「日航123便墜落の波紋ー天空の星たちへ」公式ブログ

1985年に起きた日航123便墜落事故を、当時日本航空スチュワーデスとして勤務していた著者・青山透子が、事故の真相を追い求めて綴ったノンフィクション

当たり前のことをきちんとすることの強み 全日空に敬意を表する 青山透子

今、新型コロナウイルスの封じ込めと拡大阻止で世界中が連携している。

米国ではそのための資金を捻出して各国に提供するとし、民間企業は中国に向けて大量のマスクを提供した。研究者たちは人から人へ急速に広がるそのウイルスに対して有効な薬を見つけるために必死に研究している。各国政府は、次々に降りかかる難題に最善の方法を模索しながら、冷静に対応しているはずだ。

ただ、なぜか邦人帰国のために使用することを目的の一つとする政府専用機は使われず(恐らく様々な理由があったのだろうけれども、まだ新品だから、とか、首相や天皇が使用するからということだろう)、その代わりに全日空が何度もチャーター機として行き来している。そのANAの飛び立つ翼に、これで確実に全日空が日本を代表する翼となったと思った。その敏速な行動は、冷静に着実に、かつスピーディに仕事をこなすプロとして当たり前とはいえ、日頃の優れた企業統治の現れだろうと推察する。心から敬意を表したい。

これは、いつまでも決断できない日本航空の没落も意味する。

そして、思い出した、あの日のことを・・・

1985年3月20日、「イランの邦人ー260人無事救出」これは新聞各紙のトップ記事の見出しだったが、思い出す方はどれぐらいいらっしゃるだろうか。読者の皆さんには覚えていない方も多いだろう。

あの1985年の年は本当にいろいろあった年で、イラン、イラク戦争が勃発していた。米軍による支援で軍備が充実して強気となったイラクが、突然、3月19日の夜8時以降イラン領空全域を戦闘地域とし、飛行する全ての民間機を攻撃、爆破すると宣言し始めた。各国の外務省は自国民救出のためのチャーター機政府専用機を次々と用意して自国民救出を開始した。イラン在住の日本人たちは、各国の飛行機が飛んできて、その国の人たちを乗せて飛び立つ姿を見ながら、いつ、日本から飛行機が飛んでくるのか必死に待っていたのである。

ところが日本航空は、当時ナショナルフラッグキャリアで政府が株式の半分を所有していた半官半民にもかかわらず、その時準備をしていたとはいえ、諸々の理由をつけて現実には全く飛ばなかったのである。また当時の国際線は日本航空のみであった。日航内部では、危険区域に飛行することに手を挙げる機長がいなかったとか、乗員の安全確保が不十分だった、赤組と呼ばれていた共産党系の組合側が異議を唱えた、というのが本音であったように記憶する。

このいきさつは、私たち一般職員(半官半民だったので社員ではなく職員と呼んでいた)には、その経緯も含めてよくわからないままであった。私はまだ新人時代で自分たちの青組といわれていた会社側の御用組合が飛ぶものと思っていたのを覚えているが、それも協力せずに、一機も飛ばなかったのには驚いた。何のための日本航空だったのか。まさか無料航空券を官僚や提灯記者、政治屋にふるまうために存在していたわけではあるまい。

あの時、日本政府に見捨てられたイラン在住の商社マンをはじめ日本人たちは絶望していたのである。一体どうして、なぜだと、本当につらかったと思う。なお、これらのいきさつは、『よいしょ』とやらせ記事の多い故中曽根康弘元首相の追悼記事でも一切出てこなかった事実である。その政府側の失態を当時の方々はしっかりと記憶しているであろう。

さて、1985年3月19日のイラン空域飛行閉鎖ぎりぎりになって、日本人救出のために手を挙げてくれたのがトルコ航空だったのである。これについては下記毎日新聞報道をお読み頂ければと思う。なぜトルコ航空だったのか。1890年の和歌山県串本沿岸沖でのエルトゥールル号遭難事件とつながっているのである。

 つまり、これらのことからもわかる通り、一人ひとりが培う信頼関係をもとに、人間としてのあるべきふるまいや良いつながりがその国の安全保障を確実にもたらすものだということである。

なお、その時のトルコ航空機長がオルハン・スヨルジュさんであり、既にお亡くなりになったが、その名前をつけた公園(火の山公園トルコチューリップ公園)が友好都市である下関市にある。そのページも下記に併せて記載しておく。

私たちが今すべきこと、それは積極的な戦争準備や自衛隊軍備増強ではない。国民にとって戦争や武器を持つ戦いで得られる利益などない。人間による憎しみの争いからは何も生まれない。

国防を超えた訓練のために高額で島を購入したり、設置しても活用する頃にはあまり意味のない超高額武器を買うことや、軟弱とわかっていながら土壌改良に未知数の多額のお金を注ぎ込み、一部の人のみの利益でいたずらに海を汚すことでもない。

隣国をあおり、敵を想定した暴言で金もうけするジャーナリストや知識の乏しい作家をのさばらせることでもない。こういった暴言やあおりで得られる利益などないと、今更ながら経団連も実感しているはずだ。どこに向けて政治献金をして、あまり意味のない企業献金の結果、何の利益があろうか。そのお金は別のことに使ったほうがいいと当たり前に思っていることだろう。

