青山透子公式サイト 日航123便墜落の真相

日航123便墜落事件の真相を追究するー歴史的裁判開始の幕開け

人間としての責任 青山透子

何故、オリンピック延期が決まった途端に、東京の感染者が一気に増えたのでしょうか。

何故、オリンピック延期決定前とその直後で、専門家会議の人たちの発言に温度差があり、急激に危機感を示し始めたのでしょうか。

何故、森友問題で亡くなった方の遺書が発表された途端、名指しされた佐川氏と麻生太郎副総理の姿が見えなくなったのでしょうか。

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これらの答えは、ここ数週間のニュースを逆さ読みしていけば、皆さんもすぐに気づくはずである。表に出ている理屈と裏の事情が透けて見え、あまりにもわかりやすい。

さて大麻精神病が争われた相模原障がい者施設殺傷事件は死刑が確定した。なお、被告人には大麻以外の成分は見つからなかったということだった。大麻を医療用と推進する人がいるが、これらはうつ病の薬のように医師の管理下での治療とは全く異なる。裏に金儲けが絡んでいる犯罪者だ。芸人のみならず、官僚や政治家、軍隊と、人としての責任を放棄している人々がいる。

参議院議員会館でも大麻草を栽培していた形跡があるという。

dot.asahi.com沖縄で明らかになった福岡と福島の町議会議員と米軍の大麻ルートもある。

https://www.okinawatimes.co.jp/articles/gallery/508551?ph=2

そして高校生摘発の汚染地域も問題だ。

<社説>大麻売買で20人摘発 高校生の実態調査急務だ - 琉球新報 - 沖縄の新聞、地域のニュース

陸上自衛隊高等工科学校の高校生も大麻だ。

陸自高等工科学校生が大麻 5人を退校の懲戒処分 - 産経ニュース

そのほか、自衛隊伊丹駐屯地の隊員の逮捕等が続いている。

文部科学省経済産業省も官僚たちが逮捕されている汚染の実態は何を物語っているのか。

www.asahi.com

キャリア官僚、庁舎内での覚せい剤使用が蔓延か…経産省や文科省で逮捕者相次ぐ

参議院議員会館や官僚、町議会議員、高校生、自衛隊、米軍とのつながり、これらは氷山の一角である。

この問題を追及すると、某担当者の話では、逮捕したくてもできない人々がいるらしい。それらは悪事し放題だと聞いた。それでよいのだろうか。法に反していいはずがない。相模原障がい者施設殺傷事件の被告人同様、都合勝手な快楽と偏った精神をもたらす犯罪者である。

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新型コロナウイルスで社会的活動や行動を自粛している今、日本の死者も70人以上、世界中で死者が4万人を超えた今、国際的な視座で物事を考えるべきだろう。

レストランならいいだろうと花見でもなんでもやりたい放題、夫も言いたい放題。貴女を知るミャンマー子供たちは見ている。そんなあなたを誰が尊敬できようか。まるで大麻精神病的な乱暴な発言を恥ずかしいという気持ちもなく、あまりにも下品な様相をさらけだしている。私がお会いした時のあのご夫婦は、生き生きと目が輝いていた。今やその目はウロウロとうつろで空を舞う。

医師でなくても見破られるだろう。

そして周りにいる人間は誰も心の底から本気で注意しようとしない。

どんなにお金と地位があろうとも、日本ではもみ消しても外交の世界では通用しない。要人の醜態は日本外交に悪影響をもたらす。そんな人を誰が信頼できるのか。その人の発する言葉に誰が従えるのか。

そして、裸の王様となる。それこそが本人のためにも国のためにもならない。

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例年の4月1日入社式が、ネット会議での実施となったのは異例のことである。日本航空は式典で新入社員が紙飛行機を飛ばすこともなくなった。

私達の頃の入社式では式典の後、バスでそのまま土気の合宿所に連れて行かれた。千葉県土気の日航研修所は奥深い山の中にあり、木々に囲まれた大きなグランドで、朝の6時起床、ラジオ体操、マラソンをしたことを思い出す。結構大変だったが、初めて顔を合わせた同僚たちと楽しい思い出のひとときであった。さらに、土気といえば「模造紙」が目に浮かんでくる。グループミーティングとそれを発表するための模造紙だ。JALでの研修はいつも模造紙だった。

昨年、土気の近くに行ったので懐かしくてその場所を探してみた。山々は、今ではチバリーヒルズがある大きな住宅団地となっていた。研修所も改修されて老人ホームに売却されていた。ただ、門の付近に見覚えがあり、ほのかな記憶がよみがえった。

あの頃は、まだ日航123便が墜落するとは夢にも思っていなかった。

勿論、その後も事故原因が違うなんて気づきもせず、クルーで飛んでいるときは考えもせず、本を書く際、過去にさかのぼって一次資料を読み込むまでは何の問題意識もなく、公式発表に全く疑問を持っていなかった。

