青山透子公式サイト 日航123便墜落の真相

日航123便墜落事件の真相を追究するー歴史的裁判開始の幕開け

トランスワールド航空800便墜落事故の事故原因をNTSBの元調査官が新証言、調査報告書は嘘

米国では、ついにTWA800便の事故原因に対して、元NTSBの調査官が新証言を出しました。これはビジネスニュースのページですので、皆様お読みください。

http://archive.fo/JqwYm

1996年7月17日にニューヨーク沖の海上に墜落したTrans World Airlines Flight 800 (TWA 800)の事故原因に関して、事故調査の解明にあたったNTSBの元職員など6名の元事故調査官が、記者会見を開催し、報告書にまとめられた事故原因は嘘であるとする衝撃的な発言を行ったことが波紋を呼んでいる。

と書いてあります。

さらに、この事故原因をめぐっては、当初から疑問が多く、その点についてこう書いてあります。

 

記者会見には、事故調査を担当した複数の元事故調査官が出席し、公式の事故報告書は、上層部の意向によって捻じ曲げられたものだと証言すると共に、実際の事故原因は、当初から多くの目撃証言が挙がっていた誤射されたミサイルによるものの可能性が高いと述べた。

元事故調査官はTWA 800の事故調査は当初から「戒厳令」のような状況下で進められたと述べ、嘘の事故調査報告書は政府が真の事故原因をもみ消すために行われたものとの見解を示した。

TWA 800が墜落事故を起こした当初は、FBIも記者会見の席上で、ミサイルの軌跡が機体に向かって上昇していく模様を見みたとする目撃証言があることを伝えていたが、その後、CIAによる解析により、目撃証言はTWA 800が墜落する際に搭載していた燃料が燃焼しながら落下していく軌跡をミサイルと誤認したものと断定していた。

それがドキュメンタリー映画という形で一般人に公開したのです。

 

映画ではなく、実際にどうだったのかという点も今後追及されることでしょう。

こうやって誰かがきちんと出せる国が本当の民主主義です。

わかっていても、知っていても出さない、出せない国は、どこかの国の話ではなく

私たちの国だとすると、非常に情けないことですね。

 

 

ご協力有難うございました 風化が防げました 青山透子

この公式ブログを開設してすぐ、おかげ様で多くの方が関心を持ってくださいました。遺族の方も関係者の皆様も一番嫌がっていたのは風化です。

その風化を防ぐために、私がこだわった内容をこのブログ開始で書いたところ、驚いたことに、その直後、急にいろいろなところで、いきなり取り上げて下さった方々がいます。そのおかげで本を読んでみた、という方が急増しました。本当に感謝申し上げます。これで風化が防げます。何があっても関心を持つ人を一人でも多くすることが私の使命でした。

 

実は、ヤフーの教えてという質問コーナーに、どなたが書いたのか「自衛隊がやった!」と強い書き方で書いておきながら、そのベストアンサーが「この馬鹿につける薬はありませんか?」とあった、という情報がありました。

ベストアンサーというのは、書いた人が選ぶのですよね。

自分にとってとても良いという答えを選ぶのが当たり前ですよね。

それを、自分を貶める内容をベストアンサーに選ぶ人がいますでしょうか。

つまり、自作自演だということです。そうやって情報を操作する人がいるらしいです。それも内部情報で教えて頂きました。

 

それからもう一つ情報を共有しましょう。

あの事件をうまく隠ぺいした人は異例の昇進をし、それを追及した人は辞職を

強要されたそうです。

正直な人が辞めさせられて、ずるい人が残るとすると、本当にひどいですね。

 

ちなみに、私は「浅見光彦シリーズ」が好きです。

私は浅見光子かもしれませんね。

追記

人間は誰でも過ちをするものです。洗脳もあるでしょう。

ただその後の対応が誠実であれば、だれも責めません。ぜひ遺族の方と直接お話がしたいという方はご連絡下さいませ。

なお、本の内容を意図的に歪めた感想、根拠のない情報、悪意の書き込み、スパム等についてですが、警察によると、何事も初期捜査の段階が重要だとのことで、書き込み人物を特定するには、大体書き込み急増のこの10日間が勝負ということでした。

皆様のご協力に、心より感謝申し上げます。

一般の皆様は、事故防止のため、今後、疑問、質問は直接出版社あてにお願いします。

 

 

 

 

 

 

 

 

あほ、事故原因が違うって?青山透子

あほなこと言うんじゃないよ、事故原因が違うって?

