青山透子公式サイト 日航123便墜落の真相

日航123便墜落事件の真相を追究するー歴史的裁判開始の幕開け

機長の制服行方不明事件と遺物は何を語るのか

ー遺体の声を聴くー

先の戦争のみならず、現在進行中の戦争ニュースが世界中を飛び交う今、

戦争の悲惨さを伝えるためには、その現場の映像は欠かせない。

軽々しく権力者が口にする核戦争の破滅的な状況を伝えるためには、どうしてもヒロシマの惨状や被爆直後の死体状況、そして長年苦しむ被爆が人の体に及ぼす影響を語らなければならない。どの国も戦争へ向かうことを危惧するが、そのためにはあらゆる情報を封じてはならず、そうしなければ世間に戦争への恐怖心、核兵器の恐ろしさは伝わらない。

それは、38年前に起きた日航123便墜落事件の遺体状況を知る必要があるのと同じである。

上の写真は、私がインタビューをした土肥福子検死医師の表情が物語るほど、凄惨な遺体写真である。御棺に入れる前、手前の看護師の足元にある黒炭のコロコロしたものはすべて離断遺体である。同じ写真が2010年の新聞に掲載されている。

しかしながら、新聞報道では黒炭の離断遺体部分は削除しており、ただ福子医師の呆然とした顔が協調されているだけである。さすがに黒炭遺体の部分は言葉のみで写真で報道できなかったのだと推察する。

私が、検死医師から「再びこういった惨事が起きないように、未来のためにも客観的に分析をしてください」と検死報告書を託され、さらに群馬県警察本部が作成した赤い表紙の「100遺体事例集」を手にしたとき、人とは思えない遺体のあまりのむごい凄惨な状態に、しばらくは直視することは出来なかった。

その際、検死医師が私に語ったのは、「検死の結果で遺体で気になる点は、二度焼かれていることである」ということと、「高浜機長の制服がまったく発見されず、安置所にも出てこなかった。山から降ろされるとき、自衛隊員らにヘリで運ばれてくる途中に、はぎとられたとしか思えない」という大きな疑問であった。そして、「これは極めて遺憾だ」といった。それは、現場で何等かの人道を外れた違法行為(犯罪行為)が行われた痕跡が、乗客乗員の遺体に見受けられる、ということである。そして、それに対する強い怒りの言葉であった。

 

この群馬県警察本部が作成した「日航機墜落事故事件ー身元確認100事例集」は、表題が「事故」のみならず「事件」と並べて記されている。

つまり、「事故と言い切れず、事件である可能性が否定できないからだ」と当時の警察関係者にお聞きした。実際に両方書いてあることがそれを物語る。

その中に、「真っ黒にこげた遺体」という付箋がつけられたページがあった。

この遺体は、かろうじて形は留めているものの、夏山の湿度75%(上野村は連日夕立がすごく、土の上は湿っていた)にもかかわらず、裏も(土に接していた面も)表も丸焦げ状態でカリカリとなっており、検死医師が手に取るとポロリと落ちるほどであったという。

この遺体状況はあきらかにおかしい、という疑問が当時の検死医師から指摘されたものである。

なお、これらすべては「遺物は真相を語る」に掲載している。その詳細は101ページから書いているので、遺体の叫び声を感じてじっくり読んでほしい。

私がここに掲載する決心をした理由は次の通りである。

まず、当時の官僚や官邸は、520人の死亡事故として、単に同数の520人分のお棺を用意すればいいと思っていた程度であったと知ったからだ。

そして、この遺体の惨状や実情も知らず、日本航空の高木養根社長(当時)は全く現場に行かず、当然遺体も見ていない。関係省庁の官僚も遺体安置所には行っていない。仕方がなく来たという感じのトップの人間たちは、あまりの異臭や悪臭にほんの数分でさっさと帰ったそうだ。そして中曽根康弘首相(当時)は、隣の軽井沢町で、事故発生時に一度も現場に来ずに、取り巻きマスコミと一緒に夏休みと称して遊び惚けていたという事実。

世間はこの遺体状況も知らないまま、マスコミは「圧力隔壁破壊が原因」と言い続けた。その弊害は「墜落原因の隠蔽」という形で現れた。

今回、裁判の原告となった吉備素子さんは、この遺体を一つひとつ手に取って夫を探した。4か月もの長い間多くの遺体を見続けてきた唯一の遺族である。その吉備さんが裁判をしているのは大きな意味がある。

しかし、裁判報道は上毛新聞を除き、大手全国誌は紙面での扱いは小さな記事であった。特に一切、この裁判報道をしないのは日本経済新聞である。明らかに日本航空の株価に影響するとの思惑だからだろう。

NHKは、国民のための報道機関であれば、裁判を行ってる吉備さんにインタビューをしてしかるべきにもかかわらずアプローチすらしてこない。

その代わり、JALの当時のグランドホステスと呼ばれた(地方や地区ごとの採用枠)地上サービス職から安全啓発センターの語り部になった日航社員にインタビューをしたのである。語り部伊藤由美子氏は、この写真集を見たこともないだろう。当時の遺体状況も知らずに、墜落原因の嘘の内容を流布する役割を得て、それを定年延長の条件としているようなJAL側の人間であり、その人に何をいまさら聞く必要があるのだろうか。

その記事は昨日ネットニュースに出たそうだが、「まるで正当なことを言っているようにみせるために、わざわざ本棚の前で話す姿を撮影させるなど、ご本人はどこかの教授が語っていると勘違いさせたいのか、そう思わせたいのかかわからないが、この安全啓発センターの語り部は、いくら質問をしても、みな圧力隔壁説を強調するので、それを流布する役割を担っているのだろう」という声も届いた。テレビにも出たらしいが、圧力隔壁当たりを指さして話をしていたらしい。明らかに意図が見え見えであったそうだ。伊藤さんのような語り部の人は、そんな自分に嫌気がささないのだろうか。

私たちは、このJAL安全啓発センターの語り部と、いわゆる戦争の語り部が、同じだと勘違いしてはならない。このJAL社員の語り部たちは、JAL側の「広報宣伝部長(実際の部長ではなく宴会部長のようなもの)」の役割をしているのである。

NHKはそれを知っていてインタビューしたのか?

