青山透子公式サイト 日航123便墜落の真相

日航123便墜落事件の真相を追究するー歴史的裁判開始の幕開け

日航機事故から33年目にはっきりと見えてきた真相~御巣鷹の尾根からの遺言  青山透子

 新刊の「日航123便墜落―遺物は真相を語る(河出書房新社)」の発売即日重版に際しまして、皆様の温かいご支援とご支持に心から感謝申し上げます。また、ご遺族からのお電話、読者の皆様からのお手紙やお葉書に書かれたお言葉に励まされて、本当に書いて良かったと思っています。有難うございました。

 なお、今回の証拠物の分析、インタビュー、群馬県警察資料、520人分の遺体状況一覧表、現場写真等、全ては揺るぎのない真正なものであり、さらに弁護士の皆様、ご遺族にもお見せしているものの一部を本書で提示させて頂きました。

 もし、他のご遺族の方でそれらを見たい、という方がいらっしゃいましたら河出書房新社宛にお手紙をくだされば、対応させて頂きます。

これからもどうぞよろしくお願い致します。

***** 

「いくらマスコミに伝えても、すべて無視されてきたことを書いて下さって有難うございます。まさしくこの本は私の思いそのものです」―この言葉が一番うれしい言葉でした。このご遺族からのお電話がまだ私の耳に残っています。

 

「この本が出版されて『こりゃまずいぞ』っと、慌ててパンツ脱いだままリングに上がって、あそこが見えているのに(下品で失礼!)根拠のない推論で騒いでいる人達って愚かですよね。そろそろ自分たちの勝手な主張を取り下げてはどうですかって言ってやりましょうよ」―友人からのメールより抜粋

 

 日航123便墜落における3部作として今回は遺物に焦点を当てましたが、私がペンを持つきっかけとなったのは、なぜ今まで、ここまできちんと捜査をせずに全てを無視し、黙殺してきた人たちがいたのか、ということへの憤りです。本来の仕事としてやらなければならない人たちは大勢いたはずであり、捜査関係者、事故調査委員、検察、日航関係者、政府関係者、政治家、官僚、マスコミ等々、いろいろな場面で出来たはずです。それなのに、33年間もなすべきことをしてこなかった、という事に尽きると思います。

たまたま、私がその昔、教え子たちと新聞記事を読み進めていくうちにこの123便墜落の矛盾に気づいたことがきっかけとなり、その後も独自に調査を続けました。大学院においては、博士論文を書いている時期に出会った多くの学友たちと議論や調査をして、知人の弁護士など法曹関係者、さらにご遺族で事故原因に疑問を持つ人たちとの出会いなどがあり、一歩ずつ、一歩ずつ真相に近づいてきて今があります。この年月を振り返ると、本当に不思議な出会いがたくさんありました。恐らく亡くなった520人が何等かの形で訴えてきたのだと思います。「きちんと調査をしてほしい」という必死の叫びだったのだと思います。ある御高名な法曹関係者からは「520人も亡くなっているのに、不起訴とは大変遺憾だ。このような仮説があるならば、きちんと検証すべきである」というお言葉を頂戴しました。

 その一方で「こんな陰謀説そのものが馬鹿らしい。こんなことをいう人はあたまおかしいかバカじゃないの」と。

マスコミに顔が知れた軍事評論家や大学教授らしいですが、いきなりこんなことをいう人もいました。

 元自衛隊関係者で、博論も書かず、研究者としての実績もなく、自衛隊関係のコネで現職にありついたらしいと大学関係者から聞きました。さもありなんでしょう。大学教授にふさわしいかどうかは大変疑問だと思います。調査もせずに勝手に相手を卑下する言い方は、教育者とは言えません。

 

 さらに、マスコミ関係者との会話の中で、真摯にこの問題に取り組んでいる人もいますが、どちらかというと「ジャーナリズム精神のないサラリーマンである」ということが強く出てくる人が多く、権力に弱いと自ら暴露するなど、笑ってしまうことが多々ありました。例えば、私の本の記事を書くふりをして、資料を全部コピーさせろ、と言ってきて、結局は自分が本を出したいだけだったり・・・。

逆に何かつっこめる要素を探して、私そのものを否定すれば(例えば小保方さん論文事件のように)この本の内容の信憑性が問われるだろう、との推定のもとで、あら捜しに余念のない人たちやら・・・。

ネット上で、このヘイト的書き方は異常だ、ろくにちゃんと読みもせずに否定ばかりしている、ということで内々に調査したら出所がどうも霞が関界隈だったり・・・。これには余談がありまして、それを指摘して裏どりを始めたら突然にフェイスブック上から跡形もなく消え去ったという事件がありました。

