38年目の夏が来る。例年にないほどの猛暑である。
さて、東京地裁と東京高裁の裁判過程で明らかになった事実は「異常外力の着力点」の存在である。
上の緑色の表紙は、1987年当時、まだ多くのご遺族が墜落原因に疑問を持っていた時の8・12連絡会/事故究明部会が作成した冊子である。しかしその後、JAL側の懐柔作戦と遺族分断作戦により、真実への追及が困難となってしまった。
下の図(付録6付図1)は、運輸省外局事故調査委員会(当時)が作成した研究付録の116ページである(手書き英語を加筆)。これはすべて裁判資料として提出している。
つまり、この通り、日航123便は、垂直尾翼に着力(着弾)した異常な外力が墜落原因となったのである。
いまだに「後部圧力隔壁説」を唱えている人はやめたほうがよい。自分の無知が表に出てしまうからである。せめて東京地裁、東京高裁の裁判記録を読んでから、ツイートなりなんなりしないと、公のネット上で恥をかくことになる。その悪例が、西日本新聞の記事「隔壁検査急いでいれば(2022年8月12日掲載)署名:野間あり葉」である。元事故調査委員の斎藤孝一氏(当時は事故調査の予備知識もなかったとご本人が述べている)も、その後「ミスター隔壁」などと持ち上げられての発言だろうが、こういった誤情報で勉強不足の記事を書いてはならない(JAL裁判、269ページに詳細明記・参照)。もしや、プロパガンダのつもりだったのだとすれば、あまりにお粗末であった。
話を戻すと、2013年に公表された事故調査報告書の研究資料・別冊によれば、その着力と同時に11トンの力が垂直尾翼に前向外力(95ページ)で加わり、同時に爆発音、とある。その記録もフライトレーダーに記されており、すべてが合致する。(該当記述掲載95ページ、101ページ・事故調査報告書(本体)にも79ページに書いてある)
11トンの力を持って垂直尾翼に異常な外力で着力したもの、それはなにか。
機体自体は崩壊せず、着力した(当たった)部分から垂直尾翼が徐々に破壊されていったのが別冊研究資料からよくわかる。「圧力隔壁説をくつがえす」78ページ~81ページに、別冊を引用してわかりやすく図解したものを掲載している。
それをもたらすものは何か。つまり、炸薬なしの軍用「飛翔体」となる。
そして30分間もの間、高浜機長以下パイロットたちは不時着地を探していた。すでに、横田基地は緊急着陸OKが出ていた。(基地従業員並びに週刊誌取材証言あり)。しかし、高浜機長が目指したのはそこではなく、長野県のレタス畑であった。
一度はトライしたが住民がいたので警告のために低空飛行をしたが、二度目に着陸するその手前の山中で、いきなり第四エンジンが「別の外力(これは追尾していたファントム機が発射したものと思われる)」で破壊されて、第四エンジンは、木っ端みじんとなってしまった。そのエンジンがバラバラになった残骸付近、つまりU字構付近を即時に封鎖してマスコミの立ち入りを禁じたのはそのためである。当時現場に行ったマスコミの証言もある。そこには、第四エンジンの木っ端みじんの破片に交じって「飛翔体」の破片があったからだ。JAL整備士たちが夜中に現場に到着して、ジャンボ機の破片か、それ以外の物体の破片かを仕分けさせられた(証言あり)。
そして箝口令(口止め)が敷かれた。
結局、日航123便は、垂直尾翼に異常な外力が着力したことが墜落原因となり、中曽根康弘首相の選挙区の群馬県上野村の山に墜落した。その日の夜(号外が出せる時間)には墜落場所も特定されていた(JAL裁判、285ページ・信濃毎日新聞号外に墜落現場は上野村と明記されていた)。
それにもかかわらず、不明と偽って世間をだまし、一部の報道機関はそれを鵜呑みにして、結果的にはこともあろうに、自衛隊による隠蔽工作の時間を与えてしまったのである。なお、米軍説もあるが、その場合、防衛庁は(自衛隊員に隠蔽作戦の命令をした人間は)もっとたちが悪かったことになる。自衛隊が自国民のいのちを優先せずに米軍に協力したことになるからだ。なお、誰とは言わないが、娘を米軍人の嫁にやって、現在ハワイ在住の有名な自衛隊幹部もいる、とのことである。
生存者は100名近くいたが(検死医師の証言)、中曽根康弘の首相の地位と関係省庁組織の隠蔽が先となって「いのち」よりも「組織」が優先された。
これらの客観的事実に対して、裁判では多くの資料を提出したが、一切JAL側は反論もせず、無言をつらぬいた。しかし、事実は事実である。そこに異論はなかったのだろう。反論の余地すらないのか、無視をした。
原告の一人、市原和子さんを熊本市内の老人ホームに隔離して、住所も記載していない取り下げ書をだれが作成したのか、訴訟取り下げの書類がJAL側弁護士の書面と同時に、なぜか裁判所に直送されてきた。その老人ホームの事務局長は元JAL客室乗務員であった。その熊本一区選挙区も彼女と同姓の衆議院議員がいて、それもまた元JALの社員(秘書もJAL社員)であった。
これらは吉備さんの訴訟仲間の市原さんの思いを無にし、著しく傷つける行為であった。元JALの社員たちは、自分たちのした犯罪行為を深く反省するか、どうしても言い訳をしたいのならば、堂々と裁判で語るべきだろう。
