青山透子公式サイト 日航123便墜落の真相

日航123便墜落事件の真相を追究するー歴史的裁判開始の幕開け

新春のお慶びを申し上げます 新春増大版 青山透子 

新年いかがお過ごしですか。今年は読者の皆様と一緒にさらに次のステップを目指していきたいと思います。どうぞよろしくお願いします。

さて、新春のお年玉企画として、さらりと読んだだけではわからない(せめて4回以上は読んでほしい)ということで、見落としがちな注釈に注目して解説していきたいと思います。

●まず序章から~

序章の注釈をじっくり読んでみてください。いろいろと面白いことがわかってきます。

その中で、注3に注目!

皆さんは事故調査報告書を英訳して海外の専門家に読んでもらったことがありますか?

何のバイアスもかかっていない外国の専門家(複数です)が、日航123便の事故調査報告書を普通に読んで、当たり前にコメントした内容をご紹介します。

「このような報告書に日本人は納得しているのか?不思議だ」

「遺体に関する描写が即死で終わっており、520名の死の持つ重い意味が全く伝わってこないひどい内容だ」

「後部圧力隔壁を自衛隊員が調査員が調査する前のごく早い時に、エンジンカッターで5分割に切断したあとに繋ぎ合わせたにもかかわらず、そのときの強い振動で入ったヒビの部分と墜落で生じたヒビをレプリカで電子顕微鏡で見て明確にわかるという詭弁が書いてある」

「数式での表示の羅列はそれだけが独立して書かれ、それが正しいという結論を無理やり導きだしており、現場状況、目撃情報、遺体状況との整合性がつかない」

 

まだまだありますが、あまりにも事故調査報告書にお粗末な部分がありすぎて、一応ここまでとしますが、ある一定の思惑をもって書いた資料というものは、ボロボロとほころびが出てくるものなのだ、という点を理解してほしいと思います。

実は注3に少し書きましたが、ご遺族が多くの外国の専門家に英訳した事故調査報告書を見せました。まさに執念で、何度も各方面の教授たちに真実を求めて話をしてきたのです。

そのうえで、日本の事故調査報告書の誤りを指摘し、それを書いた当事者に面談を申し込み、直接ぶつけてみようと試みたそうですが、避けられたといういきさつがあります。それも米国では考えられない、ということでした。遺族ですら無視されたのです。

そのような中、2009年、財団法人全米航空被災者同盟(National Air Disaster Alliances/Foundation)で日本人として初の航空安全賞〈2009年3月11日〉を日航123便のご遺族(8.12技術部会)が受賞したのです。生存率を上げるため、遺体状況から分析をしていった取組みが認められました。

なお、NADAのホームページには、なんとミサイルで狙われている飛行機のイラストが出てきますのでご覧ください。

National Air Disaster Alliance/Foundation

この財団では、事故原因の不透明さや遺族の疑問を解決する手段として、上院、下院議員を増やすという目的を持ち、ささいなことでも何でも資料を提供し、みんなで解決しようとする姿勢を掲げています。今、私たち日本人もこれに学ぶ必要があるのではないでしょうか。

科学的な根拠を持ち、事故原因の不透明さを政府の発表を鵜呑みにせずに自ら解決する場として存在しており、報道各社のメディアと問題意識を共有する姿勢がわかります。こういう場があるからこそ、ご遺族の心は救われるのだと思います。

近年、異常な自主規制の意識を持つ人が多いですが、心の中にある自分の恐れにとらわれず、これだけははずしてはいけない、これだけはやらなければならないという正義感を持ち続けたいと思います。

新年、ご遺族の方々などから手紙を頂戴しました。そのほんの一部をご紹介します。

 

「青山さんの本は私たちの心の支えです。敬意を表し心から感謝しています」

「私は、元メディアの人間だが、某局や東〇新聞、〇ンケイに、航空機関連のコメントで優秀で良い人材がいるにもかかわらず杉江にしろと言われてまいったことがある。まさに御用コメンテーターだ。事故調の都合の良い事しか言わない」