こういう人間はどっち向いて仕事をしているんだろうか、自分の損得だけを基準に生きているのか、それとも、体制を崩すと風紀が乱れると本気で思っているのだろうか・・

まあ、色々な人がいるなあと思った1年間でした。

 こういう人たちの仕事の仕方がどういうものか、恐らくなりふり構わず、良い意味でのプライドもなく、日和見主義で日々仕事をしているだろうと、目に浮かんできます。もっと自分自身の言動を真摯に見つめて、心の底からこの日航機墜落について考えてほしいと願っています。

 

 追記ですが、昨日、群馬県に防災ヘリコプターが墜落してしまいました。昨年11月にも上野村に墜落しましたが、本当に残念なことです。昨日の夜7時のNHKニュースでは、現場から生中継をしていました。生中継時の19時10分時、まだ薄明かりで山々が良く見えていました。そこで気づいたのはあの日もこの時間で十分墜落現場が見えた、ということです。当時の防衛庁公式発表では、ファントム機を19時1分に命令をして飛ばして10分後には現場上空付近に行ったが、墜落場所不明だった、ということでしたが、あの明るさで見えたはずです。この言い訳すら通じない、ということが明確になったわけです。

また、昨日のヘリの事故で、複数の目撃者にインタビューをしていましたが、皆さん明確に答えていらっしゃいました。例えば高度が低く、飛行機の文字が見えた、プロペラの音が異常に変化していった、など、事故原因を調査する上で大変重要なポイントを指摘していました。

 こういった現場での目撃証言、証拠物、生存者の語り、海底捜索、それらを一切無視して書かれた日航123便事故調査報告書という公文書が、私たちの信頼に値しないのは明白です。

 8月12日に私たちが考えなければならないことは、あの日、一刻も早く救助が行けば助かった人たちの無念であり、死ぬ必要がなかったにもかかわらず、殺された無念であり、その命令を出した相手すら謝罪をしない無念であり、うやむやにすることが国益だと歪んだ見方をする人への怒りです。当時関係した人たちの懺悔の声が520人に届かない限り、次々と証拠物が出てくることでしょう。

 あの日乗っていたのが、もし自分だったのならば、そういう思いで過ごさなければならない日なのです。合掌

 

 

日航123便墜落ー遺物は真相を語る 新刊本出版のお知らせ

管理人です。

日航123便墜落―遺物は真相を語る」が、ついに7月28日に出版となりましたことをお知らせします。

今回は、大学の研究機関において「遺物」の調査分析を行いまして、より一層専門的な内容となっています。驚愕の結果とは何か、そこから見えてきた真実とは何か、520人の心の叫びを読者の皆様と共に感じながらその結果を真摯に見つめ、真相に迫ります。

なお、出版前に多数のご予約を頂戴しまして即日重版となりました。ご不便をおかけしますがお近くの書店にない場合は、河出書房新社にご予約下さいますようお願いします。

♡ ♡ ♡ ♡ ♡ ♡

          新刊本に寄せて    青山透子

f:id:tenku123:20180729011237j:plain

 

 

www.kawade.co.jp

皆様からの温かい励ましのお手紙、お葉書を多数頂戴しまして、本当に有難うございました。

読者の皆様からの応援とさらなる真相究明を目指して、今回は専門の研究機関において、御巣鷹の尾根からの「遺物」を詳細に分析した結果を客観的に書かせて頂きました。その結果がどのようなものであったか、是非お読み頂けますと大変嬉しく思います。

この本を書く前に、この分析によって得られる結果が私の仮説を裏付けるものかどうか全くわかりませんでした。私は、いかなる結果が出ようともそれを正直に書くと決めており、その旨は編集者に伝えていました。それが提供者や読者の皆様、真実を知りたいご遺族へ私が出来る最大の誠意だからです。

さらに、未公開資料の一部を公開することによって、33年間も第三者が誰も検証していない一方的に書かれた曖昧な事故調査報告書に一石を投じる結果となったことも、必然的であったと思います。

当時の運輸省下で書かれた事故調査報告書という公文書は皆様の信頼に値するものなのか、改ざんや隠ぺいは全くなかったと胸を張って言える書類なのかどうかは、生のデータを見たことも触れたこともない一般の私たちにはチェックするすべがありません。

しかし、事故調査に時効はありません。私たちは再調査を願うご遺族の意思を尊重するのが当然であり、それを否定するような発言をすることは許されません。

それが人としての道だと思います。

愛読者の皆様は十分お分かりだと思いますが、私のスタイルは事実をしっかりと見つめて、憶測は書かない、ということです。従って調査結果は書けても、結論は書けません。なぜならば、最終的に裁判などによって生のデータが開示されない限り、本当のことはわからないからです。推定という言葉にとどめるのも当然のことです。

あらゆる証拠物とデータをもとにして、一つの仮説や筋が通るということで納得出来ることから恐らくこれが最大の原因であろう、という推定は可能です。

これは小説ではなく、ノンフィクションであるゆえ、そこはきっちりとさせていきます。それが信頼関係を作り、そこが過去の本とは全く異なる点であるとのコメントも頂戴しております。

