青山透子公式サイト 日航123便墜落の真相

日航123便墜落事件の真相を追究するー歴史的裁判開始の幕開け

すべては1985年から始まった  青山透子

まず先に、森永卓郎氏の新刊本「なぜ日本だけが成長できないのか(角川新書)」のご紹介です。

そのエピローグ、「対米前面服従の始まり」において拙著を取り上げて下さった。

1985年8月12日の日航機墜落の一か月後になぜ突然にプラザ合意がなされたのか。なぜそれ以降、日本は奈落の底に落とされるほどの経済状況に追い込まれたのか、それが今もなぜ続いているのか、実にくわしく分かりやすく書かれている。是非手に取ってお読み頂きたい。読者の方で、この本を私に贈って下さった方もいた。この経済的な異常な流れの不可思議さも日航機の墜落原因を考えると、ストンと腑に落ちる。

下記KADOKAWAのHPをご覧頂きたい。

www.kadokawa.co.jp

他に、日本近代思想史など、1985年がテーマとなって様々な分野においてあまりおかしいことが多い。なぜこんなに日本は対米追従どころか絶対服従状態なのか、日本売りが止まらないのはなぜか。特に安倍政権での防衛費膨大について、その直接的原因は何か。

沖縄の真っ青な辺野古の海への土砂投入で、青海が濁っていく様は、まるで政府の偽りの心のようである。

「1985年」の日航機墜落原因を突き止めずに33年間放置してきた罪は大きく、多方面に多大な影響を及ぼしていると思われる。

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 さて、今年の様々な出来事も含めて1年間を振り返ってみたい。

 最も嬉しかったことは、拙著をきっかけとして、高校生たちが日航機事故を事件か?ということで調査研究してくれたことである。御巣鷹の尾根登山も行ったとのことで、その学校の教諭から成果物が送られてきた。大変嬉しかったと同時に、その詳細な調査内容に目を見張った。日米地位協定や日米安全保障委員会についても調べていた。

「議員は選べても米軍の軍人や外務省などの高級官僚は選べない。それで軍事上の機密など会議で決められても民意は反映されない。どうすればよいのか」という率直な疑問を提示して深く考察していた。日航123便墜落原因についても、事故調査委員会が調査したことを誰も検証していない。担当検事も事故原因は違うと遺族に語り、不起訴となった。それでは520人の命はあまりにも浮かばれないのではないか、という共感力が芽生えていた。

担当した教諭によれば、搭乗者名簿から一人ひとりの名前を模造紙に書き写しているうちに、その人たちへ思いをはせて真剣になっていったとのことであった。

あらゆる出版物を比較検討して読み込んだそうで、客観的に何が正しく、何がおかしいのか、彼ら一人一人が素直な目で感じ取ってくれたこと、そして私の本を評価してくれたことに心から感謝する。

「小さな目は見た」が、高校生の彼らに伝わった瞬間である。

 もう一つ、大きな証言を得られたのが今年の収穫である。その大きな証言とは、あるご遺族と話をしていた時に飛び出てきた。

「33年前、私たち遺族10名は、運輸省の会議室で運輸省の役人数名と事故調査委員長の武田峻氏と向き合っていたのですが、遺族側から一向に進まない海底調査について『一体いくらお金がかかるのか、足りないなら募金活動もするから、早く調査してくれ』という声が次々上がったのです。するとその声に押されて、武田委員長が声を荒げて『あのですねえ、お金がないというせいではないのですよ、お金の問題じゃない。海底から事故調査結果と違うものが出てきたら困るからですよ!」と叫んだのをしっかりとこの耳で聞いた、とのことであった。この言葉に、その場の空気が凍り付き、唖然とし、一体何を言っているのか、よくわからなくなった、と語っておられた。

「つまり、私たちは誰もが国が嘘をつくとは思っていないし、思わなかった。だけど、今考えると、あの発言はおかしかった」、当然のことながら、国側が国民に対して偽りを言うなど、全く疑うことを知らなかった、ということであった。

それにしても、まるで議事録や録音の声に残らないようにするためか、肝心のことをぼそぼそと小さい声で話す運輸省の役人には不信感を抱いたそうだ。そのわりには「こっちの席に座って下さい、そっちのお茶を回して下さい」などとどうでもいい発言の声は大きかった、とのことである。

