「日航123便墜落の波紋ー天空の星たちへ」公式ブログ

1985年に起きた日航123便墜落事故を、当時日本航空スチュワーデスとして勤務していた著者・青山透子が、事故の真相を追い求めて綴ったノンフィクション

新年明けましておめでとうございます 青山透子

新春のお慶びを申し上げます。

 新しい年を迎えていかがお過ごしでしょうか。

今年は、私が尊敬する写真家の名言「真実はやがてその芽を吹く」

この通りになるような気がします。皆様の温かいお心に答えるべく誠実に一歩ずつ確実に進みたいと思います。

さて、私が体験した事実をノンフィクションでお届けします。新春の不思議体験ということでお読みください。

私が元旦早々、航空業界にとってお守り的存在である成田山新勝寺にて体験したことです。

💮初詣の御護摩のお参りに向かう途中、最初の信号で止まった前の車のナンバー「123」

💮駐車場に入れた途端、隣に入ってきた車のナンバー「1123」

(周りを見渡してもその番号はなし)

💮帰りに買い物先で、偶然目の前に止まった車も「1023」

 

ここまでくると、明らかにあの世からの強いメッセージとしか思えません。

さらに今までの体験を加えますと・・・

💮「天空の星たちへ」の編集者の誕生日「1月23日」

💮上野村元村長黒澤丈夫氏の誕生日「12月23日」

💮他にもこの事件に関係する人で、「8月12日」「12月13日」や「11月23日」が誕生日の知り合いがいますが、その方々は、必ず何らかの役割を担っているとしか思えません。そして真実を明らかにする使命があるのでしょう。

さらに飛び立つ飛行機を見ながら、ふと時計を見るとその時刻「1時23分」

以上は家族も一緒に体験した本当のことです。

実はまだあるのです・・・以前書いたような気がしますが知らない人のために、さらにその続きをお教えします。

沈まぬ太陽」映画製作中、私がエキストラとして参加した時の話です。

群馬県高崎市にて、遺族控室や遺体安置所再現の場面撮影の日のお昼時間のことです。ロケ用お弁当を配布されてそれを持ちながら廊下を歩いていた私。大國勉先生にお会いしようと監修の控室を探して、名前が書いてある和室に行ったところ、部屋には誰もいなかった。そこでその辺を探していると、旧日赤制服で昔風のナースキャップをかぶった看護婦さんと白衣を着た医師らしき先生が目に入った。二人は少し高い踊り場の位置から、私たちエキストラの風景を見下ろしており、その語る声が聞こえてきた。

「先生、全くあの時のままですね。体育館の遺体安置所が再現されていてすごいわあ」

「そうだねえ、あの時を思い出すねえ」

その老人の医師が大國先生だと思い込んだ私は、お二人に話しかけようとしたがなぜか体が動かなかった。

その経験の一か月後、初めて実際に大國先生にお会いした時、あれ?このお顔ではなかったなあ、と思ったのでした。

この映画監督だった若松節朗監督にお会いした時にも確認をしたのですが、老人の医師のエキストラはいなかった、とのことでした。

そして「天空の星たちへ」の本を書くことが決まって、1985年から2010年までの新聞記事を一つずつ確認していた時、ある記事が目に留まりました。

「医師たちは実に大変な検死作業で2千以上にバラバラとなってしまった遺体の身元確認を行った」という内容で、その写真の中に私が「沈まぬ太陽」エキストラの時に見た、そう、大國先生と間違えた老医師が写っていました。

あ、この人だ、そう思って、その後大國先生にその新聞記事をお見せしたところ、

「ああ、この先生はねえ、東京大学医学部の出身で、身元確認のために飲まず食わずで検死された方でね。無理がたたって持病が悪化してあの事故から1年後に亡くなったのだよ。本当に良い先生だった。大変惜しい方を亡くしてしまった」

と言われたのです。

ということは、私がお見かけしたあの日の先生は?あの世からメッセージを運んでこられたのだろか・・・思えば、声は聞こえたのですが、机が前にあったので足はよく見えなかった。一緒に話をしていた看護婦さんも、リアルだった。・・・あの時のお二人の姿は今でも目に焼き付いています。

その後も何かいつもサポートして下さっているような気配を感じました。そのような中、検死に関する様々な論文を調査研究していた時、日航123便の検死報告書を見つけたのですが、それがなんとその東大出身の医師がお書きになったものでした。日航123便の遺体状況について詳細に書いてある誠実な論文に心を打たれました。

そして見つけたのです。

「二度焼きをしたように見受けられた」という文章を。

今の科学では解明できないことは必ずある、そういう気がしました。他にもこういうことはたくさんありました。いずれも偶然の発見に近いものですが、執筆中の奇跡的な出会いも含めて、520人とそれを検死した医師、そしていまだに納得がいかない人々の深い思いが、偶然の出会いを引き寄せているように思います。

多くの無念な思いがひとつずつ実を結びつつある今年、必ず良い兆しがあることを信じていきたいと思います。

今年もよろしくお願いします。