先日、あるジャーナリストと会談をした際、彼は思わず「まさか自衛隊がそんなことするはずないじゃないですか」とおっしゃった。その根拠を尋ねると、うーんと沈黙された。つまり、誰でも心の中に、まさか、という思いがあって、どうしてもその現状を受け入れがたいという心理が働く。私がヒューマン・リソース、人的資源戦略や顧客心理の授業をしていた時に、よく学生たちと一緒に考えてきた心理である。
「まさか、そんな事は起きないと思っていた」は、重大な事態が何か起きてからでは、特にプロならば言い訳にはならない。一般的なニュースを見ても、例えば「いつもおとなしいあの人がまさか殺人者とは」、「一家で仲が良さそうだったのにまさか親子で殺し合いとは」とか・・よくある近隣関係者へのインタビューの会話である。
まさかという「魔の棲む坂」を登って冷静に上から見てみると、下からでは見えてこない何かが見えてくるのである。
さて今回は、第一章で重点的に読んでほしい部分を取り上げる。
今日において防衛費が膨張し続けている中で、現在の安倍首相は長距離巡航ミサイルと一基約1千億円の陸上配備型弾道ミサイル迎撃システム「イージス・アショア」2基導入を検討しているそうだが、この話は実は1985年8月7日の中曽根康弘元総理大臣の言動と非常に似ている。日航123便墜落の5日前、防衛庁(当時)は地対艦ミサイル部隊新設と地対空ミサイル部隊の新型パトリオットミサイルへの切り替えを国防会議で公式に報告した。
昭和61年度から5ヶ年計画(防衛力整備計画原案)の抜粋は次の通りである。
①北方重視の観点から陸上自衛隊の師団改編を行い、地対艦ミサイル部隊を新設する
②P3C対哨戒機を百機体制とする
③地対空ミサイル部隊は旧式ナイキからすべて新型パトリオットに切り替える
(1985年8月8日付毎日新聞)
中曽根首相(当時)の「海空重視」論に沿っての防衛計画に示された防衛水準の達成を期する内容であり、この5年間の防衛費は19兆円と見込まれ、対国民総生産(GNP)比1%枠の突破は必至であると書かれている。
シーレーン防衛強化を打ち出し、昭和62年度に開発完了の地対艦ミサイルSSM-1を導入し、焦点となる新型艦対空ミサイルシステム護衛艦調達について、洋上防衛全般の検討研究、期間内導入を目指し、地対空ミサイルは新型パトリオットにすべて切り替える、という記事である。しかしながら、日航123便墜落の後、急にトーンダウンして、ミサイル導入計画が先送りされてしまったのはなぜだろうか。専守防衛の範囲を超えるとの批判からか?それならば、その批判に答え、それでも導入をすると語っている。さらに、その後、制服組よりも背広組(内局)の機能強化を打ち出し、人数を増やすと言ったのはなぜか。(拙著P66)
中曽根首相が1985年8月7日に最新ミサイル導入をぶち上げたその5日後、「まつゆき」の公試中、まつゆきからか?ほかの場所からか?何等かの赤い物体が飛び出てしまった、とすれば、普通に考えても、辻褄が合う。何等か新型のものを試運転中、プロモーションの最中に「まさか」が起きた、とすると、全て繋がってくるのではないだろうか。
拙著の第1章の中曽根氏の部分ををもう一度読んでほしい。
そこで私が最も危惧することは、何か起きた際、まさかでは済まされず、その結果についての責任の所在である。当時を振り返って中曽根氏は、日航123便墜落に関して次のようにご自身の著作物で述べている。
「あの時は官邸から米軍に連絡を取らなかった。しかし、恐らく防衛庁と米軍でやり取りがあったのだろう(中曽根康弘著、戦後日本外交史より抜粋)」
これを読んで皆さんはどう思われるだろうか。
あの時、日航123便墜落について、もしもその理由が「まさか」であっても、この国の政治責任者は首相だ。
当然のことながら、自衛隊の上に防衛大臣、首相がいて、内閣がある。念のため、防衛省の組織図をご覧頂きたい。下記HP
http://www.clearing.mod.go.jp/hakusho_data/2014/pdf/26020202.pdf
中曽根氏は、当時、自ら自分の置かれた立場や役職、そして自分の存在意義を否定し、回避し、知らんぷりという姿勢を貫いたと、自ら語っているのである。この時の中曽根氏の姿勢や行動こそ、今も脈々と続いている政治の無責任な体質ではないだろうか。
これほどのことを堂々と書いたということは、御本人が総理大臣として無自覚だったのか、余程の無知ということになる。長い人生の中で間もなく100歳となろう方が、さらにご立派な勲章を頂いた方が、520名の死をどう考えているのか。戦争でもない1985年に自分がとった行動を、自ら深く反省しなければならない理由がそこにある。
第一章に書いた私と故山下徳夫氏との会談で、次のような雑談もした。
「何かの功績をしたから、別の罪が軽くなるなどはありえず、それは刑法上当然のことです。また、墜落場所の上野村のために、多額の固定資産税が落ちるように神流川発電所を作り、その維持運営という理由で御巣鷹の尾根への道路を整備し、トンネルを作ったことで遺族が慰霊に行きやすくなった、ということと、自分の犯した罪が消えることは別です。自衛隊が多くの災害活動で活躍したからといって、誤って罪を犯したとするならば、その罪と相殺はされません」と。