政治屋の『票になるから、献金してもらったから』、官僚等の『自分の息子を〇●に入れてもらったから、自分が出世できるから』、どこかの知事が『〇●を教授にしてあげると関連企業の票が入るから、自衛隊基地関係者の票が入るから』、その他、あの人がパイプ役だから、この人を呼べば補助金も入りやすいから、学生を勧誘して増やしやすいから……

こうやって自己都合で仕事をしていたら、逆に何のために自分が存在しているのか、そもそも己の仕事の意味の本質を見失っていくのは目に見えている。そのうち悪意を持った人におだてられ、褒められていい気分になっていく。これは大麻精神病で高揚して気が大きくなる病状と同じである。特に精神力が弱い人ほど、弱気ではないと身振り手振りで大きくふるまうが、この傾向は軍隊関連に多い。

自分だけは大丈夫という、おごりも許されない。偽りの行為は、それをしっかりと見ている人がいる。これらが未来の子供たちに尊敬されるはずなどない。

もっと自分のしてきたことを正当化せずにきちんと見つめるべきだ。

その役割に応じて当たり前のことを着実にすることが未来につながる。経済活動も含めて世界中で国境を越えて、人は密接につながっているのであるのだから。

今回のことで航空業界や観光業界の打撃は大きいが、それは起因が未知のウイルスによる病気である。その克服に世界中が手を結び、解決する利益は大きく、きっと良い未来につながっていくと信じている。

 

1985年3月20日の記事(毎日新聞

mainichi.jp

 

www.city.shimonoseki.lg.jp

176人の命が教えたイラン軍の誤射と謝罪

「航空機事故調査はドライでなければならない。政治的干渉があってはならない」

新刊本「そして法廷へ」p88からp100をぜひお手に取ってお読み頂きたい。英国の元事故調査委員で、現在ICAOの航空情報通達メンバーであるD.G氏にお会いした時に彼が私に言った最初の言葉である。

そして彼の名刺の裏には「ブラックスワン」が描かれていた。

この意味も新刊本p99に書いている。

世界中の不透明な航空機事故では委員長交代劇が起き、さらに政府が運輸大臣をコントロールし、事故調査委員が従順で問題意識が低い国はゆがんだ報告書を出してくる、そう彼は私に教えてくれた。これらはすべて日航123便事件にも当てはまる。

そのような世界的情勢が否めない中で、あっぱれ、という言葉がふさわしいかどうかは別として、よくぞイラン軍は自分たちのミスを認めて謝罪した。

そこに至るまでに逃れられない事実が発覚して様々な理由があったといえども、なすべきことをなす国だという評価は上がる。このように、事故調査における透明性と情報開示は相手に謝罪と反省のみならず世界的な信頼をもたらす。日本のように、公文書をないがしろにすることがまかり通り、いつまでたっても事実を隠蔽すれば、再発防止というスローガンばかりが先に立ち、一向に問題解決にならないのはこの事件で明らかだ。今回、ネット社会や映像技術、さらに衛星からの監視等、技術は使いようで透明性を高めるツールとなることが再認識されたが、逆に最新鋭のミサイルによって今回のような悲劇が起きる。米国のケンカを売るような行為もしかり、イランの報復もしかり、こういった戦時的体制は必ず民間人を巻き添えにする。

通常通り離陸して、高度を上げていく最中、先ほど飛び立った国(母国)からまさか自分たちめがけてミサイルが飛んでくるとは思わなかっただろう。本当に痛ましい事件である。

余談ではあるが、よく日航123便にミサイルが当たったらその場で大破するというのが荒唐無稽説の人にいるが、私が仮説として取り上げたのは、非炸薬炸薬が入っていない)模擬ミサイルや模擬標的機の話である。例えば、ガソリンが入っていないカラの缶をぶつけても、その場所がへこむくらいで、大爆発はしない。

 

こういった惨事が繰り返されないようにする私の究極的な提案は、現在イスラエル航空が設置しているようなミサイル回避装置を飛行機に装着することである。お金がかかるならば、燃料サーチャージ同様、ミサイル除去装置付き飛行機には特別付加料金をとればよい。全ての民間航空機に装着すべきという法律を定めてもよい。

今後さらに軍隊によるミサイル開発や宇宙軍、ドローンなどを含めると人的ミスはますます起きるだろう。

それについては少し前のマレーシア航空機撃墜について書かれている「民間機をミサイル攻撃から守る方法」のロイター通信のコラムが指摘している。(下記アドレス)

私たちは、けして乗客乗員176名の命は無駄にしてはならない。

犠牲者の未来を奪い、周りの人々を悲惨な状況に陥れる。本当にあってはならないことである。

それからもう一つ言いたいことがある。

日本のテレビでは、176人も亡くなった、これはすごい人数だと言うが、1985年の日航123便ではその3倍近い520人である。

またニュースキャスターやタレントたちは「よくイラン軍は認めたなあ」と感心する。

このように、国家や軍隊がミスを認めたということに感心してしまうほど、私たちの「国家はミスを認めない」という潜在意識が非常に大きいのである。だから自衛隊も日報程度で事実を隠そうとする心理が強く働く。

本来ならば、当たり前のことをきちんとすべきところを、隠蔽することが国家の安泰のため、とでも錯覚しているからであろう。

 