「高浜機長が酸素マスクをつけずに操縦した、とか、機長らの行動を批判して、自分なら、このように行動したとの杉江氏の主張は、死亡した機長らへの誹謗、中傷であって、再発防止との名目による「死者への鞭打つ所業」に他ならない。必死に活躍した先輩パイロットへの尊敬の姿勢が少しも見られない」

過去に河村群馬県警本部長は、隔壁破壊説に異論を提起し、自衛隊政府の関与を主張した「角田氏」「吉原氏」「藤田氏」らに電話で攻撃し、脅迫し、出版会社に謝罪文を掲載させたと自著に自慢げに書いている。河村本部長と会ったと自慢し、それを擁護する杉江氏も又この流れを汲んだ行動であり、隔壁破壊説を信奉するだけでなく、政府、自衛隊の関与を提起した青山氏、池田氏を誹謗、中傷して出版することは 許されない。これこそ、犠牲者、遺族に更に大きな悲しみ、苦しみを33年後にも投げ掛ける行為である。杉江氏の言動は遺族の心情を踏みにじる行為だ。私は決して許さない

なお、もし河村氏がそのような行為をしたのであればそれは明確な犯罪行為です。

法曹関係者に聞いたところでは

「河村氏がご遺族に「米国と戦争が起こる」とか「米国に殺される」といって口封じをしたとか、異論を書いた出版社に謝罪文を書かせたとか、電話などで攻撃したということがあったのであれば、これは完全に強要罪や脅迫の罪です。ましてや司法警察員もしくは過去にそういう地位にあったわけです。これはタダでは済まされません。また運輸省で「私は東大法科の出身です(そういうことをやっても無駄ですよ)」と言った人間も権利乱用、明らかに不当威迫です。少しでもこういうことがあった被害者は表にすべて出しましょう」

ということです。

日本航空について有識者より

日航の社長以下の人間に対して、政府もしくは公務員から、事故原因に対して隠蔽を計るように強要や脅しがあって彼らがそれを行ったのなら、日航の責任が阻却されます。真の事故原因は政府が作出したのであって、「隔壁破壊」というでっち上げの罪を被らされたことになります。大株主であり監督官庁であれ、人としても許されません。日航への冤罪です。」

 

それから補足ですが、目撃証言の重要性は当然のことながら裁判で証明されています。

警察では事件が起きた際、最近は防犯カメラに頼っていますが、当たり前に目撃者を探します。目撃情報を得るため現場100回であらゆる人たちにあたり、それを証言してもらうことは捜査の基本であり当然のことです。それをどこかの御用コメンテータ―は「目撃証言はあてにならない」といった否定でただ無意味に批判していますが、それは警察の行動を否定していることにつながります。

今回の著作では、群馬県警の仕事を私が代わりにしたようなものですが、それを否定するならば警察の仕事を否定し、目撃情報など必要なし、ということになります。

そこのところどう考えておられるのか、目撃者の言う事を否定する人に直接聞いてみたいものです。ぜひお会いしたいと思っていますが、いかがでしょうか??

 

それから、杉江氏の言うことはすべて疑ってかかれ、というアドバイスも署名付きで関係者から頂戴しました。そのほんの一部を出します。

相模湾に沈んだ垂直尾翼の捜索、回収の放棄(事故調の能力、権限の低さ)今からでも遅くはない、海底捜索と引き揚げを行うべきである。と杉江が書いているが要注意である。⇒ この提起は極めて異例。然し事故直後に自衛隊残骸を日航手伝わせ、隠蔽した自衛隊が重要な証拠である相模湾海底の残骸を放置しておくことが考えられない。若し、相模湾から、残骸の捜索して、自衛隊残骸が見つからない時には、政府、自衛隊は 「事故原因は 隔壁破壊説が立証された」と居直る根拠になる。即ち、政府、自衛隊による罠なのである。要注意である!!」

 

なるほど、そういう罠もあるのですね。

どうせならば、杉江さん自ら自分のお金で引き上げたらどうでしょうか。

この公式サイトもご覧になっているようですので一言お伝えしておきます。

あんな便乗商法の本ではなく正々堂々、どうぞ出版社にご連絡下さい。お待ちしております。

そして、その時の会話は新春特番として、読者の皆様に全てを公開します。

但し、相手が応じた場合ですが・・・恐らく逃げるかもしれませんね。

 

