「日航123便あの日の記憶 天空の星たちへ」公式ブログ

1985年に起きた日航123便墜落事故を、当時日本航空スチュワーデスとして勤務していた著者・青山透子が、事故の真相を追い求めて綴ったノンフィクション

日航123便 ある遺族の方からの手紙 青山透子

多くの皆様からの感想や励まし、お心遣い溢れるレター、読後感を表して、直筆の美しい薔薇の絵をかいて送って下さった元全日空B747機長、元航空自衛官ファントムの教官、有識者の方からの激励等々、本当に有難うございます。皆様の温かいお心に深く感謝申し上げます。その中でも目を引いたお手紙の一部を紹介させて頂きます。

大阪在住の遺族の方からです。「(略)一気に読ませて頂きました。これからも私ら遺族は益々行動を起こさなければならないと・・・思いました。遺族としてしなければならないです。再調査を願う事です。ぜひ協力してくださいませ。33回忌だからこそ関係者には本当のことを語ってもらいたいと願うばかりです。貴女だからこそ書いて下さったことに深く感謝いたします。本当に有難うございました」

また、引退されたパイロットの方からのお手紙も一部紹介します。

「(略)私はB747機のテストパイロットをやっていました。隔壁修理ミスについての報道に『それはおかしい』と私が思ったのを覚えています。飛行中に隔壁破壊はどう考えてもNOと思います。墜落時の衝撃で亀裂が入ったのが自然です。あの時、事故翌日の13日に素早くボーイング社社員や調査委員を米国は日本に送り、世界中に飛行しているジャンボ機の型式とは関係なく機体番号JA8119機だけの問題として発表しました。その時から私は『これはおかしいぞ』と思い始めたのを覚えています。青山様の本で『新』事実で目が点になったのでした(略)」

日本ペンクラブに所属するある作家からの手紙です。

「献本された本を一気に読みました。この墜落原因については、ファイアービーにやられたとか憶測と思い込みが多い幼稚な文の、既に発行されている本とは明らかに違い、貴方様独自の視点での文献調査と現地でのインタビューの積み重ねは非常に価値がありました。正直言って、毎年の精霊流しのニュースとしか、認識が私にはなかったが、論理的明確な文体、流れの良い文章これは大変評価に値します」

そのほか、沢山のファンレターも大変ありがたく思っております。また、8119や123という数字と巡り合ったことで、偶然私の本に出合えた、という方もいました。

それから、水島朝穂教授の公式サイトに出ている最後のJA8119号機の写真もよく見て下さい。あの飛行機が撮影されたのは羽田空港で、123便として大阪へ行くために滑走路に出た瞬間に撮影されました。あの窓の向こう側に亡くなった方々が乗っていました。2階席に非常用出口が見えると思いますが、2階席は坂本九さんが乗っていました。あの日はほぼ満席なので、下の階に空いた座席はなく移動することは出来ません。いまから不時着する、という場合とも異なり、突発的緊急時は乗客が下に移動中急降下もあるため、それも出来ません。私たちはインストラクション通りではなく、臨機応変に対応しなければならないのです。あの日、恐らく木原APは、あの高い2階非常用口からの脱出を考えていました。

皆様からのメッセージを励みにしてあの日を忘れず、伝え続けてきてよかった、継続して調査をしてきたことで見えてきた新事実をこれからも探し続けていきたいと思います。

皆様と共に、そして天空の520名と共に 青山透子

 

●管理人からのお願いと注意事項

たくさんの応援、有難うございます。

なお、管理人からのお願いです。このサイトは、自分の本を売り込んだり、他人の本をけなす場ではありません。そういう書き込みは当然のことながら公開されませんのでご了承下さい。また、他人のハンドルネームと酷似したものを使用し、あたかもその人であるようにして書き込む人がいますが、これは明らかに違反行為です。調査した結果、違う方であることがわかっております。また複数を装った書き込みも同一人物であることもわかっております。相手様にも迷惑が掛かりますので、今後ありましたら、しかるべく対応をとらせていただきます。