臭いものにフタをし続ければいずれ腐敗菌に犯されて発酵がすすんで爆発する。つまり自爆するごとく、自分たちで自分の国を腐敗させて破壊するのである。過去を直視せずに歴史から学べない人間は、自己都合で基礎的な勉強もできていないいい加減な歴史観を持ち、腐敗菌をばらまく役割をしていることに気づかなければならない。

イラン政府は、撃墜は「意図的ではなかった」と釈明し、革命防衛隊高官も、ウクライナ機を「巡航ミサイル」と誤認したとして全責任を認め、国民に謝罪した。

こういう日が日航123便事件にも近いうちに来ることを祈る。

 

コラム:民間機をミサイル攻撃から守る方法 - ロイター

 

新年明けましておめでとうございます 青山透子

新春のお慶びを申し上げます。

 新しい年を迎えていかがお過ごしでしょうか。

今年は、私が尊敬する写真家の名言「真実はやがてその芽を吹く」

この通りになるような気がします。皆様の温かいお心に答えるべく誠実に一歩ずつ確実に進みたいと思います。

さて、私が体験した事実をノンフィクションでお届けします。新春の不思議体験ということでお読みください。

私が元旦早々、航空業界にとってお守り的存在である成田山新勝寺にて体験したことです。

💮初詣の御護摩のお参りに向かう途中、最初の信号で止まった前の車のナンバー「123」

💮駐車場に入れた途端、隣に入ってきた車のナンバー「1123」

(周りを見渡してもその番号はなし)

💮帰りに買い物先で、偶然目の前に止まった車も「1023」

 

ここまでくると、明らかにあの世からの強いメッセージとしか思えません。

さらに今までの体験を加えますと・・・

💮「天空の星たちへ」の編集者の誕生日「1月23日」

💮上野村元村長黒澤丈夫氏の誕生日「12月23日」

💮他にもこの事件に関係する人で、「8月12日」「12月13日」や「11月23日」が誕生日の知り合いがいますが、その方々は、必ず何らかの役割を担っているとしか思えません。そして真実を明らかにする使命があるのでしょう。

さらに飛び立つ飛行機を見ながら、ふと時計を見るとその時刻「1時23分」

以上は家族も一緒に体験した本当のことです。

実はまだあるのです・・・以前書いたような気がしますが知らない人のために、さらにその続きをお教えします。

沈まぬ太陽」映画製作中、私がエキストラとして参加した時の話です。

群馬県高崎市にて、遺族控室や遺体安置所再現の場面撮影の日のお昼時間のことです。ロケ用お弁当を配布されてそれを持ちながら廊下を歩いていた私。大國勉先生にお会いしようと監修の控室を探して、名前が書いてある和室に行ったところ、部屋には誰もいなかった。そこでその辺を探していると、旧日赤制服で昔風のナースキャップをかぶった看護婦さんと白衣を着た医師らしき先生が目に入った。二人は少し高い踊り場の位置から、私たちエキストラの風景を見下ろしており、その語る声が聞こえてきた。

「先生、全くあの時のままですね。体育館の遺体安置所が再現されていてすごいわあ」

「そうだねえ、あの時を思い出すねえ」

その老人の医師が大國先生だと思い込んだ私は、お二人に話しかけようとしたがなぜか体が動かなかった。

その経験の一か月後、初めて実際に大國先生にお会いした時、あれ?このお顔ではなかったなあ、と思ったのでした。

この映画監督だった若松節朗監督にお会いした時にも確認をしたのですが、老人の医師のエキストラはいなかった、とのことでした。

そして「天空の星たちへ」の本を書くことが決まって、1985年から2010年までの新聞記事を一つずつ確認していた時、ある記事が目に留まりました。

「医師たちは実に大変な検死作業で2千以上にバラバラとなってしまった遺体の身元確認を行った」という内容で、その写真の中に私が「沈まぬ太陽」エキストラの時に見た、そう、大國先生と間違えた老医師が写っていました。

あ、この人だ、そう思って、その後大國先生にその新聞記事をお見せしたところ、

「ああ、この先生はねえ、東京大学医学部の出身で、身元確認のために飲まず食わずで検死された方でね。無理がたたって持病が悪化してあの事故から1年後に亡くなったのだよ。本当に良い先生だった。大変惜しい方を亡くしてしまった」

と言われたのです。

ということは、私がお見かけしたあの日の先生は?あの世からメッセージを運んでこられたのだろか・・・思えば、声は聞こえたのですが、机が前にあったので足はよく見えなかった。一緒に話をしていた看護婦さんも、リアルだった。・・・あの時のお二人の姿は今でも目に焼き付いています。

その後も何かいつもサポートして下さっているような気配を感じました。そのような中、検死に関する様々な論文を調査研究していた時、日航123便の検死報告書を見つけたのですが、それがなんとその東大出身の医師がお書きになったものでした。日航123便の遺体状況について詳細に書いてある誠実な論文に心を打たれました。

そして見つけたのです。

「二度焼きをしたように見受けられた」という文章を。

今の科学では解明できないことは必ずある、そういう気がしました。他にもこういうことはたくさんありました。いずれも偶然の発見に近いものですが、執筆中の奇跡的な出会いも含めて、520人とそれを検死した医師、そしていまだに納得がいかない人々の深い思いが、偶然の出会いを引き寄せているように思います。

多くの無念な思いがひとつずつ実を結びつつある今年、必ず良い兆しがあることを信じていきたいと思います。

今年もよろしくお願いします。

 

未来に語り継ぐべきことを放棄するなかれ 青山透子

 管理人です。

今年、「日航123便墜落の波紋―そして法廷へ」を皆さまにお届けすることが出来ましたのも、ひとえに読者の皆様のおかげです。

たくさんの激励のお便りと様々な情報提供に心から感謝です!