渾身の力を込めて書き進められたのも、すべて愛読者の皆様の私への手紙です。

本当に有難うございました。そして一緒に真実を追究していきましょう。

 

 

 

卑怯な書き込みは一切許さない 青山透子 今日は特別書きます

読者の皆様へ

卑怯な人間による、卑劣で下品なブログが上位に来るように設定されていますが、閲覧にはくれぐれもご注意下さい。違法な人間による誹謗中傷で侮辱罪にあたる行為ですので、警察に通報します。

こちらとしてもこれ以上、「青山透子はいない」「工作員だ」という事実無根の侮辱する言葉を羅列して、公然と人を貶める行為に目をつぶるつもりは一切ありません。このブログの書き込み者、及び上位にくるように仕向けている人たちを特定し、調査を開始します。

青山透子公式サイトは、私をサポートしてくれているボランティアの皆さん、弁護士の皆さん、学友、そして数々の証言をしてくれているご遺族や一般の方々と共に運営しております。実際に取材して下さったマスコミの皆さんとも連携し、この日航123便墜落事件の真実を絶対に明らかにすべく、ご遺族吉備素子さんと共に、情報公開請求裁判を行います。

是非裁判の行方をご注目ください。➡日航123便墜落の真相を明らかにする会のホームページをご覧ください。

home|日航123便墜落の真相を明らかにする会

ご遺族による再調査を否定する人間、青山透子への誹謗中傷を書き続けている人たちは、当時、何等かの形でかかわった人たちです。罪悪感を持つならば、せめて深く反省すべきであり、相手を非難して消えるわけではありません。

自らが裁判で名乗り出て証言することで、その罪の意識は薄まるでしょう。それが人としてなすべきことです。(2021年11月6日更新)

*******

下記の問題ある書き込みについて(最後添付参照)この内容はどうしても許すことが出来ない、との声が多かったため、あえて書きたいと思います。

まず、この問題の書き込みを、東大の学友で現在の防衛省及び運輸省(当時)、さらに他の官公庁の人や私との長年の信頼関係にあるご遺族にも読んで頂きました。

省庁の人間と言っても森友問題で無責任な発言を繰り返す人達も多々いますが、そればかりではなく、本当に国の行く末を考えている人も(わずかながらかもしれませんが)います。私との関係で、共通するのは、損得なしの金銭ぬきの本物の信頼に基づく関係だということです。多分、隠蔽したり嘘をつく人達は信じられないと思います。

自分の良心に基づいて真実を見つめる人達がいるのです。それについては、新刊本のあとがきや、現在の本にも少し私の背景を書いていますのでお読みください。伊達家の先祖つながりの方々も、福澤諭吉の塾員として入舎台帳に名前のある時代や貴族院議員時代からの方も衆議院議員の方々も多くいます。

 

こういう背景を言わざるを得ないのは、あまりにも何も知らないでネット上に偽情報を書いている愚かな人達への警告です。つまり、偽物の愛国心のもとでコメントを寄せるような人間に嫌気がさすのです。そしてその偏った教育や偏見に基づいた人の傍若無人な振る舞いをこれ以上許すわけにはいきません。ご遺族も、同じようにこの書き込みについて、怒りを持っておられました。いつもご遺族という言葉で、自分たちを利用するからです。

それではまず元自衛官と思われる人からの問題の書き込みについて、東大つながりの防衛省の友人から次のようなコメントが寄せられましたので掲載します。

*****

BSMIという人へ警告する

また面倒なことをしてくれたとしか言いようがない。私達にとってあの国会議員罵倒事件の三佐もそうだが、この手の勝手な振る舞いに上司も苦り切っていた。内閣との関係も考えると、これ以上足を引っ張るのは止めてほしい。青山さんには何んとか穏便にお願いしているが、今後訴訟も考えているとのことなので、もし公判になった場合は森友問題の検察不起訴と同様にはいかず、むしろ逆だということをいっておく。こっちはそういう法廷の場に引きずり出す覚悟だ。防衛省とは関係ない。勝手に慮っている人間の仕業である。

*****

自衛隊レンジャー修了者からBSMIと名乗る書き込み者へのメッセ―ジの一部

自衛隊は国民に自分の失敗がばれないように工作しておいて、自分たちでだましておきながらも、この本の読者を無知な読者とは何事か。遺族をだしにして、物事を語るな。犯罪者の片棒を担ぐのか、それともあの日の実行犯か、キサマは!