多くの皆様の善意溢れる公式サイトしたいと思います。運営にご協力の程、どうぞよろしくお願いします。

管理人

 

 

 

 

 

ANA機、機内気圧低下による緊急着陸とあの日を考える 青山透子

33回忌の昨日12日、18時発の全日空37便(羽田空港から大阪伊丹空港行き)が、離陸して20分後位に機内の気圧が急激に低下したとして、羽田に引き返し19時前に緊急着陸をしました。ちょうど相模湾上空で引き返した、ということになります。CAのアナウンスの声が震えていたそうですが、おそらく日航機事故を思い出したのかもしれません。

32年前、同じように18時羽田空港発の日航123便は機内与圧低下によって垂直尾翼が吹き飛んだという理由で、結果的に、御巣鷹の尾根に墜落しました。

同日同時刻、同じルート。そして与圧系統の故障で機内の気圧低下という理由。これは単なる偶然なのでしょうか。

もし、見えない力というものがあるとするならば、私はこれは天空の星たちのメッセージが込められているのではないだろうか、そして与圧低下の状況を客観的に教えてくれたような気がします。

これは「魂の叫びではないだろか」と言ってくれた恩師の教授もいます。私も「風化させてはならない、あの日を忘れないでほしい」そういう520名のメッセージだったのだと確信します。

 

私は昨日、成田山にて33回忌として、新刊本を天空の皆様に捧げるために供養を行いました。お寺の上を成田発の飛行機が多数飛び立っていました。

実は、出版の際にもいろいろなことがありまして、そのうちのいくつかを読者の皆様にお伝えしたいと思います。これは全て本当の話です。

深夜午前2時頃、寝ずに執筆していた時です。どうしても対馬先輩の資料でほしいもの(紙1枚)が見つからず、膨大な資料に埋もれて1枚ずつ探していた時、疲れから意識がもうろうとして、思わず転んだのですが、そのはずみで積み上げてあった新聞や資料が雪崩のように崩れ、突然探していたその資料が、目の前にひらりと落ちてきました。あ!これだ、と本当に驚きました。実はこの経験は執筆中、何回かありました。

次に、前著にあるように「沈まぬ太陽(映画、若松節朗監督)」のエキストラで、群馬県高崎市民体育館に行った時の事です。撮影の際、お昼休み中に、監修で来ていた大國勉先生(群馬県警察歯科医師)の休憩部屋に行ってお話してみようと、部屋をのぞくと誰もいませんでした。まだ大國先生にお会いしていなかった時なので、顔がわかりません。どこかにいるのかなあ、と思っていました。

さて、撮影に入る前、私たちエキストラのいる風景をちょっと高い所から見下ろしている年配の看護婦さん(古いナースキャップをかぶり、日赤のようなスタイル)と一緒に、年配の医師(白衣姿で少し汚れがついている)が目に入りました。二人は顔を見合わせて「このセット、良く出来ているわねえ。すごいわねえ。あの日と同じですね」と話をしている声が私の耳に聞こえてきました。ああ、もしかしてこの人が大國先生なのか、と思っていたところ、すぐにセットに入る合図が出たので、話しかけられませんでした。その後いくら探しても見つからなかったのです。

後日、大國先生にインタビューを正式に申し込んでお会いしたのですが「あれ?あの時私が見た医師とお顔が違う?」と思いまして、私の見た医師はもしかするとエキストラ役の人?と思っていました。

その後、若松節朗監督にもお会いする機会があり、確認したところエキストラはお年寄りの人はいなかった、ということでした。

そして執筆中、私が新聞記事をチェックして目に入った記事とその写真に写っていたのが、あの時見たご年配の医師の顔でした。その記事は、群馬県の医師たちが遺体状況の確認が困難で、寝ずに活動をしている、という内容でした。この写真を大國先生にお見せして、その年配の医師のお名前を聞いたところ、なんと、事故直後、疲労困憊の為に亡くなったとのこと。

ええ?それでは2009年に私が見たあの医師の人は?そして看護婦さんは?