さて今年も皆さんからの鋭い指摘と温かいご支援、多くの情報をお待ちしております。

ご遺族の心に穏やかですっきりとした時が訪れるように、皆さん頑張りましょう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今年出会えた皆様に心から感謝します  青山透子&サポートチーム

多くの皆様からの感動のお手紙、ご遺族からの温かいお言葉、出版社への感謝の言葉も頂きまして本当に有難うございました。数々のお心のこもった読者の皆さんからの言葉に励まされる毎日でした。

おかげ様で大変多くの方にお読み頂き、心から感謝いたします。このブログも述べ40万人以上の方にご覧頂きました。数々のアドバイスや応援、貴重なご意見など頂戴し、本当に感謝しています。

新聞、雑誌、専門誌等の書評で取り上げて下さった作家、ジャーナリスト、芸術家、美術評論家、大学教授等、各界の有識者の皆様にも心から感謝申し上げます。

特に「論理的に構成された本である」、「仮説に基づき、粘り強く証言を集め、丁寧に分析し、事故調査報告書より、よほど論理的に事故の原因に肉薄している」といった書評もいただきました。

今年この本を世の中に送り出して本当に良かったと思った次第です。

現代の世相を反映して見るに、原発事故後再稼働問題、森友・加計問題、大企業の様々な隠ぺいの実態も浮彫となり、私たちはあの東日本大震災を経験したからこそ、これらの事実の隠ぺいもありうる、という恐ろしさを実感し、政治、官僚のみならず様々な利害関係者による無責任さも知りました。

この本は、注釈や補足説明の部分も含め、何度も読み返してほしいと願います。その過程で、一度読んだだけでは気づかなかったことも気づき、はっとする瞬間があるはずです。皆さんの読解力に期待します。

新年はこのサイトにて、表層的ではない読み方のための解説を行いたいと思います。

青山透子はこの本の中で、他人の批判などは一切書いておらず、むしろ論理的に必然的に事実を分析して、その結果得られた可能性を示唆しています。

誰もが当たり前におかしいと思い、当然のことながら、変な点がこれだけあるということがわかるように書き進めていることは、通常の読者ならばすぐ理解出来るはずです。解説では、ごく一般の方がわかるようにポイントを押さえてお伝えしていきますので、それをもとにして真っ白な新鮮な気持ちで何度もお読み下さい。

 

なおこれは公式サイトですので、ここに寄せられたコメントは、青山透子サポート倶楽部の弁護士や出版関係者、ボランティアサポートチームも目を通しております。その中で厳選して出しておりますのであらかじめご了承ください。

それでは、今年の多くの出会いに感謝し、来年もどうぞ宜しくお願い致します。

 

 

 

 

レッテル張りとご遺族の苦悩  青山透子

良識ある10万人の読者の皆様へ 

32年間、世間の風が事故原因究明に向かないよう、不都合な事実が出るとすぐレッテルを張ってプロパガンダ、つまり特定の意図をもってそちら側に向かないよう誘導するやり方で、再調査がしたくても出来ないような風潮を作り上げてきた人たちがいます。そういう人間は、自分たちの不都合の為だということを言わず「陰謀説を出すとは遺族を苦しめることだ」「感情論に過ぎない」「情緒的で証拠がない」という言葉で事実を否定し、卑怯な手段を講じてきたと思われることが多々あります。いくらごまかしても、その人自身が犯した罪が消えることはないのに、その理由を遺族のためだからとは茶番です。

私と同じように毎日国会図書館に通い、発表された32年間の資料の経糸と横糸を結び付けて考えていくと、誰もが普通におかしいと気づきます。批判している人達はやってみてください。私もそうだったように、だんだんと疑問と持ち、その矛盾に気づくはずです。

それをせずに、批判だけするということは何等かの作為的な悪意を持った人と言っても過言ではないでしょう。

 不都合な事実を抱えた当時の関係者たちは、常にご遺族を苦しめてきたのです。私の所に寄せられたその生の声をお聞かせします。

 