しかし、知ってしまったのである。こうなったら、やるべきことは何だろうか。知って知らぬふり、無視、長いものに巻かれろ、自分の損得だけで考える、そう言い切る人もいる。

しかし、私がご遺族と対面し、目撃者と話をし、老いた検死医師の訴えを聞いた時、私に出来ることは死者となってしまった人たちの声を丁寧に拾い集めることだと悟った。

それは人としての役割であり、人間としての責任だ。私は多くの弁護士や研究者たち、読者の皆さんと知り合い、励まされ、支えられてきた。私の本に愛読書としてカバーを付け、枕元に置いてくれる、何度も付せんをつけて読んで下さる、そういう手紙が次々届いた。10万人を超える読者の皆様とのご縁は計り知れない宝物であり、このサイトを訪れる90万人の皆さんの力で確実に物事は今、進んでいる。

 これ以上、日本航空は隠蔽に加担する人間を増やすことなく、あの日を知る人間によって真実を明らかにすることこそ、未来の社員たちへの本物のメッセージだと考える。自社のパイロット仲間や客室乗務員が墜落の直前まで乗客の安全だけを考えていた彼らの無念の気持ちを想いやるべきだ。

これ以上の隠蔽は決して許されない。これが今年、墜落後35年目を迎えるJAL新入社員の皆さんへOGからのメッセージである。

 

 

 

 

 

 

 

 

真のおもてなしとは何か 青山透子

まず、先日見た海外の映画で、次のセリフが大変印象深かったので、皆さんにお伝えしたい。

「あの社長は、実力も経験もあってクライアントの要望に応えるためには異常なほどの強引さで今まで突っ走ってきたが、最近、だんだんとおかしな言動が増えてきた。社長は30分毎に席を外してトイレに行き、いったい何を飲んでいるのか。飲んだ時だけ意気揚々としている。会議では、議事録にも書けないほど意味不明の言葉が多すぎる。そんなあなたのもとでは働きたくない。人に隠れて薬物を飲みながら物事を決める社長の下では働けない。そういう人は、必ず自分がやりたい方向にだけ動き、私たち社員や相手を犠牲にしてもいい、と言い出す」

薬物汚染が深刻な外国では、職場で当たり前にこのような会話をするのだと、相模原障がい者施設殺傷事件の判決を聞きながら思ったのである。大麻精神病も作用し、他人の意見を聞かず、異常なほど偏った自分の思考が凝り固まっていくのだろう。

そういう人と日常的に接している人は、その人のおかしい言動はすぐわかる。しかしながら、本人は自分の異常な言動が全くわからない。驚くべき恥を重ねていても、相手があきれるほどのふるまいでも、本人は全てを正当化し、薬物の作用によって自分だけ気分が良い。

当然のことながら、そういう人がリーダーの場合、それを支える必要などなく、強制的にやめてもらうか、早急に対策をすべきだ。あのような悲惨な事件が起きてからは遅く、誰かが止めなければいけないのである。

つまり、薬物依存者がリーダーになったら大変恐ろしく、こういった不適格者を放置すれば、間違った方向性にいってしまうのだということを映画で語っていたのである。

 さて、新型コロナウイルスの影響はあらゆる方面に及び、日常を非日常とし、お互いの国の国境を封鎖させた。

当然のことながら航空産業は国と国を結び、平和的交流を深め、経済活動を推進する。それが公共交通機関の役目だ。しかし、つい2か月前のお正月に誰がこの状態を予見しただろう。全日空は、客室乗務員5千人を休職する交渉をしているという。

空港は飛ばない飛行機たちで溢れている。毎日、おびただしい数の飛び立つ飛行機を撮影していた航空ファンも、飛ばない飛行機を撮影するのはつらいだろう。

それにしても、チャーター便で中国から邦人を運ぶ役目を果たした全日空には、心から頑張ってほしいと願っている。あの時、客室乗務員は一人も感染していなかったのはすごい。恐らく全員が緊張感をもって徹底していたからだろう。

それに対して先月末、日本航空ではシカゴ009便乗務の50歳代の客室乗務員に感染者が出た。今後はアルコール検査のみならず、発熱検査も追加であろう。いずれにしてもJALも国内線が1,268便、国際線が2,140便が運休するとは思ってもいなかったはずだ。

 

東京オリンピックをやりたい人の気持ちもわかるし、中止することで経済効果が減少する恐れを抱くことや、何の決断もできない首相がいることもわかってきた。なによりも、主役の選手たちが最高の環境で競技ができない、予選もない、練習もできない、感染する恐れが多大にある。その中で7割以上の国民はオリンピック開催は無理だと考えているのは当然である。

