政府の成長戦略会議のメンバーがANAとJALの行く末を語ってはならない!
有識者出席者の竹中平蔵氏はご自身の思い描く戦略として、「世界の航空業界を考えると、健全な競争が不可欠でありながらもグローバルな視点でどう生き残るべきか」について公共放送で語った。経営の神様と言われた稲盛氏ならともかく、航空の素人の方が唐突に語る場合、その裏に何があるのかに注視しなければならないと私はある人から聞いた。
なお、もしANA、JALの経営者がこれを読まれたならば、私のような小さな存在が政府の有識者メンバーに何を言うのかと思うだろうから、森永卓郎氏の「なぜ日本だけが成長できないのか(角川新書)」を読んで頂きたい。特にp96をぜひお読み下さい。
公共放送で流れたような具体的な話は、内閣府の議事録(下記内閣HP参照)には書かれていないが、竹中氏の肩書のタイトルから、もしかすれば、一般国民が惑わされ、ANAやJALの経営者が安易にその方向性に導かれかねないので、私はあえてここで述べておく。
竹中氏は、「国際的視野で見れば、コロナ禍で各国の航空会社の倒産や合併は進んでおり、メガキャリアの2つが1つになっている。この日本が北東アジアのリーダー的存在になるためにと考えると、ANAが国際線を、JALが国内線を中心に分ける方針が一番」という内容であった。
これは最先端成長戦略でもなければ、このような政府の戦略会議で話すような内容でもないだろう。その理由は、官製の会議のメンバーが、いかにもその方向性であるがごとく話すこと自体が、民間企業の健全な競争を妨げる言動そのものであることだ。自由競争を促す竹中氏は、一民間企業の事案に対して、横から口をはさむという明らかに自己矛盾を起こしている。もっとも、ご自身の発言力を見越して言った(メディア操作で放送させた)とすれば、私たちは、その根底にあるものは何かに気づく必要がある。
JALは公共交通機関とはいえ、1987年(昭和62年)11月に民営化されてから既に34年が経ち、2010年1月の倒産から11年という経過した民間企業である。そこに昔ながらの方法を持ち出して、官製会議メンバーが口を挟むべきではないのである。
さて、竹中氏のこの発想は51年も前に行われていた化石の発想だと気付いた年配者は、まだ多くいるだろう。これは1970年(昭和45年)のよんごー、1972年(昭和47年)のよんななから、「45・47体制(航空憲法)」呼ばれていた日本政府による産業保護政策であり、昭和45年に閣議了解、昭和47年に運輸大臣が通達した航空政策である。
日本航空は国際線と国内幹線(札幌、東京、大阪、福岡、沖縄のみ)、全日空が国内幹線とローカル線、東亜国内航空が地方ローカル線を、それぞれ分けて飛ばしていた。その結果何が起きたかというと、切磋琢磨しないもたれ合い体質や高額な運賃や、東亜国内航空の地方空港誘致と日本航空の政官財癒着による大赤字で、東亜国内航空は事実上倒産にもかかわらず、社員たちは無自覚のまま日本航空と合併、その直後から事故多発(年間100件以上)、合併後の数年で日本航空が倒産した。
一方の全日空側は、政策廃止の恩恵を得て自由に飛べるようになり、社内の士気を高めていき、国際線を順調に伸ばして路線拡大し、コロナ禍がなければ順調な経営状態であった。
百歩譲って、航空業界を取り巻く現実と国際的競争を考えれば、「日本は小さな島国だから51年も前の状態に逆戻りしたほうがまし」という提案なのだろうか?