「事故遺族として、520名の犠牲者が、どのような理由、原因で殺されたのか真実を明らかにして、それを犠牲者の霊前に供えるために地道に活動をしてきました。

そのためには 国民の皆様方の理解と応援が必要だと即ち世論の喚起、応援が必要なのです」

 

良識ある読者の皆さん、どうぞ味方になって下さい 

事故原因再調査を願う遺族が、たった1人でもいる限り、私たちは常に彼らの味方にならなければいけないのです。

心からの応援を宜しくお願いします。

なお、まだまだたくさんの声が届いておりますので、その一部を紹介します。

 ***

「叔父は元群馬県警のOBですが、当初は本屋に青山さんの本があったら、隠すために昔の同僚と一緒に買い上げたと聞きました。今さら変ですよね。ネット社会なのに。叔父も本当のことはわかっているようです」

 

「杉江という人のぺらぺらの本、ペラペラめくってみたけれど、過去の本の焼き直しばかりです。昔の古いジャンボ機にたくさん乗ったから、ボーイングから表彰されたというのが自慢の人ですね。だから不利な人達を動員して買わせたら数も見込めると出版社も思ったのでしょう。青山さんの本が10万部超えて、隠す側に余程焦りがある。立場の悪い側の人間は、このまま事が進むことに居ても立ってもいられなくて杉江に書かせたのでしょう。火消本どころか結果的に火に油を注ぐ役割、というところでしょうか。

メディア関係者」

 

「慶応と産経について、誤解があるようなので・・・

・場違い突然で失礼します。産経新聞と時事新報は合併しましたが別物です。慶應法学部教授だった板倉卓造主筆兼社長までが本当の時事新報。板倉は、その主義は異なっても社会主義者大杉栄を理不尽に虐殺した憲兵隊の仕業を暴いて追及し、憲兵隊の脅迫を受けたものの怯まなかった(甘粕事件)凄い人でした。まるで、青山透子さんみたいです。

なお、慶応の本流ならば上記のことは皆さん知っていることで、今のフジサンケイとは全く無関係ですからご注意下さい。だから、最近の本の傾向やサンケイ新聞のへんな保守系論調に迷惑しています。

福澤諭吉の弟子」

 

「青山さん 本当に感服しました。今の世の中、まれにみる良著です。あっぱれ応援しています。

ネット上で貴殿を批判する人は、そのほとんどは一般の読者ではない。すなわち当時の自衛隊関係者や防衛庁運輸省、外務省等々、事故調査委員関係者?これは、ちょっと発信元がばれたら大変だから無視だろう。それから、そこからお金をもらっている人や世話になった人、武器開発に立ち会った技術者たちの所属する会社(〇菱系、〇立系、〇芝系)、上野村御巣鷹の尾根の直下に急にダムを造らされた〇電(神流川発電所)、群馬県警等々かなあ。あながち間違っていないと思う。意地になって書いているのは数人でしょう。なりすましも多いからねえ。特に50代ぐらいの背の高い、がっちりとして体格のよい男性とか、貴女の本に参考文献として載せてもらえなかった最近の変な本で名前が出ている人とか、でしょうね。

海外も含め、政府関係者や内外に幅広い交友関係を持つ貴殿なら、損得ではなく友人として、またご先祖さんからの長いお付き合いの仲間として、ありとあらゆる人が支えるでしょう。年寄になればこわいもんなしですから。

花咲じいさんより(これは孫に書いてもらいました)」

 

「貴女の本を読まずにネット上で批判してすみませんでした。あれから、心を入れ替えました。ヘイトスピーチも、お金に目がくらむことも、インサイダーも、原発推進も、全て悪い友達に誘惑されたことです。上から目線の愚かな人たちです。

毎日、好きなパスタを食べながらも、ITUMOHITORIで心にわだかまりもあります。

あるベルギー人からの手紙」

 

「杉江弘は8月13日に前日の全日空の事故があってフジテレビの昼バラに出ていたよ。そこで派手に「日航123便は減圧があってクルーは朦朧としていた」とぶち上げた。本を急いで出したのは、赤恥かいた自意識過剰の苦しい言い訳と腹いせだよ。これであの人もおわりだね。」