 

以上原文ママ(一部本人の申し出により訂正)

*****

サポートチームの弁護士からのコメント

この人の文章は支離滅裂で、恐らく自分の内部に矛盾を抱えているのでしょう。青山さんは解明した事実のみを書いているのであって、何かに恐れているとか、出し惜しみをしているとか、そういうものではないのです。解明するための費用や研究機関への依頼や調査費用はすべて彼女の印税を使ってしているのですよ。それを読者が支持しているのです。つまり、本来は群馬県警や、事故調査委員が国費にて行わなければならないことを彼女は自費で行っている。BSMIさん、あなた自身が犠牲となった人達の不幸の上に胡坐をかいて隠蔽しているにもかかわらず、相手を非難する言葉にすり替えるのは止めなければなりません。暴露すべきだと書いている貴方こそ、暴露すべきでしょう。自分の罪を正当化するのであれば、国家の為だったといって自首すべきでしょう。

それから忠告を一つ。BSMIさんは、随分注意を重ねて書いているつもりでしょうが、「死ぬときは殺された自衛隊員を含む530名分の苦痛を飯の種にした呵責で苦しむでしょう」という文章は、十分に脅迫文にとなりうる。よって訂正および謝罪を要請します。貴方自身がその後隠蔽で得たお金で飯の種にして呵責で苦しんでいるのだと、容易に推測できます。

*****

 

そのほか、ご遺族からも「遺族の哀しみをステップ」にして、というところに遺族という言葉を使って利用してくれるな、ということで、「私ら事故原因に疑問を持つ遺族が青山さんに自分たちから会いに行って、お願いして、いまがあるのです。青山さんは私らと一緒に考えてくれて、自費で研究機関や弁護士を紹介してくれているのです。このあほなことを書いてくる人間がいる限り、世の中は良くなりませんな。もう一度、日航便で犠牲となった人のことを、世の中の人にわかってもらえるように記者会見を考えています」

とのお電話をもらいました。私も記者会見は大賛成だとお答えしました。

最後に、弁護士の先生からのメッセージをもう一度お伝えしておきます。

「死ぬときは殺された自衛隊員を含む530名分の苦痛を飯の種にした呵責で苦しむでしょう」という文章は、十分に脅迫文にとなりうる。よって訂正および謝罪を要請します。

以下、問題のある書き込みです。この卑劣な書き込み者を許してはなりません。自分の悪事を棚に上げて、全く筋違いの誹謗中傷と脅しです。

こういう人たちが今まで真相究明を妨げてきました。許しがたい行為です。

 BSMI

亡くなられた530余名の方と、その遺族の哀しみをステップにして出版を続けられる青山透子さん、もういい加減に人の不幸で食うのは止めたらどうですか?
あなたの計算高い悪意で、多くの無知な読者があなたの生計を支えていることを幸福だと考えていらっしゃるのでしょうか?
新事実も真実も、もうすでにインターネットの世界に氾濫しています。
TBSかの番組で、VRの雑音を除去し、ハッキリと「Orange Air」と聞こえているのに、無理矢理番組は「Body gear」と結論をぼかしています。
あなたと同じように「何か」を恐れているのでしょう。
私はあなたの心に1%でも良心が残っているなら、決死の覚悟で中曽根が「墓場まで持っていく」と言った内容を暴露すべきだと思います。
あなたは悪者でしょうから、こんなこと聞くわけがないけれど、死ぬ時は殺された自衛隊員を含む530名分の苦痛を飯の種にした呵責で苦しむでしょう。

日航123便疑惑のはじまり 大反響御礼

管理人です。

待望の第一作復刻版「日航123便疑惑のはじまり―天空の星たちへ」が多くの方々の支持を得まして、河出書房新社では早くも在庫切れの気配が出てきました。どうぞお早目にご購入の程宜しくお願いします。

読者様より、「どうしても読みたかった、嬉しい!河出さんありがとう/昔の本とまったく異なる新しい本のようです/404ページもある分厚い本をじっくりと読ませて頂きます/もう一度読み返します/青山さんの本を読む楽しみがまた出来ました/2010年に買った本は、色々線を引いて何度も読み返し、私のバイブルだった/前の本がボロボロとなったのでまた買いましたよ」といった声が寄せられています。

本当に有難うございます!

なお、次のようなこともぜひ伝えてほしいとありますので、お伝えします。

「あれだけ分厚い本を読みもせず、サッサと中古本に売りに出し、〇マゾ〇で、星一つやら二つやら付けて、お金をもらっているやからに怒りを覚える、あんな中古本を買ってはならない」

「どこかの誰かが忖度して書いたものなど、のさばらせてはいけませんよ。いままで、どれほど遺族や関係者を傷つけてきたことか。私はもう許しません。青山さん、頑張って下さい。知的な人ほど貴女の見方です」

励ましのお言葉、有難うございます!