ここからは、皆さんのご想像にお任せします。

そのほかにも、担当編集者が夜中、出版社の部屋に一人残って作業をしていたら、最後の追い込みの校正中に、突然開くはずのない非常用ドアがバタンと大きな音を立てて開き、目が覚めた、とか……いろいろありました。

きっと、あの世から応援してくれていたのだと思います。

なお、早稲田大学法学学術院教授の水島朝穂氏がご自身のHPで拙著を紹介してくださいました。

また、西日本新聞のコラム春秋にて、拙著を取り上げてくださいました。

心からお礼申し上げます。

水島朝穂HP

直言(2017年8月7日)日航123便墜落事件から32年――隠蔽の闇へ

 

西日本新聞HP

「8・12」が来ると思い出す… - 西日本新聞

 

 

 

 

重版決定のお知らせ 日航123便墜落の新事実~目撃証言から真相に迫る 青山透子

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●管理人です。重版決定のお知らせです。
7月17日に謹呈本が仕上がり、一般の皆様には7月24日に発売となりましたが、想定していたよりも実に大きな反響を呼び、売り切れ状態となりまして、1週間で重版が決定しました!
 
多くの皆様から感想が次々と寄せられておりますので、ほんの一部をご紹介します。
「定説を覆す内容であっても説得力があり、事実と時間の系列を踏まえながら、冷静で堅実、かつ論理的な記述に感心した。必ずや反響を呼ぶものと確信する」
「日本の戦後史を物語るような著作である」
「何か自分も行動を起こさなければいけない、と心の底からそう思う作品でした」
「むさぼるように一気に読み終えた。本当にノンフィクションとして面白い本だった」
「よくぞここまで書いてくれた。群馬県民としてお礼を申し上げます。まだ中曽根氏が生きているうちに話してほしい。それでこそ本物の政治家(それとも嘘つきのままの政治屋か?)だろう」
「福島で原発事故後住めなくなった住民ですが、この上野村とほど近い片品村で避難したことを思い出しました。辛い人々の気持ちへの思いやり溢れる本でした。遺族の方々も最後まで望みをもって頑張ってほしいと願います」
 
そのほか沢山の皆様の応援を有難うございます。
まだこの123便事件について事実を知らない方へ是非ともこの本をご推薦頂きますようお願い申し上げます。
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●青山透子から皆様へ感謝を込めて
 まず、私のような無名のノンフィクションにもかかわらず異例の1週間での重版決定に、心から皆様に感謝を申し上げます。
 拙著をきっかけとして、お読み下さる人々のそれぞれの想い、当事者の無念さ、ご遺族の執念、これらが大きな原動力となって、新事実を解明することに繋がれば大変嬉しく思います。ぜひ多くの皆様に知ってほしい、あの日の事実を一緒に考えてほしいと願うばかりです。もっともっと広めて、ぜひ応援してください。宜しくお願いします。
 
 さて、皆様にお伝えしておきたいことがあります。
 あの日、偶然見上げた空の向こうに日航123便を目撃した、関係者から多くのものを見聞きした、相模湾上での赤いせん光を見た、浜に打ち上げられていた飛行機の残骸を拾った等々……。
 当時、そのように見聞きしたことやモノを地元の警察や報道機関、政府関係者等に報告、または提出した人も多かったと聞きます。富士山での登山中に撮影した日航機の写真、低空飛行状態を描いた絵、そのほかいろいろあったと思います。全てそれらは、事故原因を究明する為、ということで当然のことながら役立ててほしいと願い、むしろこれで自分も少しは役に立てたのだ、と胸を張って、そういう気持ちで協力した人も多かったでしょう。しかしながら、事故調査において、本当にその気持ちを汲み、関係機関はそれを活用したのでしょうか?
  32年間もそれを保管、ということで他の人達の目に触れないようにされているだけかもしれません。
 それらは皆さんのものですから、返してもらう権利があります。
 