この公式サイト訪問者も延べ人数で83万人を突破しました!

来年もますますご支援の程、どうぞ宜しくお願いします。

 

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中曽根康弘元総理大臣の遺言ー政治家は歴史法廷の被告ーから考える

青山透子

中曽根康弘氏への賛美記事のオンパレードだが、それらを書いたマスコミの皆さんは、日航123便に中曽根さんがあれだけ関わった事実をなぜ書けないのかについて、自分自身を深く省みて考えてほしい。このような長いものには巻かれろという日々の思考回路がもたらすものは、戦争もしかり、いじめや隠蔽も、郵政の圧力問題も、政治家の方便の垂れ流し状態も、官僚の汚点も、「与党だから無理、実際に逮捕されなければ書けない、全てが明らかにならないと書けない」、という言い訳がすぐ出てくるが、果たして本当だろうか。

誰かが死亡してから「これは想定外だった」とか、自殺者が出てから「実はいじめがあった」等、いつも後から、事がおきてから関係者の自己弁護が出てくるが、事実を直視せずに無視し、右へ倣えとばかりに集団心理で適当な仕事ばかりしてきた結果、そうなったのであって、本当は誰もが気付く機会がたくさんあったはずである。そこに至る過程を知りつつ報道しない人たちも同罪だ。

中曽根康弘氏のご逝去報道もしかりである。クリスマスの夜に、まるで懺悔とばかりに外務省が80年代後半から90年代の公文書を公開した。その中には「中曽根氏の愛国心溢れる振る舞い」や「鬼の首とったように事実を相手に伝えれば、良いわけではない。時には隠さなければならない」などと、言い訳としか取れない文面が多かった。

公文書といえども都合の悪いものは隠し、一方的に都合の良い文書だけを公開している日本の現状に、「あれではだめです。マリア様は怒っていらっしゃいます」という、キリスト教信者の皆さんの声が聞こえてきたが、私も同感である。不都合な事実を出さず、その公開基準が恣意的であってはならないのである。

恐らく故中曽根氏は自分自身のあるべき姿と、現実に直面してつい犯した事実のギャップに耐えられずに、何も語らず逃げたのだろう。その振る舞いは、当然そう思われても仕方がない。お友達のY新聞のドンW氏もその遺言を引き継ぎ、自民党も隠したいのだろう。すべてこの事件が明らかになれば、故中曽根氏が歴史法廷の被告ではなく、「被告」になるからであろう。

例えば農水省事務次官の息子殺し同様、元事務次官として彼がいかに素晴らしい仕事をしたからといって、息子を殺害した罪からは逃れられず、殺人罪となるのは当たり前である。中曽根氏がどれほど良い仕事をしたからといって、日航123便の墜落原因を知りながら事実を公表せず、遺体を焼失させた事は消せない。35年間もいい加減な事故調査報告書に振り回され続けている私たち国民への謝罪の言葉もないまま逃げたのである。

さらに、犯した犯罪と愛国心はバランスしない。愛国心があったからといって、ミスであれ何であれ、犯した罪が消えるわけがない。

どうしても諸々のしがらみで、報道ができないのであれば、せめて邪魔はしないでほしい。自分たちが出来ないからといって、この問題に正面から堂々と立ち向かっている人たちの邪魔をする権利などない。

くだらない腹いせや難癖をつけてくる人たちは犯人隠匿罪と同様の罪を犯している。わざとデットボールを当てるがごとく、ビーンボールのように姑息な手段で相手をつぶそうとするなどもってのほかだ。私が幼い頃に両親もフアンだった読売巨人軍は、まさかそういうプレーを推進しているわけじゃあるまい。プロであればあるほど、ファンが誇れるようなフェアプレーをするのが当たり前だろう。

自分自身と向き合い、自分に出来る最大限の力で、公文書をきちんと公開してほしいという心ある人たちは、ぜひ協力してほしい。未来は私たちの生き様にかかっている。

 人間としてのふるまいが問われている今こそ、本当に語り継ぐべき事を放棄してはならないのである。

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今年もあとわずかとなりました。

お正月はどうぞゆっくり4冊の本をお手に取ってお読みください。

青山透子の本は、テーマごとになっております。

2010年、墜落機の客室乗務員の先輩方へのレクイエムとして書く決心をし、1985年から25年間の新聞報道を含む全ての1次資料を読み込み、当たり前におかしいと思ったことをきっかけに、「天空の星たちへ(河出書房新社は、疑惑のはじまり)」を出版しました。この本の特徴は、一般人が疑問を持つほど、おかしな事実がたくさんある、という点を中心に書いたものです。

海外の軍関係者から、まるで作戦会議の資料を見たようだと評価してもらったのが「墜落現場を軸としてコンパスでぐるりと円を書いたような当初発表され続けた偽りの墜落箇所」-疑惑のはじまり(p256)の部分です。「疑惑のはじまり」の251ページからじっくりとお読みください。

なお、中曽根さんの1日、という当時の首相の行動については、p260からすべて書いています。群馬県出身の学生の話も併せてお読みください。当時、イギリスで翌週に航空機事故あり、サッチャー首相は休暇返上で駆け付けました(p273)。中曽根康弘氏の「520人が死亡した隣町軽井沢でのありえない、否定しようのない行動」が明確にわかります。