青山透子

 

大阪で、事故原因についてずっとこだわり続けているある遺族の方がいます。

「あほやなあ~そんなことあるわけないでしょう」という声がいつも調査を妨げ、

「国が事故原因はこうだ、と言ったのだから、そんなとんでもないこと言ったらあほやないかと言われるよ」といつも言われていました。

その方と拙著を通じてお会いし、つい先日、私の信頼する研究者たちとご一緒にもう一度考えました。

そして、様々な角度からの疑問について、時系列に沿って、多くの情報提供者の声をお届けしました。

最後に、その方が私にこう言ってくれました。

「あらゆる人に言っても疑問は消えませんでした。あほじゃないか、で終わりです。

それに、全部のマスコミにも遺族の声として伝えました。聞いてはくれても、記事にはならず、全て無視です。親戚も含めてだれも相手にしてくれなかったこれらの疑問について青山さんがやっと、この長年の疑問に答えてくれたのですよ。本当にすっきりしました。胸につかえた長い間の苦痛を解決させて下さって本当に有難うございました、」

 

私も涙が出ました。遺族に本当のことを伝えない、それを隠す人に何の権利があるのでしょうか。

その方も高齢のため、足を痛めて杖を突いていらっしゃいます。他の遺族も高齢化し、御巣鷹の尾根にもう登れない、すでに亡くなった人も多いと語ります。

嘘をつき、様々な人生を捻じ曲げた人はこれ以上、犠牲となった人を貶めてはいけません。

それに「あほなことだ」「あほやなあ~」などと、無責任な事を言う人は、恐らく自分に疚しさがあるのかもしれません。

私たちは、もっと真摯に誠実に向き合わなければなりません。

 

なお、その遺族の方も「あまり事故原因を追及するな」と尾行されたことがあるそうです。

そこで、今後、ネットでの検索、書き込み、悪質な嫌がらせ等はすべて警察に報告し、公安の協力を得て行こうと思っています。

誠実な皆様のご協力をどうぞよろしくお願い致します。

 

青山透子

あの日と似ているマレーシア航空機行方不明事件

B777-200の最新飛行機が、突如南シナ海に消えて、すでに5日以上が経ちました。

もしかすると、そろそろあの飛行機が以前事故(または故障)を起こしていた飛行機だとか、テロだとか、場所がわからないとか、出てくるのかなあと思っていたところ、あまりにその通りの展開でびっくりしました。

123便の事故とその情報の過程が全く同じではありませんか。

特に今回の自衛隊派遣は非常におかしいです。何を捜索するのでしょうか。

それとも「御巣鷹メソッド」を、輸出しに行く部隊でしょうか。

南シナ海は、マレーシア軍、フィリピン軍、ベトナム軍、米軍等の同盟国側の軍隊と、中国軍は主に東シナ海を演習場としているようですが、いずれにしても昨年はひと月に6回以上、合同軍事演習を行っている空域、海域です。その中で、夜間訓練も当然行われます。

闇の中に葬る時間を稼いでいるとしか思えないこの事件

全容を明らかにする以外、世界中で葬られた自国軍隊、他国軍隊などの演習中の事故や隠ぺいの犠牲者に対して、真なる供養はありません。

誰を一体守る為の演習なのか、考えなければ未来はないでしょう。

自衛隊が派遣となると、友好国側に何を教えに行くのでしょうか。推測でしかありませんが、そうなると中国側の失敗ではなく、自国(マレーシアかフィリピン軍など)の

失敗かもしれませんね。

イスラエルでは、既にこういた事態を予測して、民間機に誤射された場合の回避誘導装置をつけようとしています。

下記ドイツ語HPですので、翻訳ページアドレスをご覧ください。

http://www.welt.de/politik/ausland/article125303286/Israel-testet-Raketenabwehr-fuer-Passagierflugzeuge.html

これが本当の、事故原因対策だと考えます。

青山透子

 

公式サイトをお読み頂いた皆様へ②  青山透子より

前回の続きです。

(前回の投稿はこちらhttp://tenku123.hateblo.jp/entry/2014/03/06/182129

 