 実は、その際にお礼という名目でお金の入った封筒をもらった、という報告をしてくれた人が随分前にいらっしゃいました。特に関係者の中で、口止め料とも受け止めかねないような相手からの威圧を感じて、お金をもらってしまって後悔している、という人もいます。
 逆に、そういうことが一切なかったから言いに来た、または今まで黙っていたが決心をして、という方は全くそれとは関係ありません。良心に従っただけですね。
 
 しかし、ある人は「関係機関に報告をしたら、お礼ということで封筒を持ってきた人がいた。そして、事故原因を調査中なので、他言無用と言われた。そのお金は何だか使う気持ちがしなかったので、災害義援金として寄付した」という人もいらしゃいました。
 これらのことについて、ちょっと冷静に立ち止まって考えてみたいと思います。
 まず、そういう状況を経験したかもしれない人たちに、是非とも知っておいてほしいことがあります。
 こういった違法な契約や約束は、守る必要もなく、お金を返す必要もない、ということです。
 なぜ、違法なのでしょうか。法律の専門である弁護士の先生方にお聞きした内容を書いてみます。
「事故原因の解明は、民間機の航行の安全、乗客の生命・身体・財産の安全を確保するという『公の利益』に資するものであり、これを妨げようとする約束は、民法90条にいう『公の秩序または善良な風俗(公序良俗)』に違反するものであり法的には無効」の可能性が高い、ということです。
 そして「違法な約束の対価として金銭を支払った者は、約束が無効であっても金銭の返還を要求できない(民法708条・不法原因給付)」ということになります。
 つまり、相手が警察であっても政府関係者であっても、報道機関であっても、その証拠や情報をもらって事故原因究明に役立てずに、逆にそれを妨げるような口止めがあったとするならば、それは明らかに違法行為だ、ということになります。
 従って、もらった側は、そんな違法な約束を守っていつまでも黙って隠す必要もなく、ましてやお金を返す必要もないということになりますね。
  
 この点をよく考えて、貴方の人生とあの日を思い出して32年間をぜひ振り返ってください。
 そして、あの飛行機に乗ったために自分の人生を強制的に終わらせられた人々の想いを汲んで、33回忌の弔い上げとして、あの日を語る人たちがもっともっと増えてくれることを願っております。
 また関係者であるならば、弔い上げとしてあの世の人達から罪を問わない今年が最後のチャンスとなります。事実を直視し、本物のプロとして語るその時、本当に心が安らぐのではないでしょうか。
 
 8月6日は広島原爆の日です。
 あの日の記憶を言い続ける努力こそが私たちの平和を築くのだと思います。
 今朝の新聞に、今広島を訪問中の故チェ・ゲバラ氏の長男でカミーロ・ゲバラ氏の言葉が掲載されていました。
 とても印象深い言葉でしたので、ここに書かせて頂きます。
「景色は変わったがここで起きた事実は変わらない。人々は殺りくのために存在しているのではない。多くの人が広島へきて、世界の現実を知ってほしいーカミュ―ロ・ゲバラ
 
 多くの人達が上野村を訪れて、そこで何があり、どうして520名が亡くなったのか、一人ひとりに考えてほしいと心から願います。
 
 
 
 
 

日航機事故から33回忌 新刊のお知らせ 青山透子

今年は、1985年8月12日の日航123便事故で亡くなった520名の33回忌となります。その弔い上げとして急きょ新刊を出版することになりました。今月の7月17日発売予定で、河出書房新社より出ます。

タイトルは「日航123便墜落の新事実ー目撃証言から真相に迫る」

となりました。

内容は、前著を出版した後に寄せられた情報、当時の運輸大臣、故山下徳夫氏も含め、あの事故に対して重要なキーワードを持つ人へのインタビュー、さらに一般人からの大変重要な目撃証言をもとにして、渾身の力を込めて書き上げました。

 

32年経ってもなお、心の奥にひっかかりを持つ人たちがいる以上、あの日が忘れられない人たちがいる以上、そして納得できない遺族が一人でもいる以上、その気持ちを汲み取り、共に考えることは私たちの使命だと思っています。