さらに、警察医の大國先生との会話で、「ジェット燃料では遺体が炭のように表も裏も黒焦げにならない」と指摘したところが新たな事実でした(「疑惑のはじまり」p358-p363)。

2017年、「目撃者」をテーマとした本「墜落の新事実―目撃証言から真相に迫る」を出しました。これは全国学図書館協議会選定図書となり、ベストセラーとなったのですが、その理由は上野村の子供たちの文集とそこに書かれた村民による目撃証言、小林さんのオレンジ色に関する重要証言、ファントム2機が墜落前に飛行していた存在を明らかにした点です。

次に「機体遺物」を大学研究機関で科学的に調査分析した本を2018年に出しました。火炎放射器使用の可能性を示唆する「遺物は真相を語る」です。ここで客観的証拠が出たことで大学関係者の支持を得て、早稲田大学でのシンポジウムに繋がったという流れです。

2019年の「墜落の波紋―そして法廷へ」の本は、今後の法的手段を明記しました。

「文章にちりばめられた言葉の一つ一つが心に響く」、「自分の生き方も学んだ」、「勇気をもらった」というお手紙が多数あり、さらに出版社への感謝やお礼の言葉も大変有り難く受け取っております。読者の皆様に心から感謝いたします。

 年末年始、1年間のご自身を振り返りながらお読み頂けますと嬉しく思います。

それでは皆様、どうぞ良いお年を!

 

 

 

 

 

 

そして法廷へ―来て頂く前に中曽根康弘氏ご逝去 青山透子

11月29日にお亡くなりになった中曽根康弘氏は、101歳という大変ご立派な人生で大往生であったと報道各社が伝えている。局を超えて大親友の渡邊恒雄氏が出演して褒めたたえていらした。頭もしっかりされていたそうなので、法廷に来ていただくには十分だと思っていたのに大変残念である。

それにしても、皆さんも気づいていると思うが、80年代を伝える画面には、1985年8月12日の日航機墜落報道は出てこない。民放は忖度の協定を結んだように横一列で日航の文字すらなかった。これは、「★☆の貸し借り」かどうかわからないが、ワイ新聞のドンが采配を振るい、ここはひとつ、中曽根イコール日航イコール御巣鷹という連想だけは避けたい、という意向を酌んだのだろうと聞いた。客観性と良心を取り戻しつつあるNHKのみが、御巣鷹の尾根の写真をちらりとテレビで出した。他の民放は当時の80年代の紹介で、1982年に33人の死者を出したホテルニュージャパンの火災は出しても、1985年の520人が亡くなった日航機墜落は出さなかった。1985年についても、いきなり日付が飛んで、8月16日の公式参拝は報道しても、その前の1985年8月12日の墜落報道は一切なかった。墜落現場に行かず夏休み中軽井沢でプールとテニスと読書三昧の首相の1日は報道しなかった。その代わり、1985年夏休み(つまり墜落の夏)に、嬉々としてプールで泳ぐ中曽根氏を写していたのだが、一山向こうの墜落現場で遺体捜索中にこの表情とは大変驚いた。これは証拠写真の一つといえよう。

1987年11月の日本航空民営化にもかなり力を注がれていたが、よほど日航という文字が出てくることを避けたかったのか、これも報道されなかった。

このように、物事は隠しすぎると、逆にばれる。故意的に外しすぎると、逆に不自然なのである。世界最大の単独機大事件をわざと外しているのが見え見えであり、それが「やっぱり、隠蔽が事実であり、後ろめたいのだ」と、誰もがわかってしまったのである。

読者や知り合い等、寄せられた感想の中に、つぎのようなものもあった。

若手報道関係者「中曽根元首相の在任中の世相として、80年代の重大事件をニュージャパンの次に当たり前に出そうと思っていた日航機の羽田沖事故や85年の御巣鷹の尾根事故報道写真は出すなと言われ、今まで疑問にも思っていなかったけど、逆にそれってやっぱり本当なんだと思った。上の指示だからね。ナ〇ツ〇ルートと呼ぶ当時の若手記者とか、軽井沢で美味しい思いをした人たちの残ペイだろうね。こういう老害は定年していつまでも会社に残らずさっさと退職してほしい」

本物の政治家ならばせめて1985年8月12日の次の日でも墜落現場へ急行するのが当たり前だろう。その後もすぐに自衛隊のヘリで、御巣鷹の尾根を通りすぎて、つくば万博に見学に行っている。520人の命を何だとおもっているのか。さらに数か月も行かず、隣町の軽井沢で遊んでいたご自分を恥じてほしかった。ご自分の至らなさを遺族や国民に謝罪してしかるべきである。こういった事実は永遠に消せないのである。

今頃、520人があの世の法廷で厳しく尋問してくれているだろう。

裁判官は上野村元村長の故黒澤丈夫氏だろう。海軍少佐でゼロ式戦闘機搭乗員だった黒澤村長の前で、何を語れるのか?