竹中氏は、JAL倒産の際、自民党政権ではなく、民主党政権下で行われた不透明で超法規的な手段で救済された日本航空への保護政策について異議を唱えたいという思いだが、これについては私も同感である。だからといって、いまさら古びた政策を持ち出しては、それこそ民間企業の競争原理に反する。
それではここで、過去に実際にあったある事例をもとにして皆さんと一緒に考えたい。
1996年当時、高額な航空運賃で、横一列の値上げが続く北海道民にとって、航空会社の選択が出来なかった。北海道内異業種交流会で、これではいつまで経っても道内の経済は発展せずに高額の航空運賃によって道民に悪影響があるとし、29名が発起人となり、道民による寄付等で一致団結して、彼らの思いが詰まった民間初の格安航空会社、AIRDO(エアドゥ)が誕生した。その後、社長の急死等で経営は行き詰ってしまったが、ANAに吸収合併されたエア・ドゥは、現在も飛び続けている。その一号機には、機内の壁に寄付者の名前が刻まれており、初めて男性の客室乗務員もいた。カジュアルな服装でのサービスで、私もその一番機に搭乗したことを懐かしく思い出す。
あの時の民間人のパワーはすごかった。ただ、革新的なわりには、経営の中身が旧態依然であり、今でこそ当たり前のインターネットによる直接の予約制度や、代理店を通さずに直接席を販売する、ということが、様々なしがらみの中で出来なかったことも敗因だろう。
その中で、一番危惧したことを皆さんに伝えたい。
このAIRDOの当時の客室乗務員採用と訓練において、まだ実際の飛行機が来ない段階で採用して訓練しなければならず、もし飛べない場合や経営がすぐに行き詰まった場合を想定して苦悩していた当時の社長、中村晃氏は、知り合いからA人材派遣会社を紹介されて、次のような話をもちかけられた。
「私たち人材派遣会社が出資して別会社を作り、客室乗務員の派遣会社を作りませんか。いざとなった場合は、こちらで引き取りますし、どこかの事務職にでも派遣すればよいです。もっとダメになった場合は会社ごとを潰してしまえばよいですよ」。心底その浅ましい発想に驚き、契約しなかった。
最初から人を切りやすいように別会社を作り、人材派遣として送り込む、この発想はまさに労働基準違反である。さらに、客室乗務員の場合、事務職とは異なり、特殊な訓練をする。エマージェンシー訓練が重要なのであり、保安要員としての自覚や訓練は不可欠だ。その訓練を経て派遣社員とし、ましてや、上手く行かない場合、その会社を潰す?
それは明らかに厚生労働省の労働基準違反どころか、犯罪に近い行為である。
この発想が人材派遣会社にあるとすれば、航空会社は到底彼らとは組めない。こっちは乗客乗員の命に係わる問題なのである。立ち上げでお金がなかった時だったが、さすがにAIRDOの社長は断った。
なお竹中氏はP人材派遣会社の会長を務めているそうだが、まさか航空会社の客室乗務員や運航乗務員の派遣業に食い込みたい、というその人材派遣会社の社長さんの気持ちを受けてではあるまい?
日航側もあの赤いソファーで、ミニスカートの女性に囲まれて麻布十番のコーヒー店から取り寄せた香しいコーヒーで口説かれてはいるまい?
経営に責任を持って雇用を保護する、ということが、藁をもすがる思いであっても、本当に藁くずを掴んではならないのである。
昨日も大雪で滑走路脇にそれた日航機があったが、最近、ちょっとした事故が多発している。運休ばかりで飛行機を動かしていないと飛行機自体に不都合が生じ、運航者の技量も落ち、整備も十分ではない飛行機を飛ばすことになりかねない。より一層の注意が必要となる。
JALは倒産の際に多額の税金を使い、その後10年間も猶予を与えられたにもかかわらず、一体何をしていたのか。多角経営は儲かっている時に考えて準備するものであり、じり貧の今さら多角経営を考えてどうするのか。
企業は永遠ではない。身を切り、骨を切りながら、もっとこういう方法があるのではないか、もっとこうしたら少しでもキャッシュが残るのではないかと必死に考え、まっとうな方法で経営していくものである。日産でも裁判で今さらながら経営陣の言い訳がすごいが、結果はあの通りだ。
安易に藁にすがるのではなく、社員共々自覚を持ち、経営を突き詰めて考え、実行していくことこそ、そして何よりもいつまでも政府という親にすがるのではなく、自分たちを自律し、自立すること。それが出来ない航空会社は倒産したほうがましである。航空機事故を起こされてはかなわない。解体して人材を流出し、LCCを複数設立して、競争を促すほうが健全だ。
なお、内閣府の成長戦略会議議事録は次の通りである。
つい数か月前の10月の議事録では、随分と能天気なことを言っているが、今、このコロナの現状を見れば、彼らの発言に頼っていれば成長戦略の行く末が一体どうなるのか、誰でもわかるだろう。それにしても、この会議自体に何の意味があるだろうのか?私は読者の皆さんの判断にゆだねたい。