「日航123便あの日の記憶 天空の星たちへ」公式ブログ

1985年に起きた日航123便墜落事故を、当時日本航空スチュワーデスとして勤務していた著者・青山透子が、事故の真相を追い求めて綴ったノンフィクション

母校の東大にてゲスト講義をしてきました 青山透子

東大で25年間も続いている有名な弁護士の先生方によるゼミのゲスト講師として、拙著をもとにして、法と人権と社会の有り方とは何か、について講義をしてきました。

学生の皆さんは将来法律系やメディアなどに就職するであろう非常に若い人たちです。32年前は父母が小学生から中学生、高校生ぐらいでしょう。彼らは当然生まれる気配すらないわけです。もし、事故機にお父さんやお母さんのどちらかが搭乗されていたら、彼らはこの世にいないのです。そんな昔の話をリアリティをもって共感していただけれるかどうか心配でした。

そこでグループ討議の際、私が持参した32年前の古びた茶色の新聞各紙を配り、その一面トップに出ている「日航機墜落」という文字、カタカナで書かれた搭乗者名簿、身元確認の困難さ、医師たちの証言、私がインタビューした人達の名前が出ている上野村消防団等の記事などを回してみてもらいました。

それにしても当時の世相と今ではあまりに違いすぎるため、どうやってあの当時の雰囲気を伝えたらよいのだろうか、話がちゃんと伝わっているかどうか、地下鉄サリン事件も知らない世代ですので単に風化を防ぐというよりは、伝え教えていくむずかしさも感じました。

人権についても個人対個人や企業対個人の場合よりも、国家対個人の場合、国側の組織的な様々な圧力や国側の隠ぺいのしやすさも考えなければなりません。法律では当時、情報公開法成立、施行前の時期で、一トンもの日航関連の資料や証拠物等を運輸省事故調査委員会は焼却して廃棄しました。あとからそれを知った遺族の怒りは相当なものでした。刑事裁判もなく、民事訴訟も示談が殆どだったあの事件について、後から検証することすら出来ない状態にされてしまったのです。半官半民だった日航と国の癒着、防衛庁日米安保問題、空の安全保障から深く考察し、時代的背景も考えながら、この事件を解明しなければならない、その重要性に気づいてほしいなあと心から願って話を終えました。

安易なネット情報や不確実なコメントに影響されることがないよう、パワーポイントを使い、関係者の音声も出し、医師などから学術用に使ってよいと特別に許可を得た一般には一切出ていない写真や確実な情報と裏の取れた内容と真事実、メディアの役割と報道の中身、そこから推定される仮説も提示して、皆さんに考えてもらうようにしました。きっと、ビックリするようなことも多かった思います。しかし、彼らの気づきが、今までの様々な政治的汚点や国家的失敗を克服することにつながり、「小さな目は見た」からの情報が「未来の目は見た」に繋がるのです。私も皆さんと共に貴重な時間を過ごすことが出来ました。先生方に深く感謝いたします。

大きな教室にぎっしりでしたが、皆さんと出会えて本当に良かったです。そして、一人ひとりの心の中に何かが残り、何時か誰かがこの事件を解明してくれることを願っています。

 

管理人からのお知らせ

何時もご覧いただきまして有難うございます。

講演、講義は大学等の学術に限らせて頂いております。

なお、番組制作の資料提供や取材などについてのご依頼ですが、こちらの書き込みコメント欄にご依頼頂きましても、ご指定へ直接メールをすることは致しておりません。

恐れ入りますが、河出書房新社へ電話にてご連絡を宜しくお願いします。そのあと、担当者より青山透子へ引き継ぎとなります。何卒宜しくお願い致します