事故当日、及びその後について、上野村元村長故黒澤丈夫氏が私に語り、そして激怒していたのは、当時の総理大臣、中曽根康弘氏の行動です。

隣町の軽井沢でテニスや水泳、読書と休養ばかりして、10月まで全く上野村現場に来なかったことについて、黒澤氏は「彼も一応主計とはいえ海軍にいたこともある、何が軍人か、あの態度は何か」と、強く怒りながら私に語りました。それについて私は、本にも書いたように、学生たちと一緒に首相の一日を読みながら「なんと配慮のない人だろう、今ならば即辞任だ」と、単純に思っていました。

 

実際に、黒澤村長のお葬式では、自ら来ず、花輪も出さず、選挙区にもかかわらず、中曽根の名前は(息子も含め)一言も、一つも出ていませんでした。

 

しかし皆さん、その本当の理由は次の通りだったのです!

いざというとき、万が一、この事実が後世に知れた時への対応の為だったのです。

つまり・・・・

「自分は全く知らなかった。全く現場に行ったことがないのでわからなかった。

自分は一切関係ないし、そういう(隠ぺいの)指示をしたつもりはない自衛隊の幹部が勝手に、隠ぺいしたのであって自分は知らない、自衛隊の現場のやつが自分のミスを勝手に隠ぺいしたのであって、私は全く指示していない・・・」などと言い逃れるための巧妙な手段でわざと上野村に行かなかった、というのです。

究極の自己防衛のため、ということを、何等かの時に、言っていたのを聞いた側近(もう高齢でお亡くなりになりました)がいたそうです。つまり、まず自分を正当化するためにわざと全く上野村に顔をださず、すべてを自衛隊の幹部(ほんの数人)と現場の実行者のせいにする為だったとのことでした。

 

あまりに、私は驚きました。そんな事までして保身を考えていたとは!

この時の自衛隊最高幹部、空自・中空方面隊の松永貞昭司令官陸自・東部方面総監部の増岡鼎総監、他護衛艦まつゆきで実際にミスをした人、相馬が原陸自12偵察隊で隠ぺい隊だった人、13普通科連隊情報小隊(松本)らの名前を書き連ね、この人たちだけが悪い、と言い切ったそうです。他の関係者に、特にJAL側の人間、JALの当時の高木社長には「米軍にやられたから、本当のことが国民に知れると、米国と戦争になる」などと、恐れさせて、それを言いふらさせた様子です。

恐らく、自分の死後も自分だけは名誉が守られるように日記か手帳等に書いているとか?

軽井沢の別荘にでもあるかもしれませんね。

 

いずれにしても、さもありなんという感じです。

あくまでも、ほんの数人のずるい、そしてずるさを持った人間が、自分のミスを隠すことの恐ろしさ、さらにその上をいく、政治家のしたたかさについて私は驚いた次第です。

 

 今、急いで審議が行われている特定秘密保護法ですが実はこの日航機事故と深い関係があるそうです。中曽根氏は、自分が生きているうちに関係者が決して言わないようにするために、急いで法律を出しています。特定秘密法は198512月に中曽根が出したものなのです。さすがに当時は却下されました。

 

みんなが秘密にしてくれれば、自分は安泰ですものね。

そのくせ、いざばれたときでも、自分は自衛隊員が悪い、隠ぺい者に脅迫されていたと書いていれば、彼の名誉だけは、守られます。

逆に、特定秘密法があるから、名指しされた人は、それが自分に不利なことでも秘密保持とか言われて、言い出せなくなってしまうわけです。さらに証拠は、きれいに消去したためによけい中曽根氏の嘘を証明出来ない仕組みになっているというわけです。

なるほど、それは盲点でした。

こういう恐ろしさを持った法律であることを私たちは認識しなければなりませんね。

 

来年事故後30年、天空の星たちの怒りを鎮められるような良い世の中になってほしいと心の底から願います。

 

 

公式サイトをお読み頂いた皆様へ  青山透子より

 出版から4年間、今まで沢山の書き込みや情報提供、様々なモノをお送りくださいまして、本当に有難うございました。公式サイトを通じて、例えば、正義感溢れる自衛隊員の方、医師、看護士、上野村の人々、目撃者、当時の政治家等、実に多くの方々とお会いする機会に恵まれました。さらに50名以上の書き込み(公開、非公開も含めて)、380名以上の方々による「当時の状況、自分が見たもの、自分の経験談」を読ませて頂きました。ちょうど良い機会でしたのでそれらをまとめてみました。