なお、この本の帯をご覧いただけるとわかりますが、次回作は、着々と準備中です。

こちらもさらに詳細な調査を行いまして、専門家の知見を集めて書き上げていますのでもう少々お待ちください。

皆様の温かいお言葉を励みに、また心ある専門家の支援と50名を超える弁護士の方々との繋がりを大切に、読者の皆様とご遺族の疑問を一つずつ解決していきます。

もう少しお待ちください。真実はひとつです。

 

 

日航123便墜落 疑惑のはじまり~天空の星たちへ復刻版

皆様、お待たせいたしました。多くの方々からリクエストが寄せられた青山透子の第一作「天空の星たちへ―日航123尾あの日の記憶」が、このたび河出書房新社より復刻し新版として生まれ変わりました。

「ネット上では中古本の値段が1万円もするので是非出版してほしい」、「地元の図書館では現在の本も今なお50人以上待ちで、天空の星たちへも30人以上待ちです」等々のお手紙や声援にようやくお応えすることが出来ました!

下記が河出書房新社HPです。今月末発売予定で予約受付中となっております。

ぜひよろしくお願い致します。         管理人

 

*******

「皆さんの声に答えられましたことを心から感謝いたします」 青山透子

この本を復刻するにあたり、先日御巣鷹の尾根にご報告してきました。縁あって私の先輩となられた方々の墓標をなでながら、やっとここまできましたよ、と語りかけてまいりました。澄み渡った青空を見上げると、ピンク色の山つつじと山桜が風に揺られてにっこりと微笑みかけてくれた、そういう気がしました。

 

この新版は、タイトルの「日航123便疑惑のはじまり―天空の星たちへ」の通り、ごく普通の人たちが、ごく普通に疑問を持ち、おかしいなあ、と思った経過を私の授業を通じて皆さんにお伝えしている内容です。発行当初、ご遺族から「私の疑問と学生さんの疑問が同じで、この本を読んだことで頭の整理がついた。有難うございます」というお電話も頂戴しました。

さらに、この本では1985年当時のスチュワーデスと呼ばれていた世代の訓練内容や、日常の風景、殉職された先輩たちのちょっとお茶目なエピソードも多数盛り込まれております。ひとりひとりの顔が浮かぶことで、リアリティが生まれ、共感力をもってこの事件について深く考えたほしいと願って書いたものです。ぜひそういう視点でお読み頂けますことを心から願っております。

当時の訓練における教官の厳しい教育、いざ何かあった場合の対処の仕方と最も重要なエマージェンシー訓練内容、その精神の高さはいつまでも受け継いでいってほしいものです。しかし、現在の状況は労働環境も異なり、そこまで期待することや要望することは難しく、訓練用の教育本も絵が中心となって分量も半分以下です。それに比例して賃金も航空運賃も当然当時とは比べ物にならないほど格安です。時の流れというものでしょうね。

あの日、御巣鷹の尾根で殉職された先輩たちはみな、20代前半から30代前半の非常に若い女性たちでした。既婚者や新婚一か月の先輩もおり、3才の子供もいる普通の女性たちでした。墜落を目前とした機内での毅然とした振る舞いは、乗客の遺書にも[スチュワーデスは冷静だ]と書いて頂けるほどでした。

皆さん、もし自分がそういう環境でいたならばどうしただろうか、と思いながらお読み下さい。そして、この先輩たちは日航側の人間であり、そのご遺族も悲しみを表に出せない辛い日々だった事に、少しは思いを馳せて頂けますと嬉しいです。

墜落原因の不透明さが残っている以上、もう一度きちんと情報を公開していくことが本当の供養であると思います。もしそれを妨げる人間がいるのであれば、それは人倫に反する精神で人以下であり、その究極的理由が自己保身だとすれば、520人の命を軽んじている、としか言いようがありません。

事故調査委員会も、組織優先ではなく、人の道として自分の心に誠実に誇りをもって仕事をしたというのであれば、あの内容がどれほどのものか、その客観性を示す元データの情報を全て公開すればよい話です。過去、様々な当事者からの要望に対して「元データの提示が出来ない」と言い逃れた33年間であった、ということがすべてを物語っているような気がします。

それではぜひ復刻版「日航123便疑惑のはじまり」をお手に取ってご覧くださいませ。

なお、追記ですが、前著の「天空の星たちへ―日航123便あの日の記憶」の電子書籍版は引き続きマガジンランド社より出ております。今回の書籍については、マガジンランド社では継続して紙版の出版が出来ない旨の連絡を頂きましたので、著作権にもとづき河出書房新社に紙の本の出版権を移譲して実現致しました。

下記HPからご予約下さい。関心のある方々にもぜひお知らせくださいませ。

宜しくお願いします。

 

www.kawade.co.jp

 

第二章で登場する重要な人たちの思いとは何か

 

昨年同様、今年もご連絡を頂いた多方面で活躍するいろいろな方々にお会いしている。お話する中で、未公開資料や未公開写真を提示して冷静に話を進め、ご一緒に多くの疑問を考え、事実を真摯に受け止めて下さることに、心から感謝を申し上げる。