 

「貴方のことを全く知らないひとが、勝手にでっちあげのプロフィールやら、すっちーだから〇中の元カノとか、あほなことを書いていますが、うそ書いたひとを特定して表に引っ張り出し、名誉棄損で訴えてやりますか?この分野は得意です。いつでも力になります」

 

 ***

繰り返しますが、どうぞ皆様、再調査を願うご遺族の味方になって下さい。

人は共感力があるからこそ、人として相手を思いやり、理解を深め、信頼関係を築いていけるのです。私はペンを握り文章を書く者として、ノンフィクションの原点として、それが不可欠だと思っています。

心からの応援をどうぞ宜しくお願いします。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

便乗商法本について   青山透子です

あるご遺族から、便乗商法まがいの品格のない本が出回っているとの情報が寄せられました。そのご遺族は、真摯に事故原因を見つめ直そうと再調査を願う人を陥れるために、いつも御用コメンテーターなどが出てきて事故調の報告を擁護してそれがすべて正しいと錯覚させる、と語っていました。

もう一度お伝えしますが、事故調査報告書のデータ表示、書いた内容そのものの信憑性を疑ったのは群馬県前橋地検で、担当検事がそれについて遺族会の前で明言しています。その結果不起訴となったのです。

つまり、裁判にならなかったために、事故調査委員以外の人間がブラックボックス(FDR,CVR)の中をのぞいたわけではないし、正式に情報公開されていないのです。従って、彼らが書いているものをそのまま鵜呑みにしていること、それ自体がおかしいのでは、ということから、そのズレを、複数の目撃者から指摘して追及したのが本著です。

この御用コメンテーターが生のデータを直接見れるはずもなく、ましてや杉江氏は御巣鷹にも行っていないのでしょう。

 さらに、ご遺族にインタビューしたわけでもない人間にとやかく言われる筋合いはありません。

この点について、ご遺族からの怒りの声を載せさせて頂きます。これはご本人の了解を得て一部を掲載します。

「元日航パイロット::杉江 弘氏の「JAL123便墜落事故」宝島社、2017.12.22 1,500円 の本が出版されました。(買うまでもない本で)立ち読みですが、貴方の「青山本」は妄想だと決めつけています。パイロットは技術者でなく、運転手です。事故調査には全くの素人で、これは日航と話をする際、出て来るパイロットと議論すると直ぐに分かります。その他「謀略説」は100%有り得ないとか再発防止策が急がれるとか、全く漫談です。しかも、事故の真実は明解に特定していません。事故原因が分からずに再発防止とは理解不能です。目撃証言の重要性を杉江氏、日航、事故調は無視しています」

 

表紙の色トーンも文字の配置も私の本と似せてあるそうで、間違って手に取って買ってもらおうという魂胆が見え見えの便乗商法まがいに驚いたとのことでした。昔、同じ会社で、ご一緒にフライトをしたかもしれない(かなり年代が違いますが)元キャプテンともあろう方が、そういう本を書いたとは、がっかりしました。

他の記者さんやジャーナリスト、元機長の方々は、先ず出版社にご連絡をいただき、直接お会いして未公開資料などもお見せし、話をするのが通常です。同じ会社にいた者であればより一層自然な流れです。さらにペンを握るものとしての道理であり、筋道でしょう。

それをいきなり、暗闇の後ろから出てくるようなやり方で出版されたことに、品のない振る舞いを感じざるを得ません。それともその裏で何か〇馬方面からの取引やら、魂胆やら、または便乗売りを狙ったのでしょうか。

 

慶応のOBからも次のような手紙が届いておりますので、その一部をご紹介します。

「この杉江とかいうジイさん(おっと失礼)、四年制大学を出た飛行機乗りという昔を引きずって、いまだ有頂天なのだろう。慶応卒が本当なら団塊だろうから法学部の永沢塾長時代。操縦桿をペンに握り変えてみたものの「ペンが剣力(権力)に屈した」輩ゆえ、永沢塾長も福澤先生も嘆いておいでだろう。

