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「日航123便あの日の記憶 天空の星たちへ」公式ブログ

1985年に起きた日航123便墜落事故を、当時日本航空スチュワーデスとして勤務していた著者・青山透子が、事故の真相を追い求めて綴ったノンフィクション

信濃毎日新聞のコラム欄[斜面]に取り上げて頂きました

事故後29年、忘却と風化を憂う私にとって、大変嬉しい記事を書いて頂きました。

まだまだ知らない人も多く、このような記事でもう一度あの日を確認することは非常に重要です。記者の方に心から感謝申し上げます。

その記者の方も含め、それぞれがそれぞれの場所でニュースを聞いたあの日・・・

墜落現場を目指して山に入り、山深い中で道に迷い、又誤報続きで、ぶどう峠や御座山などをさまよい、全く見つけられず・・・・

汗と泥にまみれて、取材活動も苦労なさった方も多かったでしょう。

上野村から御巣鷹の尾根を目指し、山間の惨状を前に立ちすくんだ方も多かったでしょう。当時、私は乗務員をしていましたので、次の日もフライトで飛行機に乗りました。その惨状を直接見ることはありませんでしたが、本を書くにあたって、いろいろな方に取材をして少しはその時の皆さんの想いに寄り添うことが出来たのではないかと思っております。

あの日の無念とやり残した思いを胸に・・・

コラム記事を読者の皆さんと共有したいと思います。

下に信濃毎日WEBページを張り付けましたので是非お読みください。

***

なお、大雨による土石流で広島では多くの方々が山崩れでお亡くなりになりました。

突然に打ち切られた人生を想い、その無念さに心が痛みます。

同じ首相という立場で考えれば、あの時の中曽根氏とは違い、別荘地から官邸に来て救命活動の指示を出した安倍総理ですが・・ただ、あっという間に別荘に戻り、その理由が「急いできたので着替えがない、荷物を整理する為」とは・・・・

せめて言い訳するならば、別の嘘のほうがまだまし、だと思いますが、皆さんはどう思われますか。

本宅は渋谷区富ヶ谷、官邸と目と鼻の先で、当然、数日間の別荘よりは、自宅にいろいろな服も多く置いてあるですよね?その理由が通用するならば、子供も大人も、学校や会社で、行きたくない時にでも使ってみたくなりますね。誰が納得するのでしょうか?

それを官房長官が、大した話ではなく、問題はないというコメントでしたが、例えば、

「確かにそう思われても仕方がない」という一言があれば、被災者もすくわれるでしょう。それに、まだ客観的に見ているといった余地が感じられます。

これが自民党の圧倒的な力による政治の弊害で、検証能力のない実態だと言われても、過言ではないでしょう。批判能力の持たない人ばかりが周りを囲み、まるで裸の王様状態だと感じてしまいます。

自己批判すら出来ない政党によって牛耳られる私たちは一体どうしたらよいのでしょうか。せめて他人や権力を持つ人間に迎合することなく、客観的な視点をもって正しいことを正しいと言い、間違っていることを堂々を語る生き方をしたいものです。

自己の利益のみを考え、人をだますことや二枚舌で語ることは、いつかは破たんすると思っています。

(一部、誤解をされる表現がありましたので訂正しております)

 

 

***以下、信濃毎日新聞WEBよりコピー***

信濃毎日新聞[信毎web] 斜面

斜面
08月13日(水)
日航の元客室乗務員、青山透子さんは、ジャンボ機墜落事故で多くの同僚を失った。今は航空業界を目指す学生を教えている。授業で事故を伝える新聞報道などを資料に学生にリポートを提出させ、議論した

   ◆

ある学生は首相動静の記事に目を付けた。御巣鷹の尾根に墜落した85年8月12日、当時の中曽根康弘首相は避暑地の軽井沢から夜には帰京していた。翌日事故の報告を受けたが上野村に駆けつけるでもなく、事故対応の陣頭指揮をとった跡はうかがえない

   ◆

15日は靖国神社公式参拝で物議を醸した後人間ドックへ。17日に軽井沢に戻り水泳や散歩を楽しみ19日に帰京した。23日に英国で54人が死亡した航空機事故でサッチャー首相が静養先から帰国、現場に急行し原因究明を指示したとの記事も学生が紹介。その違いに皆が言葉を失った

   ◆

事故から29年。雨のきのう、慰霊登山が行われた。犠牲者520人の遺族には疑念がくすぶり続ける。なぜ墜落位置特定に10時間もかかったか、本当の原因は…。青山さんはその思いをくみ、授業に触れつつ事故の検証を著書「天空の星たちへ」に書いた

   ◆

墜落の2時間後には米海兵隊を乗せたヘリが現場付近の上空に到着したが、帰還を命じられ救助活動ができなかった―。事故から10年後の米軍準機関紙の報道だ。疑念が消えないまま風化させてはいけない。天上の星たちが見つめている。