「日航123便あの日の記憶 天空の星たちへ」公式ブログ

1985年に起きた日航123便墜落事故を、当時日本航空スチュワーデスとして勤務していた著者・青山透子が、事故の真相を追い求めて綴ったノンフィクション

鹿児島の空自機不明の墜落事故と捜索の違和感

4月6日に鹿児島県上空にて消息を絶った航空自衛隊飛行点検隊(埼玉県入間基地)は、全国陸海空43基地の保安設備点検を任務としている。6日の午後2時35分ごろに880メートル上空付近でレーダーから消えたという。この日は航空機の着陸誘導などの電波の発信状況などのチェックを行っていた。このように低空で日常的にいつものようなルートで業務を行っている場合、通常ならば墜落地点は関係者ならばおよその検討がつくものだ。

一晩中捜索しても不明とはどういうことか。それほどまでに自衛隊は捜索活動が苦手で無能なのだろうか。物々しい中、自衛隊員、消防、警察と集まってきたそうだが、結局翌日の午後、つい先ほど墜落場所がわかった。墜落地点は鹿児島県鹿屋市、高隅山山麓西標高約500mにある市営の鳴之尾牧場から4キロの地点という。墜落時に大人4人が朝から牧場で作業をしていたそうだが、別に墜落音のような大きな音は聞こえなかったのだが、というコメントが新聞各紙に載っていた。オレンジ色の光を見た人もいるという。市営の牧場ならば、電話で確認をすることもすぐできるはずだ。

なぜ丸一日捜索しても見つからなかったのだろうか。それほどまでに捜索が困難な地域だとも思えない。普通に牧場があるのだから、人が全く入れないわけではない。

このような行方不明事件に共通するのは、あまりにも捜索が遅れたということと、捜索に関わる人の多さに対する違和感、そして説明の不可解さである。

つまり、123便事件のような状況である。

例えば、間違って自衛隊が誤射してしまったのではないだろうか、ということが考えられる。そうなると、事故原因に思い当たる関係者の人々は、まず生命を守るとか、早急に捜索するとかよりも何か他のことを優先してしまう。天候のせいや地理的状況のせいにして、別の確認を優先する。これが情けないかな人間の愚かさでもある。

事実、6日は航空自衛隊の西部航空隊管内日向灘東方東方海面(R-109)にて航空自衛隊が朝の8時から17時まで、空対空機関砲、空対水爆撃の訓練を行っていた。

またこの6日は海上自衛隊射撃訓練も行われ、呉警備区の豊後水道南方(L-1)区域にて、自衛艦9隻が6時から18時まで、航空機標的機の飛行を行っている。何れも防衛省HPに掲載されている。

だからと言ってすぐにこれらが関連しているとは言えないが、こういったことを一つずつ丁寧に検証していかなければ、本当の真実は出にくい。

これから自衛隊が安保法でいろいろな場に出ていく上においても、隠ぺい工作や誤射は許されるものではなく、きちんと自ら検証する意識がなくては、今後大変な事態になりかねない。事故調査は客観的に、全ての情報を公開し、必ず後世の人々に明確にわかるようにしておかなければ、何時まで経っても事故はなくならない。

お亡くなりになった6名の自衛隊員に合掌。