私達が考えるべきことは、オリンピック誘致の際にあのタレントが言った「お・も・て・な・し」は何なのかである。単なるパーフォーマンスであってはならない。

相手は目に見えない病を引き起こすウイルスなのだ。その中で、他国の招待されるほうも迷惑だという考えに及ばなければならない。意地で聖火を運んできたとしか思われない。

現にイギリス王室は郊外に避難して、エリザベス女王も今は日本の天皇と皇后にお会いしたい、とは言わないし、こちら側も遠慮して予定をキャンセルした。これが常識である。

常識を超えた「勝手なおもてなし」はありえず、他国の皆さんを振り回してもいけない。さらに薬物依存的発想で突き進み、まるで先の戦争へ向かったときのように蛮勇を振るうのでもなく、冷静な判断をして、勇気をもってやめる決断するのが、本当のおもてなしの精神であろう。求められるのは「引き返す勇気」である。パイロット仲間で言われているこの言葉についてはまた別の機会に。

専門家の皆さんは、自分の仕事への使命感と信念に基づき、公衆衛生の視点を重視して、政府の思惑や圧力に屈してはならない。そうしないと、日航123便の事故調査委員のように、永遠と歴史的汚点を残すことになる。オリンピックが、新型コロナウイルスの世界的大流行のクラスターの場と化す、その時では遅い。

「うちはウイルスが減ってきたから大丈夫」と言って嫌がる人々を無理やり招待し、「今までお金をかけて準備していたのだから、儲けられないので来てもらわないと困る」という精神は、おもてなしの精神ではない。

 

 

当たり前のことをきちんとすることの強み 全日空に敬意を表する 青山透子

今、新型コロナウイルスの封じ込めと拡大阻止で世界中が連携している。

米国ではそのための資金を捻出して各国に提供するとし、民間企業は中国に向けて大量のマスクを提供した。研究者たちは人から人へ急速に広がるそのウイルスに対して有効な薬を見つけるために必死に研究している。各国政府は、次々に降りかかる難題に最善の方法を模索しながら、冷静に対応しているはずだ。

ただ、なぜか邦人帰国のために使用することを目的の一つとする政府専用機は使われず(恐らく様々な理由があったのだろうけれども、まだ新品だから、とか、首相や天皇が使用するからということだろう)、その代わりに全日空が何度もチャーター機として行き来している。そのANAの飛び立つ翼に、これで確実に全日空が日本を代表する翼となったと思った。その敏速な行動は、冷静に着実に、かつスピーディに仕事をこなすプロとして当たり前とはいえ、日頃の優れた企業統治の現れだろうと推察する。心から敬意を表したい。

これは、いつまでも決断できない日本航空の没落も意味する。

そして、思い出した、あの日のことを・・・

1985年3月20日、「イランの邦人ー260人無事救出」これは新聞各紙のトップ記事の見出しだったが、思い出す方はどれぐらいいらっしゃるだろうか。読者の皆さんには覚えていない方も多いだろう。

あの1985年の年は本当にいろいろあった年で、イラン、イラク戦争が勃発していた。米軍による支援で軍備が充実して強気となったイラクが、突然、3月19日の夜8時以降イラン領空全域を戦闘地域とし、飛行する全ての民間機を攻撃、爆破すると宣言し始めた。各国の外務省は自国民救出のためのチャーター機政府専用機を次々と用意して自国民救出を開始した。イラン在住の日本人たちは、各国の飛行機が飛んできて、その国の人たちを乗せて飛び立つ姿を見ながら、いつ、日本から飛行機が飛んでくるのか必死に待っていたのである。

ところが日本航空は、当時ナショナルフラッグキャリアで政府が株式の半分を所有していた半官半民にもかかわらず、その時準備をしていたとはいえ、諸々の理由をつけて現実には全く飛ばなかったのである。また当時の国際線は日本航空のみであった。日航内部では、危険区域に飛行することに手を挙げる機長がいなかったとか、乗員の安全確保が不十分だった、赤組と呼ばれていた共産党系の組合側が異議を唱えた、というのが本音であったように記憶する。

このいきさつは、私たち一般職員(半官半民だったので社員ではなく職員と呼んでいた)には、その経緯も含めてよくわからないままであった。私はまだ新人時代で自分たちの青組といわれていた会社側の御用組合が飛ぶものと思っていたのを覚えているが、それも協力せずに、一機も飛ばなかったのには驚いた。何のための日本航空だったのか。まさか無料航空券を官僚や提灯記者、政治屋にふるまうために存在していたわけではあるまい。

あの時、日本政府に見捨てられたイラン在住の商社マンをはじめ日本人たちは絶望していたのである。一体どうして、なぜだと、本当につらかったと思う。なお、これらのいきさつは、『よいしょ』とやらせ記事の多い故中曽根康弘元首相の追悼記事でも一切出てこなかった事実である。その政府側の失態を当時の方々はしっかりと記憶しているであろう。