ちまたにあふれるような単なる批判からは何も生まれないが、こういう方々と共に実証していく中からは、真実が見えてくる。

拙著の第二章に登場する元運輸大臣山下徳夫氏もそうだった。率直にいろいろな話をした。恐らく無意味な批判をする人ではなく、私と話をすることを選んだ下さった理由がそこにあると思われた。

ご遺族の吉備氏も目撃者の小林氏もそうである。過去、日航123便の本はたくさんあったが、事実を事実として、きちんと受け止めてくれる人で共感が持てるとして、私を選んで下さったそうだ。

信頼関係こそがノンフィクションとして最も大切なことである。その関係性の中で書かれたものがこの第二章であることを十分意識して、共感力を持ちながら読んでくれることを願う。目撃者の事実を安易に捉えることなく、じっくりと一言一言の重みを感じてほしい。

なお、この章のキーワードは「事故原因を追及したら戦争になる」である。

なぜ、ボーイング社の修理ミスと日航側の確認ミスが、戦争になるのだろうか。どちらも民間会社(日航は半官半民の特殊会社)で、どちらも己の罪を認めている後での話である。公表された事故原因で、なぜ戦争になるのか、誰か教えてほしいのはこちらである。特に群馬県警察の県警本部長である故河村一男氏が発したその言葉は重い。どういう根拠でそういったのか?皆さんによく考えてもらいたい。

それにしても中曽根康弘氏は墜落の翌日の8月13日に、米軍のトップ、クラフ太平洋軍司令官に旭日勲章を授与しているのである。和気藹々と和やかな二人の顔が新聞写真に掲載されている。墜落の現場に行かない中曽根氏といち早く墜落現場を発見したアントヌッチ氏に他言無用という指示を出した方が、二人とも楽しそうな笑顔の写真である。

これでなぜ戦争になるのだろうか?その意味を読者の皆さんはじっくりと考えてほしい。

次に、目撃証言を否定する人たちの心根はどこにあるのかを問いたい。

私はこの本を書くにあたって目撃証言をダブルチェックで書いている。

複数の人間が証言した時、それらに繋がりのない、立場も年齢も異なる人の証言は裁判証拠として有用性がある。

例えば、赤い物体も上野村村民、小林氏など複数の人が見ている。

墜落前に日航機を追尾していたファントム2機についても、非番の自衛隊員、上野村村民、目撃情報者と複数いる。

墜落場所不明報道についても、上野村村長、村民が複数、報道機関に自分の村だと伝えている。

見た人間がいる以上、それを否定する根拠を持たない人間は、安易に無責任にそれを批判してはならない。

それからもう一つ。当時の新聞で、発見現場の遅れを自衛隊の怠慢のせいにし、自衛隊がもう少し早く発見出来ればもっと生存者がいたはず、という批判や抗議が殺到した、という新聞記事はいくつもあった。それらの国民的批判に対して、あの時は仕方がなかった、という言い訳を国会答弁の中で山下徳夫運輸大臣もしている。自衛隊幹部もテレビや新聞で、装備の不備や自衛隊員の安全などを理由にして、批判を甘んじて受ける、としている。

しかし、実際にはいち早くファントム2機を飛ばし、まだ飛行中の日航機を追尾し、墜落現場を知っていた。その事実が目撃情報から明らかであり、むしろ自衛隊はそれを発表すればお手柄になるはずだ。自分たちがこんなに早く発見した、ということで日本政府も自衛隊も、国民へ答弁すれば、それは十分称賛に価する。自衛隊幹部も誇らしげに報道すれば良いではないか。

なのになぜ、わざわざ実際に飛行していたファントム2機の存在を隠す必要があるのか。

事故原因が「ボーイング社の修理ミスと日本航空の修理確認ミス」なのだから、なおさら隠す必要性がない。自分たちの手柄として発表すべきだろう。それが出来ない理由があるとしか思えないではないか。

手柄を捨ててまで一晩中不明としなければならなかった、大きな矛盾がそこにあるのも事実である。

 

 

 

 

 

 

 

 

長距離巡航ミサイル導入に意欲的な現在の首相と中曽根康弘氏の発言の類似性

 先日、あるジャーナリストと会談をした際、彼は思わず「まさか自衛隊がそんなことするはずないじゃないですか」とおっしゃった。その根拠を尋ねると、うーんと沈黙された。つまり、誰でも心の中に、まさか、という思いがあって、どうしてもその現状を受け入れがたいという心理が働く。私がヒューマン・リソース、人的資源戦略や顧客心理の授業をしていた時に、よく学生たちと一緒に考えてきた心理である。

「まさか、そんな事は起きないと思っていた」は、重大な事態が何か起きてからでは、特にプロならば言い訳にはならない。一般的なニュースを見ても、例えば「いつもおとなしいあの人がまさか殺人者とは」、「一家で仲が良さそうだったのにまさか親子で殺し合いとは」とか・・よくある近隣関係者へのインタビューの会話である。

