青山透子公式サイト 日航123便墜落の真相

日航123便墜落事件の真相を追究するー歴史的裁判開始の幕開け

告発文第二弾 防衛庁関係者

告発文第二弾をお届けします。この方々(複数証言)は、いろいろと多方面に便宜を図る日航と親しかった様子です。

*****

防衛庁関係者です。裁判のことを知り、情報収集や関係省庁への連絡や調整で見聞きしたことをご遺族にどうしても伝えたく思った次第です。中曾根首相は、日航機墜落事故後にすぐ防衛庁の事務方職員を増員しました。その理由は、制服組への著しい不信感と疑念からでした。その小さな新聞記事を取り上げた青山氏の本の通りです。

歴代総理陸上自衛隊朝霞駐屯地(東京都練馬区等)で行われた観閲式に総理が出席した際には手厚くもてなし、男心をくすぐるような演出で戦車に乗らせるのも計画のうちでした。あの女性防衛大臣の時はいろいろと困った、と聞きました。岸田総理も部隊視察で10式戦車に乗ってご満悦だったのは記憶に新しいと思われます。総理との会話では、自分たちがいかに体を張って国を守るという気高い精神であるかを強調しますが、本来は常日頃、任務最優先であって、国民の命(いのち)についてはその次であることを一切言いません。

  • 墜落に至るまでの全ての状況を整理します。

事実関係

自衛艦「まつゆき」は公試のため相模湾にあった。併せて行う高速飛行する敵大型爆撃機を迎撃する想定訓練において、開発中の長射程誘導弾援用型を試行のため、日航123便を仮想標的とする。二発の炸薬の無い模擬ミサイルが発射されたが、停止(破壊)コマンドに反応せず日航機に向かい、一発がその垂直尾翼に命中し、垂直尾翼の一部を破壊した。(一発は追尾後に上野村山中に落下)命中箇所については、事故調報告書、並びに事故調査研究資料別冊に記されている。

 

経緯

日航123便は羽田離陸後、熱海大島上空で海上自衛隊の模擬ミサイルの衝突(1撃目)を垂直尾翼の右面に受け、羽田に帰る選択をする。右回りが近く機長も右に着座ゆえ、視界確保のため右回りを選択したと考えられる。この時に客室から一瞬のエアー抜けはあったと思われるが、異常減圧は無い。駿河湾上空で3000ft程に降下、焼津から陸に入る。着弾からほんの暫くはハイドロ(油)残圧があったであろうが、操縦機能を失いコントロールはできない。

 

富士山を回りこみ大月上空に至る。真東の羽田(約40nm=74㎞先)へ向かい始めるが、八王子上空にて前方の東京大都市部上空を横切ることを躊躇。左手直ぐの横田着陸を決め、高度を下げつつ約270度右旋回(ループを描く)、追風北向き(R36)にアプローチする。しかし、これも諦め長野県川上村の畑へ降りる決断から、北西に進路を取り山中へ向かう。追尾中の自衛隊機に尾翼の破損状況を教えられ、操縦系統が効かない理由を解し、滑走路へ降ろすことは双方に危険としたため。

 

出力調整以外に機をコントロールする方法がほぼ無いと知ってからは、それに専念したので飛行は相当程度安定する。最初に畑の北東(群馬県上野村)に入り上空から視認、燃料の放出も行う。1回目は畑に南東から進入、北の千曲川と西の梓川に囲まれた部分(約3000m)を東から西へ通過した後(高度約5500ft、地上約260m)、右手の南斜面にそって山(扇平山)を上り、墜落地点の外側を右回りに東南へ転回する。

 

直進から2回目の進入を試みる途中(高度約7200ft)、右外4番エンジンにミサイルを被弾(2撃目)する。その際の衝撃で1撃目の後に不完全に残っていた尾部部分が脱落、水平尾翼が後ろへ抜け落ちる。右側の推力減少と後部の質量を失ったことで機体の左右と前後のバランスが崩れ、左翼と尾部が上がった右前傾姿勢から半径約250mの急な右転回に入る。降下角度35度以上で半螺旋に約550m落下、右翼端が尾根の立木に接触する。

その被弾から崩落を始めていた4番エンジンの主部と部品が脱落する(本機に遅れて次の尾根の手前壁まで至る)。右翼が軽くなるとともに空気抵抗が減ったことで一瞬の浮揚から水平直進、次の尾根に横から接触してU形に削土する。その衝撃で一寸跳ねてから右ロール、ほぼ背面になって最終尾根に縦に激突墜落する。

 

本来、高浜機長は、三国峠の南まで行って西向きに斜面を降り、長広で進入角が4度程度に収まる中間部分に位置する畑の東に着けるつもりであったとも思われる。ここまで飛行したのが証しに機体もエンジンも安定していた模様。しかし、最後に第4エンジンへの二度目の被弾で止めをさされた模様。

*****

以上です。