さて、1985年3月19日のイラン空域飛行閉鎖ぎりぎりになって、日本人救出のために手を挙げてくれたのがトルコ航空だったのである。これについては下記毎日新聞報道をお読み頂ければと思う。なぜトルコ航空だったのか。1890年の和歌山県串本沿岸沖でのエルトゥールル号遭難事件とつながっているのである。

 つまり、これらのことからもわかる通り、一人ひとりが培う信頼関係をもとに、人間としてのあるべきふるまいや良いつながりがその国の安全保障を確実にもたらすものだということである。

なお、その時のトルコ航空機長がオルハン・スヨルジュさんであり、既にお亡くなりになったが、その名前をつけた公園(火の山公園トルコチューリップ公園)が友好都市である下関市にある。そのページも下記に併せて記載しておく。

私たちが今すべきこと、それは積極的な戦争準備や自衛隊軍備増強ではない。国民にとって戦争や武器を持つ戦いで得られる利益などない。人間による憎しみの争いからは何も生まれない。

国防を超えた訓練のために高額で島を購入したり、設置しても活用する頃にはあまり意味のない超高額武器を買うことや、軟弱とわかっていながら土壌改良に未知数の多額のお金を注ぎ込み、一部の人のみの利益でいたずらに海を汚すことでもない。

隣国をあおり、敵を想定した暴言で金もうけするジャーナリストや知識の乏しい作家をのさばらせることでもない。こういった暴言やあおりで得られる利益などないと、今更ながら経団連も実感しているはずだ。どこに向けて政治献金をして、あまり意味のない企業献金の結果、何の利益があろうか。そのお金は別のことに使ったほうがいいと当たり前に思っていることだろう。

政治屋の『票になるから、献金してもらったから』、官僚等の『自分の息子を〇●に入れてもらったから、自分が出世できるから』、どこかの知事が『〇●を教授にしてあげると関連企業の票が入るから、自衛隊基地関係者の票が入るから』、その他、あの人がパイプ役だから、この人を呼べば補助金も入りやすいから、学生を勧誘して増やしやすいから……

こうやって自己都合で仕事をしていたら、逆に何のために自分が存在しているのか、そもそも己の仕事の意味の本質を見失っていくのは目に見えている。そのうち悪意を持った人におだてられ、褒められていい気分になっていく。これは大麻精神病で高揚して気が大きくなる病状と同じである。特に精神力が弱い人ほど、弱気ではないと身振り手振りで大きくふるまうが、この傾向は軍隊関連に多い。

自分だけは大丈夫という、おごりも許されない。偽りの行為は、それをしっかりと見ている人がいる。これらが未来の子供たちに尊敬されるはずなどない。

もっと自分のしてきたことを正当化せずにきちんと見つめるべきだ。

その役割に応じて当たり前のことを着実にすることが未来につながる。経済活動も含めて世界中で国境を越えて、人は密接につながっているのであるのだから。

今回のことで航空業界や観光業界の打撃は大きいが、それは起因が未知のウイルスによる病気である。その克服に世界中が手を結び、解決する利益は大きく、きっと良い未来につながっていくと信じている。

 

1985年3月20日の記事(毎日新聞

mainichi.jp

 

www.city.shimonoseki.lg.jp

176人の命が教えたイラン軍の誤射と謝罪

「航空機事故調査はドライでなければならない。政治的干渉があってはならない」

新刊本「そして法廷へ」p88からp100をぜひお手に取ってお読み頂きたい。英国の元事故調査委員で、現在ICAOの航空情報通達メンバーであるD.G氏にお会いした時に彼が私に言った最初の言葉である。

そして彼の名刺の裏には「ブラックスワン」が描かれていた。

この意味も新刊本p99に書いている。

世界中の不透明な航空機事故では委員長交代劇が起き、さらに政府が運輸大臣をコントロールし、事故調査委員が従順で問題意識が低い国はゆがんだ報告書を出してくる、そう彼は私に教えてくれた。これらはすべて日航123便事件にも当てはまる。

そのような世界的情勢が否めない中で、あっぱれ、という言葉がふさわしいかどうかは別として、よくぞイラン軍は自分たちのミスを認めて謝罪した。

そこに至るまでに逃れられない事実が発覚して様々な理由があったといえども、なすべきことをなす国だという評価は上がる。このように、事故調査における透明性と情報開示は相手に謝罪と反省のみならず世界的な信頼をもたらす。日本のように、公文書をないがしろにすることがまかり通り、いつまでたっても事実を隠蔽すれば、再発防止というスローガンばかりが先に立ち、一向に問題解決にならないのはこの事件で明らかだ。今回、ネット社会や映像技術、さらに衛星からの監視等、技術は使いようで透明性を高めるツールとなることが再認識されたが、逆に最新鋭のミサイルによって今回のような悲劇が起きる。米国のケンカを売るような行為もしかり、イランの報復もしかり、こういった戦時的体制は必ず民間人を巻き添えにする。