中曽根さんの宴会写真では、海軍の軍服を着たり、飛行帽と白いマフラーという戦闘機乗りのかっこをして歌う姿が出ていた。

鶴田浩二でもあるまいし、パイロットでもなかった中曽根氏のあのような写真などやめてほしい、という声が聞こえてきた。

私の曾祖父もよく存じ上げている紀州藩士の家に生まれた慶應義塾元塾長で、現在の上皇の教育掛で美智子様との縁談のまとめ役だった小泉信三氏は、ご子息を早くに戦争で亡くした。そのご子息、小泉信吉氏も中曽根氏と同じ海軍主計だったこともあって、小泉信三氏は中曽根氏のようなそういった軍服のパーフォーマンスを大変嫌っていた。

本物ではない人間が陥りやすいパフォーマンスだったのだろう。

ゴーグルまでつけてマガイモノの飛行機乗り姿は、その生死を賭けた人の誇りを傷つけていることを知らぬままあの世に逝ったのだろう。

合掌

 

 

11月23日にローマ法王が来日する歴史的意味 青山透子

ご無沙汰しています。管理人からです。

2019年6月12日に国土交通委員会審議において、日航123便ボイスレコーダー公開及び相模湾からの残骸引き上げについて、衆議院議員津村啓介氏(国民民主党所属)が、質疑をされました。読者の方からの情報です。映像をご覧ください。

下記ユーチューブアドレス「疑惑のJAL123便墜落₋国土交通員会質疑」

www.youtube.comこの日にちの意味とその内容について、および本日ローマ法王が来日する意味について、青山透子から説明いたします。

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数字が物語る深い意味  青山透子

今年の新刊本「日航123便墜落の波紋―そして法廷へ」、この本がお手元にある方は146ページをご覧頂き、前から7行目を見てほしい。私たちがサポートして運輸安全委員会宛に送付した情報開示請求の答えが、「令和元年6月10日まで延長」と書いている。本を書いた段階では、まだ答えが届いておらず、どういう返答が来るのだろうか、という内容である。

情報公開法にもとづいて、6月10日(返答締め切り)以降、郵送で12日に届いた内容は、不存在や不開示で、資料の全体が全く記載されておらず、ひどいものだった。つまり、ここで答弁していることがそのことへの言い訳である。

6月10日、発送したこの日に、この内容(国土交通省の方針)を公に話す必要性があったのだろうと推定する。

特に石井大臣は、国際民間航空条約(シカゴ条約)を理由の一つに挙げているが、この条約の目的は、真なる事故原因の究明のためのものであって、真事実が出れば再調査をすると書いてあり、調査目的であれば特に隠す必要性などない。

逆にそれを隠れ蓑として隠蔽に利用することは許されず、その点については今回の新刊本で英国の元事故調査委員(現在ICAO所属)にも確認をした。そもそも水深が浅く、飛行航路真下に発見された遺物の調査もせず、相模湾に残骸を沈めたままで書かれた報告書などは価値はなく、これらを引き上げることは当然のことながら再調査につながる、とのことであった。

7月16日に早稲田大学においてシンポジウムを行った際、三宅弘弁護士が、この運輸安全委員会からの書簡における内容と彼ら委員の認識の低さと知識のなさ、情報開示に対する恣意的でいい加減な返答に対して批判し、どこがおかしいのか丁寧に説明をされた。

あの日、会場にいらした大勢の皆さんもしっかり聞いたことを思い出して頂きたい。皆さん、よく理解されていた。さらにこのように、公文書に対する行政側の認識がいい加減であるならば、今後法的に適切にしなければならぬ、という旨の基調講演を行った。

以上のように、日程や数字には意図があるのである。

今日ローマ法王が来日される。11月23日。123である。

私自身は信者ではないが、読者の方々に信者の方も多い。群馬県警察医で私に多くの資料を提供して下さった大國勉氏もカトリック信者である。あの墜落において、520人のご遺体がその一部でも無事に家に帰ることが出来たのも、大國氏のおかげといっても過言ではない。ご自身が倒れ、また心身共に限界になりながら、遺体の身元確認作業を続けられた。その白衣の裏側にはいつ倒れて、死んでしまうかもしれない、という極限の状況で、自分の名前と住所、そしてカトリック信者として主の祈りをマジックペンで書いてたのである、

実は今、そのカトリックの深いつながりが、大きく実を結ぼうとしている。これについては読者の皆様は、次回を楽しみに待っていてほしい。

事実は小説より奇なり。私は日々、それを体験している。

 

 

ならぬことはならぬものです―会津藩士の言葉から学ぶ 青山透子

ならぬことはならぬものです―会津藩士の言葉から学ぶ

 

今年の8月12日の日航123便に関する報道は例年とは異なっていたのを皆さんはお気づきだっただろうか。

まず、各局のテレビ報道では、今まで枕詞として当たり前のように「墜落原因は後部圧力隔壁破壊による」と言っていた言葉が全く出てこなかった。むしろ、事故時の映像として、墜落現場で朝まで燃えている炎の場面をクローズアップしたり、機長のボイスレコーダーの声とともに、生のボイスレコーダーの映像が出たりした。これは34年目にして大きな進展であり、大変重要なポイントである。

新聞報道では、大手新聞は例年通りの精霊流しや登山風景だったが、墜落現場の群馬県の上毛新聞は気骨溢れる記事であった。特にシンポジウムを行った翌日の2019年7月17日付では、「再調査」という文字が34年目にして見出しとなり、その内容にも自衛隊という文字が入って画期的であった。群馬県の新聞としての責任と義務の現れであろう。さらに14日付では、赤坂日航社長と再調査を求める遺族の談話もあり、「事実見直し続ける努力をし続ける」として追加記事が出ていた。これは大変重要なことである。ただ、記事の中で赤坂氏が「相模湾はとても深い」と語っていたことが驚いた。水深160メートルは、深いのか?その認識が技術者とは思えないが、知ってて知らぬふりなのだろうか。念のため、東京タワーは333mとされているが、その半分の深さ、つまりとても浅いのである。

