4月に入り、キャンパスにも新入生、会社では新入社員が新たな風を運んでくれるようなさわやかで新鮮な毎日ですが、当然ながら1985年の123便事故後に生まれた人ばかりです。JALの事故を全く知らない人も多く、私がショックを受ける季節です。「お父さんお母さんから少しだけ聞いたことがある」というのが半分位でしょうか。
さて、実はあの事故にあったマレーシア航空370便に搭乗予定だったという学生の話を聞きました。春休みを利用してバリ島などに行き、マレーシアから中国へ入って帰る予定を直前に変えたそうです。とてもショックを受けてました。その子たち(女性数名)は日本人ですから、もし彼女たちが乗っていたならば、メディアはもっと真摯に積極的に報道し続けているでしょう。
どうしても、日本人がいるかいないがいつも報道の大きさを決めてしまいます。いなくても報道は続けるべきではないでしょうか。
さて、1985年に民営化をしたマレーシア航空は日本航空と一同じように以前は政府が筆頭株主でした。
マレーシア航空は乗員乗客239名が搭乗しており、また韓国のフェリー事故は約459名位が乗船していたと報道されています。
でも、皆さん、この数字、520名が犠牲者となった日航123便事故よりも下なのですよ。わかりますでしょうか。この重みを。
隣国では大統領の引責につながっているほどの対応の悪さや事故処理の報道です。
一方、1985年8月12日、日航123便事故時の中曽根首相は、520名の犠牲者を前にして、半官半民の航空会社の事故でありながら、隣の軽井沢でゴルフやテニス、水泳で忙しく、8月、9月と一度も事故現場に足を踏み入れませんでした。
それを許して、それを報道しなかったのが、残念ながらこの私たちの国なのです。
年代が違うといえばそれまでですが、いくら年代と言っても29年前。
戦争中でもあるまいし、この国民性を私たちは自分を含めて客観的に見直す時期に
来ているのではないでしょうか。
なぜそのような愚かなマネを中曽根氏はしたのでしょうか。
なぜ、それを報道せずに、記者たちは許したのでしょうか。
私は、これはマレーシア航空機事故にもつながると思っています。
ある新聞では、マレーシアの警察当局が「この事故原因は一生見つからないかもしれませんね」と言っていたことを書いていました。
日航機事故の群馬県警もそのような雰囲気で、さらに裁判で、日航が不起訴となった際も、担当検事が「私もこんな資料で事故原因などわからない」と叫んだ記録が出てきます。
これらは、もし事故原因を作ったのが軍事関係者だとすると、全てが解決出来ますね。米国のTWAですら、今頃事故原因が違っていたという報道が出てきました。
軍事費は膨大で、利益も多く、数多くの企業が参画して原発同様、人とお金の問題や地域問題など全てがどうしようもないほど絡み合っています。
国家機密も幅を利かせます。ミスしても軍が隠ぺいするのは民間より簡単でしょう。
例えば、上官が人道的におかしな命令を出した場合、ドイツなど欧米諸国では、市民オンブズマンが監視し、法律でも、「違法な命令は聞かなくてよい」と明記されています。しかし、日本の自衛隊法にはそれがありませんし、上官はみな良い人、という前提で書いてあります。
これらすべてを見直すことが、世界中から不可思議な事故原因不明の事故を防ぐ唯一の手段だと考えます。
最後に皆さんに、御巣鷹の尾根にある石碑の言葉を送ります。生の写真は私の本に入っています。この文言は、そういう角度から見ると、とても納得できます。
『日航123便で死亡した520人の犠牲者一人一人がどうして死ななければならなかったか、関係するあらゆる事実を解明し、将来の安全に役立てることこそ真の供養である 2004年8月12日 航空安全国際ラリー組織委員会』
この石碑は、123便事故原因を担当した米国国家運輸安全委員会(NTSB)のジム・バーネット氏と遺族の方々が作ったものです。バーネット氏は引退後、御巣鷹の尾根に登山しました。
バーネット氏は既にお亡くなりになりました。共同通信の記事を添付しますので
ご覧ください。
ジム・バーネット氏死去 米運輸安全委員会元委員長
ジム・バーネット氏(米運輸安全委員会=NTSB元委員長)16日のAP通信によると、15日、糖尿病の合併症のため米南部アーカンソー州クリントンの養護施設で死去、62歳。
85年8月の日航ジャンボ機墜落事故の米国側調査責任者。現場となった群馬県上野村の御巣鷹の尾根に建てられた石碑の碑文の作者として知られる。
47年、同州リトルロック生まれ。ハーバード大ケネディスクール修了。82~88年に米運輸安全委員会の委員長を務めた。
石碑は墜落事故の遺族で組織する「航空安全国際ラリー組織委員会」が94年8月に建立。再発防止を願うバーネット氏の言葉が日本語と英語で刻まれている。(ワシントン共同)