まさかという「魔の棲む坂」を登って冷静に上から見てみると、下からでは見えてこない何かが見えてくるのである。

さて今回は、第一章で重点的に読んでほしい部分を取り上げる。

今日において防衛費が膨張し続けている中で、現在の安倍首相は長距離巡航ミサイルと一基約1千億円の陸上配備型弾道ミサイル迎撃システム「イージス・アショア」2基導入を検討しているそうだが、この話は実は1985年8月7日の中曽根康弘元総理大臣の言動と非常に似ている。日航123便墜落の5日前、防衛庁(当時)は地対艦ミサイル部隊新設と地対空ミサイル部隊の新型パトリオットミサイルへの切り替えを国防会議で公式に報告した。

昭和61年度から5ヶ年計画(防衛力整備計画原案)の抜粋は次の通りである。

 ①北方重視の観点から陸上自衛隊の師団改編を行い、地対艦ミサイル部隊を新設する

 ②P3C対哨戒機を百機体制とする

 ③地対空ミサイル部隊は旧式ナイキからすべて新型パトリオットに切り替える

(1985年8月8日付毎日新聞

中曽根首相(当時)の「海空重視」論に沿っての防衛計画に示された防衛水準の達成を期する内容であり、この5年間の防衛費は19兆円と見込まれ、対国民総生産(GNP)比1%枠の突破は必至であると書かれている。

シーレーン防衛強化を打ち出し、昭和62年度に開発完了の地対艦ミサイルSSM-1を導入し、焦点となる新型艦対空ミサイルシステム護衛艦調達について、洋上防衛全般の検討研究、期間内導入を目指し、地対空ミサイルは新型パトリオットにすべて切り替える、という記事である。しかしながら、日航123便墜落の後、急にトーンダウンして、ミサイル導入計画が先送りされてしまったのはなぜだろうか。専守防衛の範囲を超えるとの批判からか?それならば、その批判に答え、それでも導入をすると語っている。さらに、その後、制服組よりも背広組(内局)の機能強化を打ち出し、人数を増やすと言ったのはなぜか。(拙著P66)

 中曽根首相が1985年8月7日に最新ミサイル導入をぶち上げたその5日後、「まつゆき」の公試中、まつゆきからか?ほかの場所からか?何等かの赤い物体が飛び出てしまった、とすれば、普通に考えても、辻褄が合う。何等か新型のものを試運転中、プロモーションの最中に「まさか」が起きた、とすると、全て繋がってくるのではないだろうか。

拙著の第1章の中曽根氏の部分ををもう一度読んでほしい。

 そこで私が最も危惧することは、何か起きた際、まさかでは済まされず、その結果についての責任の所在である。当時を振り返って中曽根氏は、日航123便墜落に関して次のようにご自身の著作物で述べている。

「あの時は官邸から米軍に連絡を取らなかった。しかし、恐らく防衛庁と米軍でやり取りがあったのだろう(中曽根康弘著、戦後日本外交史より抜粋)」

これを読んで皆さんはどう思われるだろうか。

あの時、日航123便墜落について、もしもその理由が「まさか」であっても、この国の政治責任者は首相だ。

当然のことながら、自衛隊の上に防衛大臣、首相がいて、内閣がある。念のため、防衛省の組織図をご覧頂きたい。下記HP

http://www.clearing.mod.go.jp/hakusho_data/2014/pdf/26020202.pdf

 

中曽根氏は、当時、自ら自分の置かれた立場や役職、そして自分の存在意義を否定し、回避し、知らんぷりという姿勢を貫いたと、自ら語っているのである。この時の中曽根氏の姿勢や行動こそ、今も脈々と続いている政治の無責任な体質ではないだろうか。

これほどのことを堂々と書いたということは、御本人が総理大臣として無自覚だったのか、余程の無知ということになる。長い人生の中で間もなく100歳となろう方が、さらにご立派な勲章を頂いた方が、520名の死をどう考えているのか。戦争でもない1985年に自分がとった行動を、自ら深く反省しなければならない理由がそこにある。

 

第一章に書いた私と故山下徳夫氏との会談で、次のような雑談もした。

「何かの功績をしたから、別の罪が軽くなるなどはありえず、それは刑法上当然のことです。また、墜落場所の上野村のために、多額の固定資産税が落ちるように神流川発電所を作り、その維持運営という理由で御巣鷹の尾根への道路を整備し、トンネルを作ったことで遺族が慰霊に行きやすくなった、ということと、自分の犯した罪が消えることは別です。自衛隊が多くの災害活動で活躍したからといって、誤って罪を犯したとするならば、その罪と相殺はされません」と。

山下氏は十分納得されて聞いておられたのを思い出す。そして、それを語れる貴女に会いに来た、という感じであった。数多いメディアやジャーナリストの中で、私にお会い下さった理由はそこにあるのだろうと勝手に思っている。