JAL側の人間の、しかも偽りの原因を流布する役割の人間の言い訳をニュースで流したのである。単なる地上サービス職の伊藤由美子氏が、いかにもJALを代表して反省しているがごとくのまったく意味のない記事であったが、これならば、情報開示裁判について、直接JALの赤坂社長にインタビューをすべきだ。

このNHK記事ように、やらせ語り部を正当化し、いつも同じ遺族(遺族の代弁者のように見せる)を出して、JALの反省の態度をほめて、ただ悲しみだけを伝える記事を出すことにどういった価値があるのだろうか。風化防止にしてはJALにおもねりすぎる。NHKの記者たちはJALに加担してまで、何を隠したいのだろうか。

NHKの役割は何なのだろうか。

NHKに期待するほうが無理なのだと読者から多くの手紙をいただくが、戦争の責任問題を追究する番組やヒロシマの惨状の番組は制作できても、今まさに起きているJAL裁判の報道や吉備さんを取り上げることすらできないのであれば、先の戦争に加担した報道と同様ではないか。報道の矜持はもはや存在しないのだろうか。

38年間、一体彼らは何をやってきたのか。今こそもっとも重要な報道は、JAL裁判の報道であろうが、それを一切無視をする理由は何かを逆に聞いてみたい。

メディアは8月12日に特集を組んで「JALが裁判で遺族と戦う」ことの矛盾点を伝えるべきである。さらに、「現在、最高裁に上告中であるが、38年という通常の開示請求でオープンする時期をとっくに過ぎているにもかかわらず、日航は123便の生データのかたくなに開示せず、しかも裁判所の判断が、これもまた矛盾だらけの不当判決である」という事実を伝えるべきである。それにもかかわらず、報道でなぜ伝えないのか。その立ち位置はどこにあるのだろうか。

38年も経て、いまだに情報開示をしない理由は何か。

「異常外力の着力点」は何かを報道しない理由は何か。

いまだにこれが報道できないのであれば、報道に携わる記者たちのモチベーションとポテンシャルはどんどん下がっていくだけであって、その結果、日本は劣悪な報道人ばかりとなる。まるでどこかの国と同じではないだろうか。これは嫌味でも何でもなく、客観的な事実である。

私が最初の本を書いたとき、ある教授の紹介で品川のホテルでお会いしたNHKのC.M氏は東大卒の女性で、いまはもうずいぶんと出世されていると思うが、真剣に話を聞いてくれた。私と同じ大卒入社したあの頃は、男女雇用均等法の先駆けとして女性が幹部候補生として入社したばかりの時代であった。

しかし彼女からその後、しばらく連絡がなかった。最後に彼女から来たメールには「自分の家族が入院して?介護しなければならない~」などという、およそ仕事のメールとは思えないほどおかしなメールであり、プライベートな理由ばかり書いてあった。

あの頃は、日航安全啓発センターが出来上がって、倒産への道をまっしぐらだったが、そのJALの内部の様子や、JAL倒産前の数々の情報も取り上げてくれることはなかった。倒産後、「青山さんの言った通りになりましたね」というメールが、紹介してくれた教授と私に届いたが、さすがに報道人らしからぬその無責任さには、教授とともに呆れてしまったのを思い出す。

従って、マスコミが「まさかJALが倒産するわけがない」として報道しなかったため、いきなり倒産したので、急激に坂道を転げ落ちるように株価がゼロ円となって大金を失った一般株主も多く、会社更生法適用の際に多額の税金を投入する大変な事態となったのである。

もし今、当時の中曽根首相とともに墜落現場の隣の軽井沢で、現場に行かずに遊んでいたマスコミ関係者がご存命ならば、また、C.M.氏のように日航機事件を取り上げることが出来なかった人たちがあの頃の自分を反省するならば、今こそ、逆に当時果たせなかった分も含め、志のある人を擁護すべきだろう。吉備素子さんを応援すべきだろう。それは、マスコミという仕事を選んできた最後のプライドであろう。後輩の記者たちには、これだけ隠蔽を重ねているJAL側におもねった作為的な記事を書かせてはならない。

8月12日に無念の死を遂げた521人(胎児も含む)のためにも、当たり前に事実を見つめてまっとうな報道ができる日が来ることを、私は心から待っている。 青山透子

 

 

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管理人です。

今週発売の文庫本【日航123便墜落-遺物は真相を語る】は、絶賛発売中です。

吉備さんは引き続き弁護団とともに最高裁判所へ上告中ですが、この本の資料も重要証拠となって入っています。

また、高浜機長の制服行方不明事件に関する土肥福子医師へのインタビューも入っています。なぜ行方不明となったのか、深く考えてみてください。

特に文庫版「はじめに」と「おわりに」をお読みいただけますと、今までの経緯がわかります。皆さんの心からの応援とご賛同を糧にこれからも真相究明に頑張っていきますので、ぜひよろしくお願いします!

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