昨年同様、今年もご連絡を頂いた多方面で活躍するいろいろな方々にお会いしている。お話する中で、未公開資料や未公開写真を提示して冷静に話を進め、ご一緒に多くの疑問を考え、事実を真摯に受け止めて下さることに、心から感謝を申し上げる。
ちまたにあふれるような単なる批判からは何も生まれないが、こういう方々と共に実証していく中からは、真実が見えてくる。
拙著の第二章に登場する元運輸大臣故山下徳夫氏もそうだった。率直にいろいろな話をした。恐らく無意味な批判をする人ではなく、私と話をすることを選んだ下さった理由がそこにあると思われた。
ご遺族の吉備氏も目撃者の小林氏もそうである。過去、日航123便の本はたくさんあったが、事実を事実として、きちんと受け止めてくれる人で共感が持てるとして、私を選んで下さったそうだ。
信頼関係こそがノンフィクションとして最も大切なことである。その関係性の中で書かれたものがこの第二章であることを十分意識して、共感力を持ちながら読んでくれることを願う。目撃者の事実を安易に捉えることなく、じっくりと一言一言の重みを感じてほしい。
なお、この章のキーワードは「事故原因を追及したら戦争になる」である。
なぜ、ボーイング社の修理ミスと日航側の確認ミスが、戦争になるのだろうか。どちらも民間会社(日航は半官半民の特殊会社)で、どちらも己の罪を認めている後での話である。公表された事故原因で、なぜ戦争になるのか、誰か教えてほしいのはこちらである。特に群馬県警察の県警本部長である故河村一男氏が発したその言葉は重い。どういう根拠でそういったのか?皆さんによく考えてもらいたい。
それにしても中曽根康弘氏は墜落の翌日の8月13日に、米軍のトップ、クラフ太平洋軍司令官に旭日勲章を授与しているのである。和気藹々と和やかな二人の顔が新聞写真に掲載されている。墜落の現場に行かない中曽根氏といち早く墜落現場を発見したアントヌッチ氏に他言無用という指示を出した方が、二人とも楽しそうな笑顔の写真である。
これでなぜ戦争になるのだろうか?その意味を読者の皆さんはじっくりと考えてほしい。
次に、目撃証言を否定する人たちの心根はどこにあるのかを問いたい。
私はこの本を書くにあたって目撃証言をダブルチェックで書いている。
複数の人間が証言した時、それらに繋がりのない、立場も年齢も異なる人の証言は裁判証拠として有用性がある。
例えば、赤い物体も上野村村民、小林氏など複数の人が見ている。
墜落前に日航機を追尾していたファントム2機についても、非番の自衛隊員、上野村村民、目撃情報者と複数いる。
墜落場所不明報道についても、上野村村長、村民が複数、報道機関に自分の村だと伝えている。
見た人間がいる以上、それを否定する根拠を持たない人間は、安易に無責任にそれを批判してはならない。
それからもう一つ。当時の新聞で、発見現場の遅れを自衛隊の怠慢のせいにし、自衛隊がもう少し早く発見出来ればもっと生存者がいたはず、という批判や抗議が殺到した、という新聞記事はいくつもあった。それらの国民的批判に対して、あの時は仕方がなかった、という言い訳を国会答弁の中で山下徳夫元運輸大臣もしている。自衛隊幹部もテレビや新聞で、装備の不備や自衛隊員の安全などを理由にして、批判を甘んじて受ける、としている。
しかし、実際にはいち早くファントム2機を飛ばし、まだ飛行中の日航機を追尾し、墜落現場を知っていた。その事実が目撃情報から明らかであり、むしろ自衛隊はそれを発表すればお手柄になるはずだ。自分たちがこんなに早く発見した、ということで日本政府も自衛隊も、国民へ答弁すれば、それは十分称賛に価する。自衛隊幹部も誇らしげに報道すれば良いではないか。
なのになぜ、わざわざ実際に飛行していたファントム2機の存在を隠す必要があるのか。
事故原因が「ボーイング社の修理ミスと日本航空の修理確認ミス」なのだから、なおさら隠す必要性がない。自分たちの手柄として発表すべきだろう。それが出来ない理由があるとしか思えないではないか。
手柄を捨ててまで一晩中不明としなければならなかった、大きな矛盾がそこにあるのも事実である。