通常通り離陸して、高度を上げていく最中、先ほど飛び立った国(母国)からまさか自分たちめがけてミサイルが飛んでくるとは思わなかっただろう。本当に痛ましい事件である。

余談ではあるが、よく日航123便にミサイルが当たったらその場で大破するというのが荒唐無稽説の人にいるが、私が仮説として取り上げたのは、非炸薬炸薬が入っていない)模擬ミサイルや模擬標的機の話である。例えば、ガソリンが入っていないカラの缶をぶつけても、その場所がへこむくらいで、大爆発はしない。

 

こういった惨事が繰り返されないようにする私の究極的な提案は、現在イスラエル航空が設置しているようなミサイル回避装置を飛行機に装着することである。お金がかかるならば、燃料サーチャージ同様、ミサイル除去装置付き飛行機には特別付加料金をとればよい。全ての民間航空機に装着すべきという法律を定めてもよい。

今後さらに軍隊によるミサイル開発や宇宙軍、ドローンなどを含めると人的ミスはますます起きるだろう。

それについては少し前のマレーシア航空機撃墜について書かれている「民間機をミサイル攻撃から守る方法」のロイター通信のコラムが指摘している。(下記アドレス)

私たちは、けして乗客乗員176名の命は無駄にしてはならない。

犠牲者の未来を奪い、周りの人々を悲惨な状況に陥れる。本当にあってはならないことである。

それからもう一つ言いたいことがある。

日本のテレビでは、176人も亡くなった、これはすごい人数だと言うが、1985年の日航123便ではその3倍近い520人である。

またニュースキャスターやタレントたちは「よくイラン軍は認めたなあ」と感心する。

このように、国家や軍隊がミスを認めたということに感心してしまうほど、私たちの「国家はミスを認めない」という潜在意識が非常に大きいのである。だから自衛隊も日報程度で事実を隠そうとする心理が強く働く。

本来ならば、当たり前のことをきちんとすべきところを、隠蔽することが国家の安泰のため、とでも錯覚しているからであろう。

 

臭いものにフタをし続ければいずれ腐敗菌に犯されて発酵がすすんで爆発する。つまり自爆するごとく、自分たちで自分の国を腐敗させて破壊するのである。過去を直視せずに歴史から学べない人間は、自己都合で基礎的な勉強もできていないいい加減な歴史観を持ち、腐敗菌をばらまく役割をしていることに気づかなければならない。

イラン政府は、撃墜は「意図的ではなかった」と釈明し、革命防衛隊高官も、ウクライナ機を「巡航ミサイル」と誤認したとして全責任を認め、国民に謝罪した。

こういう日が日航123便事件にも近いうちに来ることを祈る。

 

コラム:民間機をミサイル攻撃から守る方法 - ロイター

 

新年明けましておめでとうございます 青山透子

新春のお慶びを申し上げます。

 新しい年を迎えていかがお過ごしでしょうか。

今年は、私が尊敬する写真家の名言「真実はやがてその芽を吹く」

この通りになるような気がします。皆様の温かいお心に答えるべく誠実に一歩ずつ確実に進みたいと思います。

さて、私が体験した事実をノンフィクションでお届けします。新春の不思議体験ということでお読みください。

私が元旦早々、航空業界にとってお守り的存在である成田山新勝寺にて体験したことです。

💮初詣の御護摩のお参りに向かう途中、最初の信号で止まった前の車のナンバー「123」

💮駐車場に入れた途端、隣に入ってきた車のナンバー「1123」

(周りを見渡してもその番号はなし)

💮帰りに買い物先で、偶然目の前に止まった車も「1023」

 

ここまでくると、明らかにあの世からの強いメッセージとしか思えません。

さらに今までの体験を加えますと・・・

💮「天空の星たちへ」の編集者の誕生日「1月23日」

💮上野村元村長黒澤丈夫氏の誕生日「12月23日」

💮他にもこの事件に関係する人で、「8月12日」「12月13日」や「11月23日」が誕生日の知り合いがいますが、その方々は、必ず何らかの役割を担っているとしか思えません。そして真実を明らかにする使命があるのでしょう。

さらに飛び立つ飛行機を見ながら、ふと時計を見るとその時刻「1時23分」

以上は家族も一緒に体験した本当のことです。

実はまだあるのです・・・以前書いたような気がしますが知らない人のために、さらにその続きをお教えします。

沈まぬ太陽」映画製作中、私がエキストラとして参加した時の話です。

群馬県高崎市にて、遺族控室や遺体安置所再現の場面撮影の日のお昼時間のことです。ロケ用お弁当を配布されてそれを持ちながら廊下を歩いていた私。大國勉先生にお会いしようと監修の控室を探して、名前が書いてある和室に行ったところ、部屋には誰もいなかった。そこでその辺を探していると、旧日赤制服で昔風のナースキャップをかぶった看護婦さんと白衣を着た医師らしき先生が目に入った。二人は少し高い踊り場の位置から、私たちエキストラの風景を見下ろしており、その語る声が聞こえてきた。

