信太正道氏、日高浩太朗氏を偲ぶ 青山透子
お二人にお会いした時のさわやかな笑顔が今もなお目に浮かぶ。
信太正道氏は、最後の特攻隊員で後に航空自衛隊教官、そして日本航空B747のキャプテンであった。私が入社した当時は成田地区所属CAP7期。ちなみに、日航123便事故で亡くなった高浜雅巳氏はCAP50期で、羽田地区のB747の乗員教官室所属だった。信太さんは高浜さんの大先輩といえる。彼は特攻隊員として出撃直前に終戦となったが、日航を定年退職後、反戦活動を行っていた。戦争を起こさないようにするには、皆さんが戦争を嫌いだと言い続けなければならないとして「厭戦庶民の会」を結成させた。私の本をお送りしてお会いした時、「あのね、戦争屋は常に争いを作り出す。戦後、特攻隊を美化する人も多いが、現実はそうじゃなかった。天皇万歳なんかじゃないんだ。お母さん、お父さんと言いながら死んでいった。戦後、ウソつきの人間が作った話に乗っかって、戦争を美化し、戦争屋と政治屋の言いなりになってはいけない。」と強く語ってくれたのを思い出す。本当に体験をしていない人ほど美化する。または、過ちを犯した人ほど、それをなかったことにしたい心理が働く。現場の真実を知る人間にとって、特攻隊を軽率に美化されることがたまらなく嫌だったのだろう。本物の人間のみ語る言葉である。11月10日、享年88歳。直前まで安保法案反対のデモに参加し、講演活動を行っていたそうである。合掌。
日高恒太朗氏は、拙著の後書きにも書かせていただいた。彼の特攻隊員への聞き取り調査をドキュメンタリー形式で書いた「不時着ー特攻ー死からの生還者たちー」を今、読み返している。実は日高氏が昨年の11月3日にお亡くなりになったことは知らなかった。享年63歳。早すぎる死であった。早稲田大学近くのイタリア料理店で、編集者とご一緒にお会いした時、強面かと思いきや、ちょっとはにかんだ笑顔が印象的であった。彼の著書に出てくる特攻隊員とそれらしき偽物の特攻隊員の現実の話には深く感動した。そして、最も気になる一文があった。
「特攻隊員は全員ではないけど、士気高揚のために麻薬を飲ませられていたこともある」ということだ。これは戦後ヒロポンと言い、疲労がポンと治る、という意味で出回った液体の飲み物のことであるそうだ。最後の杯に知らない間に入れられた人もいるそうだ。なんということか。上層部の人間は、安全地帯にいて自分はいかず、若者を麻薬でごまかしながら突撃させていた、という事実。恐ろしいことだと思った。
一つずつ丁寧に聞き取ることで現実が見えてくる。この手法を私は継承していきたいと思っている。ここに書き込んでくださっている読者の皆様にもそういう地道な方々が多いのは、大変嬉しい限りである。
ボイスレコーダーの改ざんなど、許されるはずもないが、もし平気でそのようなことをしていたのなら、それも戦争中でない1985年の平時の日本で行っていたとするならば、実行犯は一体どういう人間たちなのだろうか。これは明らかに犯罪行為である。これでは、今の安保法も通常の知識人ならば誰もが危惧するのはよくわかる。あの日の犯罪行為を懺悔し続けながら生きている人は果たしているのだろうか。例えば、レーダーで見ていた人、ボイスレコーダーを改ざんした人、「私は東大法学部ですよ、多方面にパイプを持っているのですよ」と、暗に事故原因追及する遺族を脅した人、羽田空港管制官で事実を聞いていた人、あの夜、御巣鷹山にいち早く到着した相馬が原の人々、墜落前の日航123便の横をファントム2機で追尾した人、そして指示した自衛隊トップ、当時の政治家、机の下でブルブル震えていた当時の高木日航社長・・・
間接的に罪を犯していることを彼らは知っているのだろうか。今もなお無自覚に、ただ組織の中で言いなりになって行動していただけ、と言い逃れるとすれば、天空の星たちはけして天国への道を歩むことを許さないだろうなあ。きっと地獄はあちら、と追い返すことだろう。
お二人に合掌。