだ。

小学生、中学生の文集を隠すことは、世の中で範を示す大人の行為ではない。

上野村も独立した精神を持たなければ、その地で墜落死した521人が浮かばれない。

これは自分たち村民の心意気や過去を否定することにもなるのだから。

あったことをなかったことにしてはならない。