残骸のある所は水深160m、これぐらいは覚えておいてほしい。念のため相模湾で発見された日航機残骸のニュース映像をリンクしておく。

この引き上げについては、また別途記述する。

123便の残骸か…相模湾海底で発見 日航機墜落30年

各紙に共通だったのは、8.12連絡会事務局長のコメントだけではなく、他のいろいろな遺族の談話を掲載しており、その中で事故原因は後部圧力隔壁破壊という話や事故原因の説明も出てこなかった。ただ朝日新聞のみが、子供相手のような説明記事で、この枕詞を使用していた。しかも、私の新刊本広告が出ている同じページのちょうど上にその記事が出ていたのだが、これは日航123便とは何か、とわざわざ説明して下さったのか、はたまた事故原因は後部圧力隔壁破壊ですよ、と強調したかったのかはわからない。ただ、こちらがお客様としてお金を出している広告の上にその記事をもってきたのならば、せめて、この事故原因では不起訴となって、いまだに犯人はわからない、と説明を加えたほうが子供に正しい情報が伝わっただろう。それでこそ客観性がある報道、というものである。

それにしても34年間、すでに場所がわかっている相模湾に沈んだままの残骸の引き上げや再調査を拒み続け、マイクロフィルムで保存している当時の資料を開示しようとしない国土交通省外局の運輸安全委員会の存在価値は何だろうか。自説(事故調査報告書)への裏付けとなった資料を公開したくない、ということは、そこで書かれてものは偽りの報告書ということになる。

私たちは「ならぬことはならぬものです」と強く言い続けなければ、真の空の安全などは保てない。空の安全とは、この問題を解決してこそ、安全といえるのである。

 もう一つ、ならぬことはならぬ、パイロット飲酒事件が起きた。

今回の飲酒事件の顛末は次の通りである。赤坂社長が御巣鷹の尾根で「飲酒問題に陳謝する」会見した2日前の8月10日、鹿児島発羽田行の日航副操縦士からアルコールが検出されていた。しかし、12日の会見ではそのことには一切触れなかった。

これは日本航空の危機管理のなさと不誠実さが暴露された事件である。8月12日に赤坂社長が神妙な面持ちで「皆さまに、日航、何やっているんだ、と言われないように飲酒問題は解決しなければいけない最大の課題」と語っていたが、その時すでに新たな飲酒問題の発生があったにもかかわらず、その場で語らず、謝罪もしなかった。

社長ご本人の弱い気持ちや恐怖心がその言動を止めたのであろうが、それはむしろ逆であり、不誠実さを暴露したようなものである。あの場で言えないような人は社長の器ではない。誰が止めようが、きちんと説明できないような人は隠蔽体質が身に沁みついていることになり、その表情には指導能力の欠如が感じられた。

なお、この報道内容が各紙バラバラであったことも、日本航空の広報が全く機能していないことやその内部体制のお粗末さも暴露した。

日航は、発表が遅れた言い訳として「副操縦士のアルコール摂取について2日間、確認の作業をしていたから」という子供のようなことをコメントしてきたのである。今時、2日間も確認するほど、鹿児島は遠い地なのだろうか?自社便で行けばすぐだろう。

新聞各紙では、①その副操縦士が立ち寄り先の居酒屋で飲んだのでその確認、というのもあれば、②昼食にホテルでボーイに出されたコップの中に、水ではなくお酒が入っていたのを誤って飲んでしまった、③ホテルの部屋で、前夜自分が購入した日本酒を乗務前に水と間違えて飲んだ、というのもあった。

驚くべきバラバラの理由である。これはいったい何の現れであろうか。

統一されていないのはそれぞれが情報源に取材して日航側が適当に伝えている、つまり広報がまったく機能していない、ということである。さらに、社長は会見を避けて逃げた、ともいえる。

誰が水と酒を間違えて飲み干す人がいるだろうか。54歳の男性が水とお酒の区別もつかないほどであったのか?しかも乗務前に、である。これは恐らくアル中(アルコール依存症)と同じで、自制できない域に入っているのでないだろうか。操縦かんを握る手が震えるから、仕事に不安を覚えるから、気を落ち着けるために一杯飲んだ、というのならば筋は通る。

これが今の日本航空という会社の社員のしたことであり、働く現場の現状だ。極めて病理は深い。

酒をあおって操縦かんを握ることなど、ならぬことはならぬ、のである。

 

 皆さまに明確にお伝えしておきたことがある。ちまたでは、「日航になにか恨みでもあるのか、許してやれよ」、という言葉を私や遺族に平気で言う(ネットでわざと書く)人がいる。

これは重大な問題を含んだ言葉であることに皆さんは気づいているだろうか。私が研究者として書く内容は、恨みなどではなくむしろ事実の追究であってそこに客観性があることは読者の誰もが気付くであろう。その結果は、日航の冤罪や罪についての考察にもつながる。もちろん、逆に日航にいた人間だから、その罪の軽減に加担するのか、という意見もあろうが、それについても本を読めばわかる通り、どちら側からも書いている。