裁判官も諸々の事実を知り、うろたえたのだろう。政府が味方をしたのかわからないが、地裁、高裁と明らかに裁判長の訴訟指揮が乱れた。そして地裁、高裁もあまりにお粗末な不当判決となった。
ここで、皆さんとその外力とは何かについて考えてみる。
(1985年当時のミサイル開発について「墜落の新事実」165ページから170ページ・「遺物は真相を語る」20ページから28ページを参照)
いろいろな推論が飛び交っているが、当時の報道から「異常外力の着力点」をもたらした「飛翔体」について、この物体の候補が浮き上がってきた。
以下の写真は、拙著「JAL裁判」でも掲載したものである。
朝日グラフ「1985年8月30日緊急増大号」で報道された中で、その飛翔体候補の写真が掲載されていた。これらは目撃情報と合致する色であり、また大学研究機関で分析をした形と同じである。
色に着目すると、異常外力の着力点をもたらした飛翔体の一つと推定される。
当時の新聞報道では、陸自のSSM-1(88式地対艦誘導弾)開発テスト中であった。
いずれにしても、この色の軍用飛翔体であることは間違いない。
当時の目撃者たちは「オレンジ」とか「朱色」といった証言だったが、私はどちらなのだろうとずっと疑問に思っていた。しかし、この写真で納得したのである。なるほど、二色塗だったのだ。
これが日航機の付近をウロウロと飛行し、さらに焼津沖で機体と一緒に飛行しているのを目撃されて、上野村の村民にもはっきりと目撃されていた。
上記のような飛翔体については、1985年当時のミサイル開発について「墜落の新事実」165ページから170ページに記した。さらに前日まで防衛庁が発表していた当時の開発状況については「遺物は真相を語る」20ページから28ページを参照していただきたい。
さて、なぜ当時、全員を不起訴として、520人の墜落死の責任をだれもとらなかったのだろうか。
政府の圧力、防衛庁や運輸省の失態といった人的ミスをカバーしたい人たちと自分の地位を確保したい人の私利私欲もあろうが、そればかりではない。
まず、当時の世相から、自衛隊の誤射が明らかになれば自衛隊に厳しい結論が予想された。ちなみに、現在自衛隊への印象は東日本大震災以降、当時とはくらべものにならないほど良い印象である。しかし、これは「良し悪し」といった問題ではない。災害派遣での良い印象と、1985年の隠蔽は、まったく別の話であって、切り離さなければならない。米軍への印象もそうである。1985年当時は冷戦時代であるが平時である。米軍は少なくとも8月12日の晩に、急いで医師も載せて救助に向かっており、ヘリも出している。しかし、日本の自衛隊はその日の晩、一切の救助をしなかった。現場に到着していた自衛隊員は多かった。それにもかかわらずだ。これは揺るぎのない事実である。
「上官の命令で仕方がなかった、間違いだった」として反省するならば、その事実を認めて深く謝罪すべきであり、その結果については国民が判断すべきことである。
裁判長も先走って、勝手に考えて、恐れる必要などない。
さて、そこで日航が冤罪にもかかわらず、自衛隊をかばう疑問が浮上する。
なお、私がJALをかばっているから自衛隊誤射という違う説を言っている、とわざわざ手紙をくれた人もいたが、それは論外である。むしろ、古巣の隠蔽を正すのは当時を知る元社員の役割であろうし、私は研究者として事実を客観的に見ているのである。
JALがどうしても隠蔽したかった理由。そのヒントは次にある。
裁判開始以降、こちら側の弁護団、応援のユーチューバー、墜落原因に疑問を持つご遺族、青山透子に対する悪質な誹謗中傷の発信者を調査したところ、元運輸省関係者、元自衛官(予備自衛官)、元日本航空社員が多数を占めていた。普通、このメンバーがそこまでする理由は、自分たちの汚点と疚しさからくるものである。
さらに、内部情報者からの手紙によると、(一部抜粋)
「現在の植木会長がマスコミ対策の音頭取りをしている。JALが真相を隠し通す理由は、当時高木社長にも秘密にしていたことがあったから。つまり予備自衛官のパイロットによる古巣への協力体制があったこと、自衛隊出身の高浜雅巳機長(日航123便機長)の関与が示唆されるような言葉、墜落の際に何等かの言葉を発していた。ボイスレコーダーによって、これらが表に出て明らかになることを阻止することであろうと、当時の経営関係者から聞いた。1985年8月12日、公共交通機関を利用する人たちを危険にさらす行為であったのだろうと思うとぞっとする。
市原和子さんの「自分の弟が操縦した飛行機で墜落死した乗客への贖罪から吉備さんの力になりたい」という崇高な考えは、高浜機長の遺族やJALの幹部にはないらしい。」
ここで浮き彫りになってきたのは、予備自衛官と自衛隊の秘密裡に行われた標的訓練説である。
JALは520の命と何を取引したのか、マスコミ対策もふくめ、遺族や関係者への数々の違法行為は、大企業の優越的地位を利用した閉鎖的な思考がもたらす、本当に愚かな行為である。
最後に、原告の吉備さんの言葉を伝える。