当然のことながら、現場の皆さんの声としては「一生懸命救助したかった、一生懸命探したかった、命をもっと多く救いたかった」という人たちです。そしてあの日、あの夜、なぜ?こんなことを?という多くの疑問と苦悩の声です。

 

ちょっと皆様とご一緒にその「なぜ」について、考えてみましょう。

① 

災害派遣待機命令が発令されたが、その後出動ではなく中止命令が出たのはなぜか

 

812日、夜23時頃、一番先に捜索のため到着した機動隊員32名の案内を頼まれた地元民たちに対して、道案内を頼んでおきながら機動隊員から

「その場所は違う、こっちだ」と根拠のない主張をされた。

墜落現場はスゲノ沢だと言うと

「いいやそこではない、中ノ沢だ、上官の命令だ」と強く言われた。

人にものを頼んでおきながら命令とはどういうことか?

なぜ地元の土地に詳しい人の意見をわざと無視したのか?

 

③ 

なぜ一番先に到着した機動隊員は、わざと足が遅く、ゆっくり歩くのか、

おかげで、倍の時間がかかり、夜明けまで墜落現場にたどり着けなかった

 

夜中、ヘリが墜落現場上空にずっとホバリングして、モノの上げ下げをしていたが、何をそんなに急いで上げ下げしていたのか 

 

後からの幹部の発表では、一機たりとも危なくてヘリを飛ばしていないというが、

事故当夜、私たちが目撃した墜落現場上空にいた多数のヘリは、亡霊か?

 

自衛隊ヘリの合図を頼りに墜落現場まで行けると歩いたら、

結局全く違った場所に連れていかれたのはなぜか

 

自衛隊による墜落現場特定が遅くなったことについて、

山下運輸大臣自衛隊幹部が

「夜間用照明がなかった」とか「険しい山に仰天した、危ないから」とか、

夜に救助出来なかった理由をテレビや雑誌で反論した。

しかし、敵の侵略や戦闘は夜行うもので、その為に山奥で過酷な訓練をしてきた。

夜にヘリを出せないならば、いつ自衛するのか?

自分たちは夜に十分動けるための訓練を行ってきたのだから、プロとしての自衛官

を馬鹿にするような発言するとは情けない。それでも幹部か?

 

なぜ墜落場所を地元民や黒澤村長が伝えても報道は聞き入れなかったのか

特に13日早朝、地元では当然御巣鷹の尾根とわかっているのに、まだNHKでは、小倉山と報道し続けていて、呆れた地元民が、NHKの記者を怒鳴りつけた

 

なぜ一生懸命生存者を救助したのに、山頂に4時間近く生存者が放置されたのか

 

なぜ生存者を収容したヘリで、5分もかからない救急病院に行くのに、無線が故障と

言って30分以上、上空を旋回し続けたのか

 

⑪ 

4人も救助したと美談になっていたが、遺体状況からみて、つい先ほどまで生存して

いたと思われる人たちが100名ぐらいはいたはずである

 

自分はゼロ戦の指導教官だったが、戦時中でさえ場所は特定できた。

あの程度の山でましてや、1985年に墜落場所を測定出来ないわけがない。

パイロットを馬鹿にするな

 

 

以上、主なものだけですが、もっともっとたくさんありました。

 

なお重要な内容について、本人の了解を得たものについては航空関係者や研究者、関心のある政治家、そして一部の遺族の方に、いろいろなつながりを通じて、すでに書類や直接お会いして全てお話をし、お伝えしました。

 

その中で実はもう一つ、公人としての振る舞いで、ビックリしたことがあります。公人であった時期については公にするのが当然ですので、ここで皆さんとその情報を共有したいと思います。

 

 

続きははた明日・・・。

ごあいさつ

このブログは1985年に起きた日航123便墜落事故を当時日本航空スチュワーデスとして勤務していた著者・青山透子が、事故の真相を追い求めて綴ったノンフィクション「日航123便あの日の記憶 天空の星たちへ」(マガジンランド刊)の出版を機に開設した公式サイトをリニューアルしたブログです。

公式サイトに過去投稿された感想や情報および著者・編集部からのお知らせは過去ログとして残してありますので、こちらからご覧いただけます。

http://www.magazineland.co.jp/books/tenku/post.php

 

これからはこのブログで随時情報を発信していきたいと思いますので、皆様からのご意見、ご感想および当時を知る方からの情報、どんなに小さなことでも構いませんので、お寄せください。