「先生、全くあの時のままですね。体育館の遺体安置所が再現されていてすごいわあ」

「そうだねえ、あの時を思い出すねえ」

その老人の医師が大國先生だと思い込んだ私は、お二人に話しかけようとしたがなぜか体が動かなかった。

その経験の一か月後、初めて実際に大國先生にお会いした時、あれ?このお顔ではなかったなあ、と思ったのでした。

この映画監督だった若松節朗監督にお会いした時にも確認をしたのですが、老人の医師のエキストラはいなかった、とのことでした。

そして「天空の星たちへ」の本を書くことが決まって、1985年から2010年までの新聞記事を一つずつ確認していた時、ある記事が目に留まりました。

「医師たちは実に大変な検死作業で2千以上にバラバラとなってしまった遺体の身元確認を行った」という内容で、その写真の中に私が「沈まぬ太陽」エキストラの時に見た、そう、大國先生と間違えた老医師が写っていました。

あ、この人だ、そう思って、その後大國先生にその新聞記事をお見せしたところ、

「ああ、この先生はねえ、東京大学医学部の出身で、身元確認のために飲まず食わずで検死された方でね。無理がたたって持病が悪化してあの事故から1年後に亡くなったのだよ。本当に良い先生だった。大変惜しい方を亡くしてしまった」

と言われたのです。

ということは、私がお見かけしたあの日の先生は?あの世からメッセージを運んでこられたのだろか・・・思えば、声は聞こえたのですが、机が前にあったので足はよく見えなかった。一緒に話をしていた看護婦さんも、リアルだった。・・・あの時のお二人の姿は今でも目に焼き付いています。

その後も何かいつもサポートして下さっているような気配を感じました。そのような中、検死に関する様々な論文を調査研究していた時、日航123便の検死報告書を見つけたのですが、それがなんとその東大出身の医師がお書きになったものでした。日航123便の遺体状況について詳細に書いてある誠実な論文に心を打たれました。

そして見つけたのです。

「二度焼きをしたように見受けられた」という文章を。

今の科学では解明できないことは必ずある、そういう気がしました。他にもこういうことはたくさんありました。いずれも偶然の発見に近いものですが、執筆中の奇跡的な出会いも含めて、520人とそれを検死した医師、そしていまだに納得がいかない人々の深い思いが、偶然の出会いを引き寄せているように思います。

多くの無念な思いがひとつずつ実を結びつつある今年、必ず良い兆しがあることを信じていきたいと思います。

今年もよろしくお願いします。

 

未来に語り継ぐべきことを放棄するなかれ 青山透子

 管理人です。

今年、「日航123便墜落の波紋―そして法廷へ」を皆さまにお届けすることが出来ましたのも、ひとえに読者の皆様のおかげです。

たくさんの激励のお便りと様々な情報提供に心から感謝です!

この公式サイト訪問者も延べ人数で83万人を突破しました!

来年もますますご支援の程、どうぞ宜しくお願いします。

 

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中曽根康弘元総理大臣の遺言ー政治家は歴史法廷の被告ーから考える

青山透子

中曽根康弘氏への賛美記事のオンパレードだが、それらを書いたマスコミの皆さんは、日航123便に中曽根さんがあれだけ関わった事実をなぜ書けないのかについて、自分自身を深く省みて考えてほしい。このような長いものには巻かれろという日々の思考回路がもたらすものは、戦争もしかり、いじめや隠蔽も、郵政の圧力問題も、政治家の方便の垂れ流し状態も、官僚の汚点も、「与党だから無理、実際に逮捕されなければ書けない、全てが明らかにならないと書けない」、という言い訳がすぐ出てくるが、果たして本当だろうか。

誰かが死亡してから「これは想定外だった」とか、自殺者が出てから「実はいじめがあった」等、いつも後から、事がおきてから関係者の自己弁護が出てくるが、事実を直視せずに無視し、右へ倣えとばかりに集団心理で適当な仕事ばかりしてきた結果、そうなったのであって、本当は誰もが気付く機会がたくさんあったはずである。そこに至る過程を知りつつ報道しない人たちも同罪だ。

中曽根康弘氏のご逝去報道もしかりである。クリスマスの夜に、まるで懺悔とばかりに外務省が80年代後半から90年代の公文書を公開した。その中には「中曽根氏の愛国心溢れる振る舞い」や「鬼の首とったように事実を相手に伝えれば、良いわけではない。時には隠さなければならない」などと、言い訳としか取れない文面が多かった。