それでは日航の罪とはなにか。

不起訴となったことからもわかるように、事故調査報告書とは異なる新たな墜落原因があるとすれば、日航の罪ではないことはこの公文書が証明した。ただし、誰かから強要されて、高木養根社長(当時)が、殺される、と震えていたほどの恐怖心を感じ、命の危険にさらされていたのであれば、脅迫によって不本意ながらその罪をかぶったことになり、日航側の罪は犯人隠避罪のようなこととなる。共犯かどうか?これは構成要件にどのようにあてはめるかによる。簡単にわかりやすく書くと、運輸安全委員会(当時)は事実と異なるのであれば公文書偽造、故意的に偽造改ざんは証拠隠滅罪となる。しかし、危険を感じるほどの脅迫を受けたのならば、その罪は軽くなるだろう。それでは相手に恐怖心を抱かせるほど脅迫した当人がいるはずだ。それは当時の運輸省か、首相官邸サイド、中曽根元首相、自衛隊幹部、他の誰かだろうが、これらは脅迫罪となるが、今のところわかっていることはここまでである。

いずれにしても、いまだに真犯人にはたどり着いていない。真犯人は、今でも遺族に一切謝罪もせずに、罪とも向き合わず、隠蔽体質の人々に守られて、のうのうと生きていることになる。520人の命を絶った犯人であるから、史上最大の大量殺人事件となる。

私はその原因不明を追究しているのであって、ご遺族は真犯人からの謝罪を強く望んでいるのである。それは当たり前のことだろう。

従って、先に書いた「遺族は日航を許してやれよ、青山透子は会社に恨みでもあるに違いない」という論理は破たんしてる。

恐らくこれを書いた人、言った人は関係者であろう。しかも単に自分の年金がなくなるとか、自分の息子や娘の就職先(日航)がつぶれては困る、とか、責任をかぶりたくない国土交通省とか、そのたぐいであろうが、いずれも自己保身と自分の食い口のためだろう。そのお金はどこからくるのか。お客様が航空運賃として支払ったお金や国民の税金である。

それに対して、いまだに隠蔽するとは、これも、ならぬことはならぬ、のである。

もちろん、不確かな情報で、一方的に相手側の不満やはけ口を鵜呑みにしてもいけない。面と向かってきちんと話をせずに、本当の事情も知らずに人を貶めるように陰でこそこそと企てをしてもいけない。また、純粋に事故原因を追及しているふりをして、実はかく乱するのを目的として書いている人もいる。変な人を装い、これを追及する人に対してレッテル張りを一生懸命している人、それに加担している人もいる。こういった様々な人間の心の裏側を認識して、思惑に引っかからないように冷静に判断をして筋を通すことは人として誰もが心がけるべきであって、ジャーナリストならば特にそうあるべきだろう。

ならぬことは、ならぬことはならぬものです。

追記だが、一つ老婆心ながら忠告しておきたい。

航空会社の乗務員たちの仕事は、フライト時間が早朝や真夜中も多く、過密スケジュールの中で働くのが日常であり、昔と違って国際線のほとんどが長距離フライトの直行便では、機内で仕事をする時間も長く、時差もあり、心身の乱れが出てくることは当然だと思われる。そこで、アルコールに依存しなければ眠れないとか、気分が高揚しない、乗務出来ないという人が出てくるのだろう。アルコール検査が厳しくなれば、次に取る行動は薬物依存である。官僚(経済産業省文部科学省の職員)が職場で大っぴらに注射器を使用して覚せい剤を使い、逮捕されるという異常な今日この頃、そのうち薬物依存症のパイロットが出てきてもおかしくない。フライトで訪れる海外では合法の国もあり、その辺で気軽に購入も出来るそうだ。そうなると、「アルコールではすぐ検知されるから、薬物にしよう」と言い出しかねない。

それがどういう行動に出てくる危険性があるかについて米国の航空医療関係者に聞いた。大麻、危険ドラッグ、覚せい剤といった薬物に依存して操縦かんを握った場合、次のような場面で危険な事態が生じる。最低安全高度(minimum safe(flight)altitude, minimum enroute altitude)時の判断や有視界飛行方式(VFR:visual flight rules)の時に、薬物よって気持ちが大きくなって蛮勇を振るう行動に出る、ということだ。

つまり早い話が、ミニマムの状況での判断の際に、引き返す勇気ではなく、事の是非を考えないで向こう見ずの勇気(本物ではなく、薬物による勇気もどき)が出やすくなる。するとどうなるだろうか。

いくら訓練を積んでいても、とっさの判断が出来なくなるということになってしまう。「突っ込んで行け!」と精神が高揚して、地面に激突ともなりかねない。その結果、被害を被るのは本人のみならず、大勢の乗客である。事が起きてから謝罪ではすまされない。

昨今、聞くところによれば、官邸周辺でも、外遊機内でもこういうタイプの人が多く出没するそうで、「ちんちくりん」なことを話すらしい。少しはいろいろな角度から論文を読んで研究したいそうだが、きちんと読んで理解出来るかどうか、勢いをつけて気分ばかりが高揚しても困るのである。

搭乗者のみならず運航乗務員、客室乗務員の手荷物検査に麻薬探知犬による取り締まりを強化すべきだろう。火の無い所に煙は立たぬ、ならぬことはならぬものだ。