「日航123便墜落 圧力隔壁説をくつがえす」公式ブログ

1985年に起きた日航123便墜落事故を、当時日本航空スチュワーデスとして勤務していた著者・青山透子が、事故の真相を追い求めて綴ったノンフィクション

真のおもてなしとは何か 青山透子

まず、先日見た海外の映画で、次のセリフが大変印象深かったので、皆さんにお伝えしたい。

「あの社長は、実力も経験もあってクライアントの要望に応えるためには異常なほどの強引さで今まで突っ走ってきたが、最近、だんだんとおかしな言動が増えてきた。社長は30分毎に席を外してトイレに行き、いったい何を飲んでいるのか。飲んだ時だけ意気揚々としている。会議では、議事録にも書けないほど意味不明の言葉が多すぎる。そんなあなたのもとでは働きたくない。人に隠れて薬物を飲みながら物事を決める社長の下では働けない。そういう人は、必ず自分がやりたい方向にだけ動き、私たち社員や相手を犠牲にしてもいい、と言い出す」

薬物汚染が深刻な外国では、職場で当たり前にこのような会話をするのだと、相模原障がい者施設殺傷事件の判決を聞きながら思ったのである。大麻精神病も作用し、他人の意見を聞かず、異常なほど偏った自分の思考が凝り固まっていくのだろう。

そういう人と日常的に接している人は、その人のおかしい言動はすぐわかる。しかしながら、本人は自分の異常な言動が全くわからない。驚くべき恥を重ねていても、相手があきれるほどのふるまいでも、本人は全てを正当化し、薬物の作用によって自分だけ気分が良い。

当然のことながら、そういう人がリーダーの場合、それを支える必要などなく、強制的にやめてもらうか、早急に対策をすべきだ。あのような悲惨な事件が起きてからは遅く、誰かが止めなければいけないのである。

つまり、薬物依存者がリーダーになったら大変恐ろしく、こういった不適格者を放置すれば、間違った方向性にいってしまうのだということを映画で語っていたのである。

 さて、新型コロナウイルスの影響はあらゆる方面に及び、日常を非日常とし、お互いの国の国境を封鎖させた。

当然のことながら航空産業は国と国を結び、平和的交流を深め、経済活動を推進する。それが公共交通機関の役目だ。しかし、つい2か月前のお正月に誰がこの状態を予見しただろう。全日空は、客室乗務員5千人を休職する交渉をしているという。

空港は飛ばない飛行機たちで溢れている。毎日、おびただしい数の飛び立つ飛行機を撮影していた航空ファンも、飛ばない飛行機を撮影するのはつらいだろう。

それにしても、チャーター便で中国から邦人を運ぶ役目を果たした全日空には、心から頑張ってほしいと願っている。あの時、客室乗務員は一人も感染していなかったのはすごい。恐らく全員が緊張感をもって徹底していたからだろう。

それに対して先月末、日本航空ではシカゴ009便乗務の50歳代の客室乗務員に感染者が出た。今後はアルコール検査のみならず、発熱検査も追加であろう。いずれにしてもJALも国内線が1,268便、国際線が2,140便が運休するとは思ってもいなかったはずだ。

 

東京オリンピックをやりたい人の気持ちもわかるし、中止することで経済効果が減少する恐れを抱くことや、何の決断もできない首相がいることもわかってきた。なによりも、主役の選手たちが最高の環境で競技ができない、予選もない、練習もできない、感染する恐れが多大にある。その中で7割以上の国民はオリンピック開催は無理だと考えているのは当然である。

私達が考えるべきことは、オリンピック誘致の際にあのタレントが言った「お・も・て・な・し」は何なのかである。単なるパーフォーマンスであってはならない。

相手は目に見えない病を引き起こすウイルスなのだ。その中で、他国の招待されるほうも迷惑だという考えに及ばなければならない。意地で聖火を運んできたとしか思われない。

現にイギリス王室は郊外に避難して、エリザベス女王も今は日本の天皇と皇后にお会いしたい、とは言わないし、こちら側も遠慮して予定をキャンセルした。これが常識である。

常識を超えた「勝手なおもてなし」はありえず、他国の皆さんを振り回してもいけない。さらに薬物依存的発想で突き進み、まるで先の戦争へ向かったときのように蛮勇を振るうのでもなく、冷静な判断をして、勇気をもってやめる決断するのが、本当のおもてなしの精神であろう。求められるのは「引き返す勇気」である。パイロット仲間で言われているこの言葉についてはまた別の機会に。

専門家の皆さんは、自分の仕事への使命感と信念に基づき、公衆衛生の視点を重視して、政府の思惑や圧力に屈してはならない。そうしないと、日航123便の事故調査委員のように、永遠と歴史的汚点を残すことになる。オリンピックが、新型コロナウイルスの世界的大流行のクラスターの場と化す、その時では遅い。

「うちはウイルスが減ってきたから大丈夫」と言って嫌がる人々を無理やり招待し、「今までお金をかけて準備していたのだから、儲けられないので来てもらわないと困る」という精神は、おもてなしの精神ではない。