古い塾員より」

 「青山さんのご先祖は福澤先生の下で創立時に塾の教鞭をとられていたんですね。偶然に福澤文庫で見つけました。ところで、天皇陛下の教育係だった小泉信三塾長、その息子さんの信吉さんは海軍主計でしたが戦死されました。ご存じでしたか? 百歳になる群馬県高崎の主計お大尽も死ぬ前に全部喋ればいいのにね。

慶應義塾塾生」

 

日航関係者からの声も書いておきます。

「青山さんの本、感銘しました。本に書かれた事故当時の日航上層部の動きは事実です。私もはっきり「外部犯行で米軍」と言われて口留めされました。仕事をスムーズに運ぶために、最低限の人間は知っている必要があったので、当分その後の部員にも引き継ぎました。出所は判りませんが、今考えれば方便に米軍とした方が諦めの心情から、説得と納得に収まりが良かったのでしょう。この事が世に出るのはもっと先と思っていました。元社員として自らの責任を感じます。拝 

32年経ち、時効も過ぎ、今さら隠す必要などこれっぽっちもない。これもぜひ出してください。

日航広報部OB」

 

最後に、日本ペンクラブ会長の吉岡忍氏による拙著への書評の一部をご紹介します。

この言葉に私自身、身が引き締まる思いでした。

「(略)長い歳月、闇のなかの事実を探った著者の執念にどう立ち向かうか。読者の洞察力が試される本である」

 

皆様の洞察力に心から期待します。

 

 

 

 

10万部突破!応援を有難うございます 

管理人です。

ここに10万部を突破しましたことをご報告します。

皆様からの心のこもったお手紙、お葉書、毎週たくさん届いています。

「都内の図書館の順番待ち番号が123人で驚いた」「これはまれにみる凄いベストセラーだと司書さんが驚いていた」という報告もありまして図書館での反響も大きいようです。順番待ち人数があまりに多いので購入しました、というお手紙もありました。

ちなみにですが、重版が17刷となりまして、初刷本での小さな単純ミスや航空ファンからのご意見、さらに読者の皆様から寄せられたご意見なども参考にして、それぞれの重版にて直している部分があります。図書館での本と現在本屋さんにある本とほんのちょっと違う部分があるんですよ。是非比較して、そんな点も楽しみながらお読みください。

ノンフィクション部門でこの反響は近年珍しい限りです。河出書房新社宛に届きましたお手紙やご質問、激励、ご遺族からのお手紙や出版社への感謝の声等は全て青山氏が目を通しています。なお、ご住所を書いて頂きました方々には青山氏より返事を送らせて頂きました。皆様の温かいお心とお言葉に御礼申し上げます。

また、便乗商法のような本もあるとの情報がきています。くれぐれもご注意の程、宜しくお願いします。

 

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皆さんの「あの日の想い」をしっかりと受け止めました~感謝を込めて 青山透子

 

ご無沙汰しておりましたが、今年この本を通じて出会えた読者の皆様にお返事を書いておりまして大変失礼しました。

北は北海道から沖縄まで、本当に有難うございました。北海道新聞をはじめ、西日本新聞、上毛新聞、ミニコミ誌等の多数の情報誌、週刊ポスト日刊ゲンダイ、AERA、月刊エアライン、公明新聞週刊実話、女性会議関連の新聞等、実に書き切れないほど多くの皆様に拙著をご紹介していただきましたことに深く感謝申し上げます。

実際にお会いしたジャーナリスト、新聞記者、大学教員、弁護士、メディア関係の多くの皆様に、本には掲載されていない未公開資料もお見せしてお話することが出来ましたのも、大変嬉しい限りです。

特に日本ペンクラブ会長の吉岡忍氏に書いて頂きました書評では、読み手としての読者側に対する深い示唆が込められており、言葉の一つひとつに重みがありました。吉岡氏が落合証言を書かれた「墜落の夏〈1987年)」と一本の線でつながったような気がいたしました。本当にありがたく思っております。