公文書といえども都合の悪いものは隠し、一方的に都合の良い文書だけを公開している日本の現状に、「あれではだめです。マリア様は怒っていらっしゃいます」という、キリスト教信者の皆さんの声が聞こえてきたが、私も同感である。不都合な事実を出さず、その公開基準が恣意的であってはならないのである。

恐らく故中曽根氏は自分自身のあるべき姿と、現実に直面してつい犯した事実のギャップに耐えられずに、何も語らず逃げたのだろう。その振る舞いは、当然そう思われても仕方がない。お友達のY新聞のドンW氏もその遺言を引き継ぎ、自民党も隠したいのだろう。すべてこの事件が明らかになれば、故中曽根氏が歴史法廷の被告ではなく、「被告」になるからであろう。

例えば農水省事務次官の息子殺し同様、元事務次官として彼がいかに素晴らしい仕事をしたからといって、息子を殺害した罪からは逃れられず、殺人罪となるのは当たり前である。中曽根氏がどれほど良い仕事をしたからといって、日航123便の墜落原因を知りながら事実を公表せず、遺体を焼失させた事は消せない。35年間もいい加減な事故調査報告書に振り回され続けている私たち国民への謝罪の言葉もないまま逃げたのである。

さらに、犯した犯罪と愛国心はバランスしない。愛国心があったからといって、ミスであれ何であれ、犯した罪が消えるわけがない。

どうしても諸々のしがらみで、報道ができないのであれば、せめて邪魔はしないでほしい。自分たちが出来ないからといって、この問題に正面から堂々と立ち向かっている人たちの邪魔をする権利などない。

くだらない腹いせや難癖をつけてくる人たちは犯人隠匿罪と同様の罪を犯している。わざとデットボールを当てるがごとく、ビーンボールのように姑息な手段で相手をつぶそうとするなどもってのほかだ。私が幼い頃に両親もフアンだった読売巨人軍は、まさかそういうプレーを推進しているわけじゃあるまい。プロであればあるほど、ファンが誇れるようなフェアプレーをするのが当たり前だろう。

自分自身と向き合い、自分に出来る最大限の力で、公文書をきちんと公開してほしいという心ある人たちは、ぜひ協力してほしい。未来は私たちの生き様にかかっている。

 人間としてのふるまいが問われている今こそ、本当に語り継ぐべき事を放棄してはならないのである。

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今年もあとわずかとなりました。

お正月はどうぞゆっくり4冊の本をお手に取ってお読みください。

青山透子の本は、テーマごとになっております。

2010年、墜落機の客室乗務員の先輩方へのレクイエムとして書く決心をし、1985年から25年間の新聞報道を含む全ての1次資料を読み込み、当たり前におかしいと思ったことをきっかけに、「天空の星たちへ(河出書房新社は、疑惑のはじまり)」を出版しました。この本の特徴は、一般人が疑問を持つほど、おかしな事実がたくさんある、という点を中心に書いたものです。

海外の軍関係者から、まるで作戦会議の資料を見たようだと評価してもらったのが「墜落現場を軸としてコンパスでぐるりと円を書いたような当初発表され続けた偽りの墜落箇所」-疑惑のはじまり(p256)の部分です。「疑惑のはじまり」の251ページからじっくりとお読みください。

なお、中曽根さんの1日、という当時の首相の行動については、p260からすべて書いています。群馬県出身の学生の話も併せてお読みください。当時、イギリスで翌週に航空機事故あり、サッチャー首相は休暇返上で駆け付けました(p273)。中曽根康弘氏の「520人が死亡した隣町軽井沢でのありえない、否定しようのない行動」が明確にわかります。

さらに、警察医の大國先生との会話で、「ジェット燃料では遺体が炭のように表も裏も黒焦げにならない」と指摘したところが新たな事実でした(「疑惑のはじまり」p358-p363)。

2017年、「目撃者」をテーマとした本「墜落の新事実―目撃証言から真相に迫る」を出しました。これは全国学図書館協議会選定図書となり、ベストセラーとなったのですが、その理由は上野村の子供たちの文集とそこに書かれた村民による目撃証言、小林さんのオレンジ色に関する重要証言、ファントム2機が墜落前に飛行していた存在を明らかにした点です。

次に「機体遺物」を大学研究機関で科学的に調査分析した本を2018年に出しました。火炎放射器使用の可能性を示唆する「遺物は真相を語る」です。ここで客観的証拠が出たことでシンポジウムに繋がったという流れです。

2019年の「墜落の波紋―そして法廷へ」の本は、今後の法的手段を明記しました。

「文章にちりばめられた言葉の一つ一つが心に響く」、「自分の生き方も学んだ」、「勇気をもらった」というお手紙が多数あり、さらに出版社への感謝やお礼の言葉も大変有り難く受け取っております。読者の皆様に心から感謝いたします。

 年末年始、1年間のご自身を振り返りながらお読み頂けますと嬉しく思います。

それでは皆様、どうぞ良いお年を!