山下氏は十分納得されて聞いておられたのを思い出す。そして、それを語れる貴女に会いに来た、という感じであった。数多いメディアやジャーナリストの中で、私にお会い下さった理由はそこにあるのだろうと勝手に思っている。
私がその昔、学芸コンクールの文筆部門で賞を受賞した際、首相官邸にて授賞式の際にお会いしたのは三木武夫首相、永井道夫文部大臣で、その写真もお見せした。
あの時、受賞者全員の前で三木首相(当時)はつぎのように話された。
「あなた方受賞者たちは、芸術という武器でぜひ日本の未来を変えてほしい。ペンや彫刻刀、音楽などを武器として、本物の武器ではなく、その才能で国際平和と日本のために頑張って下さい」
まさに、ペンは剣より強し、である。そして、ペンを権力への迎合のために利用してはならないという戒めである。
山下氏の他にも、随分前になるが池田隼人首相夫人の池田満枝氏(お家の応接間にあった5メートルぐらいの長細い大テーブルが印象深い)、秘書の木村貢さんにはよく自転車会館にてお会いした記憶がある。さらに大平正芳氏、増岡博之氏、加藤紘一氏、谷垣禎一氏(自転車で落車?でリハビリ中)、安倍洋子さん、安倍晋三夫妻にもお会いしたことがあるが・・・。
官僚の中には優秀な人もいるが、どちらかというと省庁間の都合や自分の出世を優先させて、その視点から物事を考える癖がついている人が多い。その際は関係者やマスコミに正しい情報を与えず、自分たちの都合の良いことのみを伝える。さらにオ〇〇の軽い神輿を担ぐことが一番良いと思い込んでいる人もいる。
損得を越えて先行きを憂いて、現在の体制に物申す人間がいなくなった国は、独裁国へとなり下がるのは世の常である。
人間の陥りやすい権力志向(いわゆる首相や官僚、警察などの組織)の人やそれを安易に担ぐ人も「まさか」が起きると同罪となる。いくら自分たちの所属する組織を守ったからと言って、結局のところ、最終的な結果は担いだ個人についてくる、ということを肝に銘じていかなければならないのである。そして最も重要な点は、そういう自分を好きになれるか、そういう生き様を肯定できるかである。〇〇の為だから、〇〇を守るためだから、大事の前の小事、という理由は、偽りの心の慰めにしかすぎない。究極の自己愛でそう言い聞かせても無駄である。そう思いながら、もう一度第一章を読んで頂きたい。
青山透子
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2018年1月23日の草津白根山噴火の際、訓練中に負傷、死亡者の出た陸上自衛隊の相馬が原駐屯地の部隊は、1985年8月12日の墜落後、夜間に最も早く御巣鷹の尾根に向かって出発をした偵察隊のある部隊である。心からご冥福をお祈りする。
2018年1月26日、戦後の大物政治家の野中広務氏が92歳でご逝去された。ご自身の戦争体験をもとに、憲法改正に反対の立場から発言を続けた筋の通った方だった。哀悼の意を表したい。
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管理人です。
皆様からのメールや新年のご挨拶、お手紙を有難うございました。
その一部をご紹介します。
「(略)新聞広告欄を見てこの本の存在を知ったものの、また誰かが興味を引くためにいい加減なことを書いているのかとしか思っていなかったのですが、たまたま読みたい本を探して本屋に入り、書棚でこの本を見つけ、数ページを読んで、これは実際に足を使って取材した証言をもとに書かれた本であると気づき、その内容に驚愕しました。(略)この本に巡り合えた縁に感謝しつつ 合掌」/僧侶の方からの手紙
「~非常に重要な書籍であると思い、その気持ちを伝えたくて手紙を書きました。(略)頭脳の明晰さや洞察力の鋭さを感じるとともに決意や信念の強靭さも感じました」/内科医師からの手紙
「私たちの疑問に答えてくれた内容に感謝します。元パイロットで、貴女の本を批判している方は、事故当時はアジア航空に出向中で、いつも夜の宴会ゲームに興じてたようだが。御巣鷹の尾根の整備や草取りにも行かず、いっぱしのコメンテーターとはちょっと笑える話ですね。さすがにあの本の書評を書く人はいないでしょうから、必死に自分の経歴を自慢して某週刊新聞に売り込んでいるようです。今年も8月12日のコメントを言わせてくれと、ディレクターに自分で自分を売り込むしかない様子です。情けない」
元日本アジア航空ハ〇ン〇宴会部長
「日航の社長交代が新聞に出ていました。六二(ロクニイ)入社の赤坂祐二君になったそうですが、青山に対して赤坂とはなんとも面白いゴロ合わせだね。赤川だったらもっと面白い。社長就任に際して85年の日航事故の衝撃について語っている記事だったが、しかしながら、当然、入社すると決まっていない2年前の出来事であるわけだから、一般の人と同じようにテレビの報道で知った程度であろう。つまり、実際にあの時、内部で整備の苦しみを経験していたわけではないから、彼がどこまで、どれほど知っているのかは大変疑問です」
元整備関係者
いろいろと情報を頂まして有難うございました。