それにしても武田委員長による「海底から事故調査報告書と異なるものが出てきたら困る」

これはすごい発言である。この方は何を考えてそのような発言をしたのか、何のための委員長で、誰の為の事故調査なのだろうか。もっと早く知っていれば、この人に問うてみたかった。

 

 今年、様々な場面でプロ意識の欠如が目についた。大量飲酒のパイロットもそうだが、上からの指示か何かで拙著の販促妨害を仕掛けてきた出版社もいた。選定図書にも難癖をつけたらしいが、そういう態度が人々の支持を失い、その出版社の雑誌が休刊に追い込まれたのだろう。私が思うのは、上司のこんなことに従わざるを得ないような、そういう社員たちのプライドのなさである。そんな会社に入社して、さもしい気持ちにならないのだろうか。

 官僚もそうである。以前、「良心の呵責がある人がなれない職業は政治屋と役人」と書いてあった記事があったが、その通りかもしれない。良心の呵責どころか、善悪の区別もつかなくなった人達だけが今もなお、まっとうな人達の邪魔をし続けているのかもしれない。

 最後に私が心がけているプロ意識を書いておきたい。

ノンフィクションを書く上で、スポンサーがある人間はどうしてもそちらよりになるのは世の中の常である。私には何のスポンサーもなく、全て自力で集め、人と人の繋がりに重きを置き、信頼関係を構築することを最優先にしている。そしてそこから得られた証言を大切にしている。例えば、会う約束をした場合、何があっても絶対に約束は破らない。一か月前から連絡をしている以上、その人に会うために全力を注ぐ。例えば好物のお菓子を一か月前から考えて用意することや、話しがしやすい雰囲気を作ること、当然のことながらその人と話をする上で必要な知識や学術的な研究をしっかりと頭に入れておくこと等々、相手にもそれが伝わるから重要な話をしてくれる。だから、私を良く知っている人達は深い信頼関係のもとで話をし、私個人の情報も一対一で開示している。従って、ネット上に余計なことを一切書くことは無い。逆を言うと、私を全く知らない人間が知ったかぶりをし、悪意を持って書いている人がいる。そこに明らかに作為がある場合、その人の書いたものは信頼に全く値しない。最も笑えたのは私が会ったこともない人の元彼女とか、マスコミ関係者がニタニタ笑っていったので大笑いした。

 話は戻るが、昨今、プロ意識のある人は非常に少ないと思う場面が多い。それどころか、職業への使命感が全く育っていない。これは重大な問題だと思う。メディアは特にひどい。つい先日も一か月前から予定していたことをドタキャンされた。しかも、私がそのメディアの人の希望を聞いて、わざわざ遠くまで一緒に行って、重要な人を紹介する、という設定でのドタキャンである。急きょ、私のみが行くことにした。案の定、その方は一か月前から準備をして、きちんとファイルをして見やすいように様々な資料を用意して待っていて下さった。危なく、そのメディアの人のせいで、私とその方との信頼関係がぶち壊しにされるところであった。

こっちは、真剣勝負で仕事をしている。ある意味で命かけるくらいの使命感を持ち、亡くなった方々に思いをはせて相手も資料を提供してくれている。このようなことは、サラリーマンのメディアたちには決してわからないだろう。一体、彼らは何を伝えるべきなのか、なぜその仕事を選んだのか、世の中に果たす役割は何か、常に問い続け、自己批判せずしてこの業界の未来は失われてしまうだろう。

高校生ですら、正面からこの事件について向き合い、考えているにもかかわらずだ。

面倒なことは一生避けていきたい、サラリーさえもらえればよい、そんな大人たちの悪しき見本がそこら中にあふれている。

私たちは今、それぞれの場において自分のプロ意識を再構築しなければならない。それが社会人としてのあるべき姿ではないだろうか。

そう思ったとたん、数日前の群馬県上野村黒澤丈夫元村長の記事が目に入った。

今もなお村の自治と自立を掲げ、自然を生かして過疎と闘う、をモットーにして、移住者大歓迎、心地よい農村を心掛けている。その基礎を作った方である。間もなく村長の命日12月22日が近づいてくる。村長の誕生日は今上天皇誕生日と同じ、12月23日である。そして1,2,3.

あの力強く語った黒沢村長の声が、私を励まして下さっていると思った瞬間であった。

 

今年も有難うございました。皆さまの応援に心から感謝申し上げます。