また、私の曾祖父が福沢諭吉先生の元で塾員として学び、慶應義塾の英語教師となったご縁もあって、前著のあとがきにも書きましたが福澤研究センターや塾OB等、関係者の皆様のペンのマークが物語るような正々堂々とした応援を有難うございました。

思えば、今年の初め、全く出版のめどが立たない日々でした。前著の編集者の退職などで33回忌に向けた企画が流れ、膨大な資料やインタビューもこの世の中に出すことは出来ないのだろうか、と悶々とした日々でした。ところが4月、奇跡的な事が起きまして、河出書房新社にて次々とこの本が生まれるための準備が始まり、締め切りまで寝ずに書き続け、見本本が出来たのが7月20日、書店には24日に並びました。何も広告をしていないにもかかわらず、1週間で重版が決まりました。そして今月迎えた10万部です。520名の皆様が導いてくれたとしか思えません。未来への提言として、この本が持つ特別な使命を感じながら、次世代へつないでいきたいと思います。今年出会えた皆様に心から感謝いたします。

 

 

母校の東大にてゲスト講義をしてきました 青山透子

東大で25年間も続いている有名な弁護士の先生方によるゼミのゲスト講師として、拙著をもとにして、法と人権と社会の有り方とは何か、について講義をしてきました。

学生の皆さんは将来法律系やメディアなどに就職するであろう非常に若い人たちです。32年前は父母が小学生から中学生、高校生ぐらいでしょう。彼らは当然生まれる気配すらないわけです。もし、事故機にお父さんやお母さんのどちらかが搭乗されていたら、彼らはこの世にいないのです。そんな昔の話をリアリティをもって共感していただけれるかどうか心配でした。

そこでグループ討議の際、私が持参した32年前の古びた茶色の新聞各紙を配り、その一面トップに出ている「日航機墜落」という文字、カタカナで書かれた搭乗者名簿、身元確認の困難さ、医師たちの証言、私がインタビューした人達の名前が出ている上野村消防団等の記事などを回してみてもらいました。

それにしても当時の世相と今ではあまりに違いすぎるため、どうやってあの当時の雰囲気を伝えたらよいのだろうか、話がちゃんと伝わっているかどうか、地下鉄サリン事件も知らない世代ですので単に風化を防ぐというよりは、伝え教えていくむずかしさも感じました。

人権についても個人対個人や企業対個人の場合よりも、国家対個人の場合、国側の組織的な様々な圧力や国側の隠ぺいのしやすさも考えなければなりません。法律では当時、情報公開法成立、施行前の時期で、一トンもの日航関連の資料や証拠物等を運輸省事故調査委員会は焼却して廃棄しました。あとからそれを知った遺族の怒りは相当なものでした。刑事裁判もなく、民事訴訟も示談が殆どだったあの事件について、後から検証することすら出来ない状態にされてしまったのです。半官半民だった日航と国の癒着、防衛庁日米安保問題、空の安全保障から深く考察し、時代的背景も考えながら、この事件を解明しなければならない、その重要性に気づいてほしいなあと心から願って話を終えました。

安易なネット情報や不確実なコメントに影響されることがないよう、パワーポイントを使い、関係者の音声も出し、医師などから学術用に使ってよいと特別に許可を得た一般には一切出ていない写真や確実な情報と裏の取れた内容と真事実、メディアの役割と報道の中身、そこから推定される仮説も提示して、皆さんに考えてもらうようにしました。きっと、ビックリするようなことも多かった思います。しかし、彼らの気づきが、今までの様々な政治的汚点や国家的失敗を克服することにつながり、「小さな目は見た」からの情報が「未来の目は見た」に繋がるのです。私も皆さんと共に貴重な時間を過ごすことが出来ました。先生方に深く感謝いたします。

大きな教室にぎっしりでしたが、皆さんと出会えて本当に良かったです。そして、一人ひとりの心の中に何かが残り、何時か誰かがこの事件を解明してくれることを願っています。

 

管理人からのお知らせ

何時もご覧いただきまして有難うございます。

講演、講義は大学等の学術に限らせて頂いております。

なお、番組制作の資料提供や取材などについてのご依頼ですが、こちらの書き込みコメント欄にご依頼頂きましても、ご指定へ直接メールをすることは致しておりません。

恐れ入りますが、河出書房新社へ電話にてご連絡を宜しくお願いします。そのあと、担当者より青山透子へ引き継ぎとなります。何卒宜しくお願い致します

 

