「日航123便あの日の記憶 天空の星たちへ」公式ブログ

1985年に起きた日航123便墜落事故を、当時日本航空スチュワーデスとして勤務していた著者・青山透子が、事故の真相を追い求めて綴ったノンフィクション

1980年代のスチュワーデス秘話 青山透子

昨晩のテレビ東京の番組「あの事件の知らなかったコトSP」はいかがでしたか。このサイトに訪れた皆様で、当時を思い出しながら見て頂いた方も多かったと思います。

最初、客室内でのコックピットとのフライト前ミーティングの時、前回書いたアロケーションチャートが紙一枚、ちゃんと出てきましたね。ボーディングミュージックもリチャード・クレーダーマンの「渚のアデリーヌ」でした。ディレクターの方がメモしていたのを思い出して嬉しかったです。

確かに今までの番組では、客室乗務員に焦点を当てたものはなかったという事で、その点は大変深い意味のある番組だったと思います。資料提供に名前と本名も入れて頂きましたが、制作者のご苦労も多々あっただろうと推察しながら見ていました。画面に出た当時の先輩の姿、制服姿の写真、懐かしいHさんのお顔など、33回忌として番組が放映されたことは本当に良かったと思いました。

ただ、前から聞いていましたが、再調査を言及するような内容ではなく、それに加えて遺族の小川さんの写真が、あまり意図がつかめない写真で唐突にそれも風景の1枚だけ、というのはちょっと情けなかったですね。

それにしても、今までなかった視点、つまり墜落機の日航の社員としての当事者のみならず、乗客と生死を共にした20代から30代の若い彼女たちの人生に思いをはせ、最後の瞬間をも、プライベートを超えた職業意識で目の前の苦難や状況を克服すべく、精一杯努力をしたのだ、という事実をあの番組を通じて皆様が重く受け止めてほしいと心から願います。

昨日はもう一つビックリした事、上野村へのヘリ墜落でした。このタイミングで?と大変驚きました。ご冥福をお祈り申し上げます。

 

さて、ちょっと当時の髪型ですが、訓練所にいる間、指定された日に銀座の資生堂美容室に行き、日航客室乗務員指定髪型という写真を見せられ、どんなロングヘア―でもバッサリと切られました。訓練中から新人にかけては、会社の指定する5つのパターンだけが許されていたのです。あの番組の客室乗務員は殆どの人はカツラだと思いますが、当時は今のように後ろに結ぶシニヨンではありませんでした。どちらかというと私の本に出ているような、横サイドを流すセミロングが主流で、シニヨンをしている人はパーサークラスの人だけでした。新人がシニヨンをしたら大変です。先輩に一言「あら、その髪型、10年早いんじゃない」と言われたものです。さらに番組の中で、赤田さん(ママさんスチュワーデス)が後ろにカーラーを巻いて、ギャレーで後輩に指摘されている場面もありましたが、あれは前髪(うしろではなく)を気にして、前髪だけカーラーを巻いて、ボーディング前に取る、ということをしていた人がいたエピソードから、演出したのでしょう。

カーラーで前髪を巻いていたパーサーに聞いた時がありますが、その理由は制帽でつぶれてしまうので、とのことで、これも新人はNGです。

髪型一つとっても80年代と今では違いますね。

それから、墜落直前まで赤い手帳に脱出アナウンスを書いていた、そして乗客の皆さんに安心感を持ってもらうように、地上と交信はつながっております、と最後のアナウンスをした対馬さん。私にとっては旧姓のMさん、という名前のほうがしっくりきます。高熱だったにもかかわらず、新婚旅行から戻って名前が変わって初のフライトでした。ネームプレートもまだ変わっていなかったそうです。新婚旅行は確か福島へ行ったと聞きました。客室乗務員は海外ばかり行っているので、結構近場で新婚旅行の人も多かった時代です。対馬さんのご主人は、刑事ドラマに出ていた俳優さんで、現在どうしていらっしゃるのかなあと思っていましたが、風の便りでは、その後持病が悪化してしまってお亡くなりになったそうです。きっとあの世で対馬さんと仲良くテレビを見ていたかもしれませんね。