私がその昔、学芸コンクールの文筆部門で賞を受賞した際、首相官邸にて授賞式の際にお会いしたのは三木武夫首相、永井道夫文部大臣で、その写真もお見せした。

あの時、受賞者全員の前で三木首相(当時)はつぎのように話された。

「あなた方受賞者たちは、芸術という武器でぜひ日本の未来を変えてほしい。ペンや彫刻刀、音楽などを武器として、本物の武器ではなく、その才能で国際平和と日本のために頑張って下さい」

 まさに、ペンは剣より強し、である。そして、ペンを権力への迎合のために利用してはならないという戒めである。

 山下氏の他にも、随分前になるが池田隼人首相夫人の池田満枝氏(お家の応接間にあった5メートルぐらいの長細い大テーブルが印象深い)、秘書の木村貢さんにはよく自転車会館にてお会いした記憶がある。さらに大平正芳氏、増岡博之氏、加藤紘一氏、谷垣禎一氏(自転車で落車?でリハビリ中)、安倍洋子さん、安倍晋三夫妻にもお会いしたことがあるが・・・。

官僚の中には優秀な人もいるが、どちらかというと省庁間の都合や自分の出世を優先させて、その視点から物事を考える癖がついている人が多い。その際は関係者やマスコミに正しい情報を与えず、自分たちの都合の良いことのみを伝える。さらにオ〇〇の軽い神輿を担ぐことが一番良いと思い込んでいる人もいる。

損得を越えて先行きを憂いて、現在の体制に物申す人間がいなくなった国は、独裁国へとなり下がるのは世の常である。

人間の陥りやすい権力志向(いわゆる首相や官僚、警察などの組織)の人やそれを安易に担ぐ人も「まさか」が起きると同罪となる。いくら自分たちの所属する組織を守ったからと言って、結局のところ、最終的な結果は担いだ個人についてくる、ということを肝に銘じていかなければならないのである。そして最も重要な点は、そういう自分を好きになれるか、そういう生き様を肯定できるかである。〇〇の為だから、〇〇を守るためだから、大事の前の小事、という理由は、偽りの心の慰めにしかすぎない。究極の自己愛でそう言い聞かせても無駄である。そう思いながら、もう一度第一章を読んで頂きたい。

青山透子

 

*****

2018年1月23日の草津白根山噴火の際、訓練中に負傷、死亡者の出た陸上自衛隊の相馬が原駐屯地の部隊は、1985年8月12日の墜落後、夜間に最も早く御巣鷹の尾根に向かって出発をした偵察隊のある部隊である。心からご冥福をお祈りする。

 

2018年1月26日、戦後の大物政治家の野中広務氏が92歳でご逝去された。ご自身の戦争体験をもとに、憲法改正に反対の立場から発言を続けた筋の通った方だった。哀悼の意を表したい。 

 

 

*****

 管理人です。

皆様からのメールや新年のご挨拶、お手紙を有難うございました。

その一部をご紹介します。

 

「(略)新聞広告欄を見てこの本の存在を知ったものの、また誰かが興味を引くためにいい加減なことを書いているのかとしか思っていなかったのですが、たまたま読みたい本を探して本屋に入り、書棚でこの本を見つけ、数ページを読んで、これは実際に足を使って取材した証言をもとに書かれた本であると気づき、その内容に驚愕しました。(略)この本に巡り合えた縁に感謝しつつ 合掌」/僧侶の方からの手紙

 

「~非常に重要な書籍であると思い、その気持ちを伝えたくて手紙を書きました。(略)頭脳の明晰さや洞察力の鋭さを感じるとともに決意や信念の強靭さも感じました」/内科医師からの手紙

 

「私たちの疑問に答えてくれた内容に感謝します。元パイロットで、貴女の本を批判している方は、事故当時はアジア航空に出向中で、いつも夜の宴会ゲームに興じてたようだが。御巣鷹の尾根の整備や草取りにも行かず、いっぱしのコメンテーターとはちょっと笑える話ですね。さすがにあの本の書評を書く人はいないでしょうから、必死に自分の経歴を自慢して某週刊新聞に売り込んでいるようです。今年も8月12日のコメントを言わせてくれと、ディレクターに自分で自分を売り込むしかない様子です。情けない」

日本アジア航空ハ〇ン〇宴会部長

 

日航の社長交代が新聞に出ていました。六二(ロクニイ)入社の赤坂祐二君になったそうですが、青山に対して赤坂とはなんとも面白いゴロ合わせだね。赤川だったらもっと面白い。社長就任に際して85年の日航事故の衝撃について語っている記事だったが、しかしながら、当然、入社すると決まっていない2年前の出来事であるわけだから、一般の人と同じようにテレビの報道で知った程度であろう。つまり、実際にあの時、内部で整備の苦しみを経験していたわけではないから、彼がどこまで、どれほど知っているのかは大変疑問です」

元整備関係者

 

いろいろと情報を頂まして有難うございました。