先日、ある遺族の方々から、心を込めて書かれた拙著への感想と感謝の分厚い手紙を受け取りました。私の本への感謝のみならず、32年間の深い悲しみ、ネット上でのほんの数人による愚かな人の言動に対する怒りの言葉がありました。その一部を、皆様にお伝えしたいと思います。
事故犠牲者として、ご自分の2人のお子様(当時中学生の男の子と小学生の女の子)の名前を書かれた方は、32年間の無念さと事故原因究明を胸に、全く動かない事故調や世論と戦ってきた日々だったとのことでした。
「墜落事故の真相と真実を求め続けている遺族にとって、青山氏の本は多くの勇気と希望を与えてくれました。貴重な目撃証言を集めて真摯に事故原因を究明する姿勢を持ち続けておられ、拝読して深く感動しました。その懸命な努力と執念に深く感謝します」
事故時の日航社員として、本当にありがたいお言葉でした。
そして、次のような方もいらっしゃいました。
「自分が気に入らない内容だからと言って、すぐ陰謀と烙印をおして、本の価値を下げようとする愚かな人間へ一言言いたい。それは僻みなのか、愉快犯か、こういう愚かな人は、この本を陰謀論として烙印を押し、ご本人の学歴がどうの、経歴がどうのと別の問題を上げ連ね、いかにも本の内容が嘘であるがごとく書く情報を垂れ流し、私たち遺族の心を踏みにじる人がいる。これは、遺族にとって怒り以外の何物でもない。
また、この本を推薦してくれるジャーナリストや有識者への誹謗中傷も私は絶対に許さない。悪質な場合、即、調査をして、誰が書いたか特定する。本当に情けないです。
そういう迷惑な人は、たぶん次元の低い人間か、学歴コンプレックスか、相手を誹謗することで優越感を持ちたいのだろうが、実は自分が自分を貶めていることを気付いたほうが良い。もしかすると、当時の関係者かその後輩たち(省庁など)かもしれない。いくら素性を隠しても無駄である」
「私ら遺族への事故原因説明会で、群馬県前橋で当時の検事正から、『事故調査報告書もあいまいだ、ボーイングも修理ミスをしていないと言い、修理者名も特定されず、他の航空機事故との比較においても、状況は異なり、全く123便の事故原因のようにはならない。本当にこの事故原因はわからない』と聞いた私にとって、長年原因を独自に追及してきました。そのような中、目撃証言や新事実を提示した青山透子氏の本でつじつまが合いました。
皆さん、青山氏の参考文献にもありますが、国会図書館に行って、8.12連絡会の群馬県前橋地検による説明会議事録をお読みください。なんだ、これは、こんなに不透明な事件なのだ、とすぐわかります。そして、無責任に陰謀論だからとレッテルを張る人が、いかにくだらない、愚かな人かすぐわかりますよ。
陰謀とは『密かにたくらむ悪い事』という意味だとすると、逆にそれを書いて相手を陥れようとする迷惑な人たちこそ陰謀論者と言えるでしょう」
こういう怒りの言葉があることを読者の皆様にしっかりとお伝えておきます。
最後に長年交流を深めているある大学の元学長からの手紙です。
「すでに9万部突破との記事で、日本国も捨てたもんじゃないと思いました。子供たちの目撃証言が良識ある大人たちの心を揺さぶったのです。貴女の炯眼に脱帽です」
大学のあるべき姿とは何か。哲学的社会観をしっかりと持ち、金もうけではなく、本来の学問を通じて、何を伝える場であるか。それをいつも語っておられた元学長の言葉に感慨無量でした。
私も実は無名のノンフィクション作家ということで、どこまで皆様に読んで頂けれるのか、不安でした。本当に皆様の良心に感謝申し上げます。
私はこういう言葉を励みに、さらに努力をしていきたいと思います。
また余談ですが、笑ってしまうようなことで相手を陥れようとする魂胆がある人がいると初めて知りました。念のため、経歴、受賞歴、学歴は全て出版社に学位記、賞状等を提示し、写真もお見せして全て確認済みです。どこかの誰かとは違います。どうしても確認をしたいのであれば、作家の個人情報保護のため、顧問弁護士によって証明させて頂きます。申し込みの際は、先にご自身の経歴、その背景を明らかにしていただき、確認後は、全てその無責任な言葉を書いたページに、謝罪文を載せて頂くことを条件にします。
いずれにしても、遺族の心を踏みにじり、亡くなった方への想いをないがしろにすることは、天空の星たちが許しません。
あの日の事実を追及することは、故意過失を問わず、平時の日本において、何がなされたかを明らかにして、罪人をのさばらせないことに繋がります。
さらに無責任な書き込みによって傷つく遺族が一人でもいる以上、それを指摘し、事実を捻じ曲げた人がいる以上、その人間の罪の重さを自覚させていかなければならないのです。たとえ、今後、この問題を封印させようとしても、その人間が犯した罪は一生消えません。永遠に消え去ることはないと肝に銘じてほしいと思います。
そして、二度とあのような悲劇が起きないようにするには、どうしたら良いか、私たちはいつまでも考え続けていかなければならないと思います。