青山透子公式サイト 日航123便墜落の真相

日航123便墜落事件の真相を追究するー歴史的裁判開始の幕開け

今年の締めくくり・来日したアレクシェービッチさんの疑問に答える

あと数時間で2017年。酉年は大空に羽ばたく鳥のごとく、飛躍の年としたいものです。このサイトを愛読して下さる皆様に深く感謝申し上げます。不定期の数少ない更新にもかかわらず、多くの方々に読んでいただきました。

先月、ノーベル賞作家アレクシェービッチさんが来日されて福島に行かれました。そして名誉博士号を授与された東京外語大で講演をなさいました。今年の初めに彼女の話を書いたので、彼女の言葉を今年の締めとしたいと思います。

彼女が思った日本人への印象として、大きな疑問が次の言葉でした。

社会主義国家における全体主義の長い文化(旧ソ連)ならわかるが、日本社会において人々が団結する形での『抵抗』の文化がないのはなぜでしょうか(責めるのではなく)福島の人々はなぜ団結して原発反対や国に対して抵抗していかないのでしょうか」

そして、国というものは人の命に全責任を負うことはしない、国民の意識の軍事化(強制的に右に倣えというような同質化)にも警戒を鳴らしていました。

福島については、国を提訴した福島の女性が一人ではなく、千人以上いれば福島の人々に対する国(及び国民)の態度も変わったかもしれない、とおっしゃていました。

どうも今の日本には、団結して「抵抗」することが悪いこと、国に逆らうと良くない、逆に損をする、福島からの避難者をいじめる、悪意をもって発言をする人が多いから黙る、団結出来ない、という変な文化?が蔓延っているようです。

人は社会からの強い抑圧や差別、弾圧といった非人間的な扱いをされた場合、微力な民衆が団結をして弾圧する政府や組織に抵抗する、という構図が成り立つのだと思います。しかし、長い間、例えば原発問題における金銭的な解決法やにじり寄りの方法、複雑に利害が絡み合った人間関係の上に成り立つ契約や取引などで、どうにも動きが取れない場合、団結や抵抗という文化が育たなくなっていくように思います。お互いうまい汁を吸った、と言い合い、田舎で世話になった人や恩義のある人が相手側だったり、お互いに依存し合っていたり・・・

移民国家の米国のように多種多様な人々の集まりでは、それはそれ、これはこれ、と良い意味で明確に分けて考えられる場合も多く、ドライな取引も可能ですし、民主主義の当然の権利として堂々と発言する人も多いでしょう。しかし、同質性の極みのような島国の日本では、近隣で同じ顔をした同じような考え方をする人々が、同じような営みを長年続けている為に言いづらい環境であったりします。こうして、諦めや抵抗の文化が失われていくのだと考えます。

そうなると、真実を追究しようとする人にとっては非常にやりずらい環境になります。たとえば、おかしな部分を見つけ出し、それを指摘したり、正義感をもって正しいことを実行する段階に、見えない恐れと歯止めがかかり、知らないうちに見て見ぬふりをして、自分され良ければよい、と諦めの気持ちが芽生えてくるからです。それは、都合の悪い情報を隠したい人にとっては最高に住みやすい国となってしまいます。これが生きにくい社会となる原因だと思います。

2017年は、日航123便事件発生による520名の人々の三十三回忌です。

これは、仏教年で弔い上げとなります。これ以降はもう個人ではなく私たち先祖の霊となって極楽浄土へ行く、という意味もあります。

そして、この33年という長くて重い年月を過ごしてきた事件関係者の皆様、せめて弔い上げとして、目撃したことや知っている事実をお話下さることを願っています。

遺族のKさんの言葉です。

「愛する人を失った遺族としては真実が知りたい。それが本当の供養になる」

2017年、どうぞよろしくお願い申し上げます。