 

 

 

 

 

 

そして法廷へ―来て頂く前に中曽根康弘氏ご逝去 青山透子

11月29日にお亡くなりになった中曽根康弘氏は、101歳という大変ご立派な人生で大往生であったと報道各社が伝えている。局を超えて大親友の渡邊恒雄氏が出演して褒めたたえていらした。頭もしっかりされていたそうなので、法廷に来ていただくには十分だと思っていたのに大変残念である。

それにしても、皆さんも気づいていると思うが、80年代を伝える画面には、1985年8月12日の日航機墜落報道は出てこない。民放は忖度の協定を結んだように横一列で日航の文字すらなかった。これは、「★☆の貸し借り」かどうかわからないが、ワイ新聞のドンが采配を振るい、ここはひとつ、中曽根イコール日航イコール御巣鷹という連想だけは避けたい、という意向を酌んだのだろうと聞いた。客観性と良心を取り戻しつつあるNHKのみが、御巣鷹の尾根の写真をちらりとテレビで出した。他の民放は当時の80年代の紹介で、1982年に33人の死者を出したホテルニュージャパンの火災は出しても、1985年の520人が亡くなった日航機墜落は出さなかった。1985年についても、いきなり日付が飛んで、8月16日の公式参拝は報道しても、その前の1985年8月12日の墜落報道は一切なかった。墜落現場に行かず夏休み中軽井沢でプールとテニスと読書三昧の首相の1日は報道しなかった。その代わり、1985年夏休み(つまり墜落の夏)に、嬉々としてプールで泳ぐ中曽根氏を写していたのだが、一山向こうの墜落現場で遺体捜索中にこの表情とは大変驚いた。これは証拠写真の一つといえよう。

1987年11月の日本航空民営化にもかなり力を注がれていたが、よほど日航という文字が出てくることを避けたかったのか、これも報道されなかった。

このように、物事は隠しすぎると、逆にばれる。故意的に外しすぎると、逆に不自然なのである。世界最大の単独機大事件をわざと外しているのが見え見えであり、それが「やっぱり、隠蔽が事実であり、後ろめたいのだ」と、誰もがわかってしまったのである。

読者や知り合い等、寄せられた感想の中に、つぎのようなものもあった。

若手報道関係者「中曽根元首相の在任中の世相として、80年代の重大事件をニュージャパンの次に当たり前に出そうと思っていた日航機の羽田沖事故や85年の御巣鷹の尾根事故報道写真は出すなと言われ、今まで疑問にも思っていなかったけど、逆にそれってやっぱり本当なんだと思った。上の指示だからね。ナ〇ツ〇ルートと呼ぶ当時の若手記者とか、軽井沢で美味しい思いをした人たちの残ペイだろうね。こういう老害は定年していつまでも会社に残らずさっさと退職してほしい」

本物の政治家ならばせめて1985年8月12日の次の日でも墜落現場へ急行するのが当たり前だろう。その後もすぐに自衛隊のヘリで、御巣鷹の尾根を通りすぎて、つくば万博に見学に行っている。520人の命を何だとおもっているのか。さらに数か月も行かず、隣町の軽井沢で遊んでいたご自分を恥じてほしかった。ご自分の至らなさを遺族や国民に謝罪してしかるべきである。こういった事実は永遠に消せないのである。

今頃、520人があの世の法廷で厳しく尋問してくれているだろう。

裁判官は上野村元村長の故黒澤丈夫氏だろう。海軍少佐でゼロ式戦闘機搭乗員だった黒澤村長の前で、何を語れるのか?

中曽根さんの宴会写真では、海軍の軍服を着たり、飛行帽と白いマフラーという戦闘機乗りのかっこをして歌う姿が出ていた。

鶴田浩二でもあるまいし、パイロットでもなかった中曽根氏のあのような写真などやめてほしい、という声が聞こえてきた。

私の曾祖父もよく存じ上げている紀州藩士の家に生まれた慶應義塾元塾長で、現在の上皇の教育掛で美智子様との縁談のまとめ役だった小泉信三氏は、ご子息を早くに戦争で亡くした。そのご子息、小泉信吉氏も中曽根氏と同じ海軍主計だったこともあって、小泉信三氏は中曽根氏のようなそういった軍服のパーフォーマンスを大変嫌っていた。

本物ではない人間が陥りやすいパフォーマンスだったのだろう。

ゴーグルまでつけてマガイモノの飛行機乗り姿は、その生死を賭けた人の誇りを傷つけていることを知らぬままあの世に逝ったのだろう。

合掌