 

 

1980年代のスチュワーデス秘話 青山透子

昨晩のテレビ東京の番組「あの事件の知らなかったコトSP」はいかがでしたか。このサイトに訪れた皆様で、当時を思い出しながら見て頂いた方も多かったと思います。

最初、客室内でのコックピットとのフライト前ミーティングの時、前回書いたアロケーションチャートが紙一枚、ちゃんと出てきましたね。ボーディングミュージックもリチャード・クレーダーマンの「渚のアデリーヌ」でした。ディレクターの方がメモしていたのを思い出して嬉しかったです。

確かに今までの番組では、客室乗務員に焦点を当てたものはなかったという事で、その点は大変深い意味のある番組だったと思います。資料提供に名前と本名も入れて頂きましたが、制作者のご苦労も多々あっただろうと推察しながら見ていました。画面に出た当時の先輩の姿、制服姿の写真、懐かしいHさんのお顔など、33回忌として番組が放映されたことは本当に良かったと思いました。

ただ、前から聞いていましたが、再調査を言及するような内容ではなく、それに加えて遺族の小川さんの写真が、あまり意図がつかめない写真で唐突にそれも風景の1枚だけ、というのはちょっと情けなかったですね。

それにしても、今までなかった視点、つまり墜落機の日航の社員としての当事者のみならず、乗客と生死を共にした20代から30代の若い彼女たちの人生に思いをはせ、最後の瞬間をも、プライベートを超えた職業意識で目の前の苦難や状況を克服すべく、精一杯努力をしたのだ、という事実をあの番組を通じて皆様が重く受け止めてほしいと心から願います。

昨日はもう一つビックリした事、上野村へのヘリ墜落でした。このタイミングで?と大変驚きました。ご冥福をお祈り申し上げます。

 

さて、ちょっと当時の髪型ですが、訓練所にいる間、指定された日に銀座の資生堂美容室に行き、日航客室乗務員指定髪型という写真を見せられ、どんなロングヘア―でもバッサリと切られました。訓練中から新人にかけては、会社の指定する5つのパターンだけが許されていたのです。あの番組の客室乗務員は殆どの人はカツラだと思いますが、当時は今のように後ろに結ぶシニヨンではありませんでした。どちらかというと私の本に出ているような、横サイドを流すセミロングが主流で、シニヨンをしている人はパーサークラスの人だけでした。新人がシニヨンをしたら大変です。先輩に一言「あら、その髪型、10年早いんじゃない」と言われたものです。さらに番組の中で、赤田さん(ママさんスチュワーデス)が後ろにカーラーを巻いて、ギャレーで後輩に指摘されている場面もありましたが、あれは前髪(うしろではなく)を気にして、前髪だけカーラーを巻いて、ボーディング前に取る、ということをしていた人がいたエピソードから、演出したのでしょう。

カーラーで前髪を巻いていたパーサーに聞いた時がありますが、その理由は制帽でつぶれてしまうので、とのことで、これも新人はNGです。

髪型一つとっても80年代と今では違いますね。

それから、墜落直前まで赤い手帳に脱出アナウンスを書いていた、そして乗客の皆さんに安心感を持ってもらうように、地上と交信はつながっております、と最後のアナウンスをした対馬さん。私にとっては旧姓のMさん、という名前のほうがしっくりきます。高熱だったにもかかわらず、新婚旅行から戻って名前が変わって初のフライトでした。ネームプレートもまだ変わっていなかったそうです。新婚旅行は確か福島へ行ったと聞きました。客室乗務員は海外ばかり行っているので、結構近場で新婚旅行の人も多かった時代です。対馬さんのご主人は、刑事ドラマに出ていた俳優さんで、現在どうしていらっしゃるのかなあと思っていましたが、風の便りでは、その後持病が悪化してしまってお亡くなりになったそうです。きっとあの世で対馬さんと仲良くテレビを見ていたかもしれませんね。