 

その中で私の役割は何か、私に出来ることは何かをずっと考えてきました。そしてこの公式サイトでもそういう皆様に励まされてきました。

本当に皆様、有難うございました。

是非お読み頂き、まだこの事実を知らないいろいろな人々にお伝え頂きたいと思います。

河出書房新社 1,728円(本体価格1,600円)

下記河出書房新社HP

www.kawade.co.jp

映画「大空港(1970年)」とボイスレコーダー

久しぶりに昔の映画「大空港」を観ました。ジャクリーン・ビセットがグエンというスチュワーデスの役で、カッコいい、行動的な女性を演じています。123便で亡くなった藤田香さんに似ています。乗客が持ち込んだ爆弾の爆風でケガをしてしまうのですが、そのプロ意識がそっくりな気がしました。

映画の後半部分は、機内に爆弾を持ち込んだ乗客が後部トイレで爆発をさせてしまい、急減圧が生じて緊急着陸するという流れになっています。トイレの中で外に穴が開き、機内にあるものが散乱し、人が吸い出さされそうになり、機体は急降下し、客室乗務員は酸素マスクをつけながら寒さ防止のために毛布を配り、コックピットでの対応も実に本物そのもので臨場感溢れる内容でした。これが科学的視点で考える急減圧というものです。

そこで驚くべきシーンがありました。スコーク7700にダイヤルを回すシーンです。そして次の瞬間、そのコックピット内のやり取りや私的な会話すべてがオープン状態となり、管制塔内の何十人もの人々、カンパニー(自社の無線)、空港ターミナルでの傍受等、実に多くの人たちがコックピットの会話を聞いています。

つまり、あれだけ多くの人たちがあの日の会話をきいたことになります。そしてコックピット内の会話は全てスピーカーから流れ、交信しています。ボイスレコーダ―には管制塔からの会話、地上係員(カンパニー)との会話、お互いのやり取り、全てが入っていなければおかしいのです。なのにJAL123便の公表は機長、副操縦士、航空機関士のみの会話だけ。これは当然おかしいと思い直して、他の航空機事故でもそのような事故調査報告書にしているのかと、調べてみました。

すると驚くべきことがわかりました。例えば平成21年8月28日に運輸安全委員会が出している「中華航空公司所属B18616」ー中華航空のB-737型機が沖縄で火災事故を起こした―この報告書をぜひ見て下さい。最後に別紙があり、そこにはP85~コックピット内の会話にしっかりと地上や管制塔とのコンタクトも含めた形で記録されています。さらに89~からは管制塔の交信記録もしっかりと書いてあります。これがアドレスです。

https://www.mlit.go.jp/jtsb/aircraft/rep-acci/AA2009-7-2-B18616.pdf

123便では、墜落のショックでも完璧な状態で発見されていましたから、壊れていた、という言い訳もできません。1985年当時は出来なかったという理由はありませんし、今からでもできるはずです。

なぜ123便だけがあの管制塔側の会話がない、つまり話している相手側が、発表していないものを私たちは鵜呑みにしていたのでしょうか。本当に相手の思うつぼというか愚かでした。

これに気づいたのは、ある読者からの手紙です。実は神戸に住んでいらっしゃる読者の方はすごく耳がよく、お子様にも地獄耳?と言われているそうで、ネット上に公開されている123便ボイスレコーダーの会話をよく聞くと、公表されて書いてある文字以外の事が聞き取れる、ということです。また判読不明の部分もなんかこう言っている、と書いてくれました。それでもう一度事故調査報告書を見て、偶々大空港を見て、そういえば緊急時は会話がスピーカーから流れてオープンなのに、コックピットの会話が一方からのみで変だと気づきました。

神戸の読者の方は、このようなことだけでも33回忌の供養になるかなあと勇気をもって手紙を書いてくれたそうです。本当に丁寧な手書きの手紙で私は思わず涙がでました。こうやって一人ひとりが本当に自分の事のように思って考えてくれているのですね。

あの日、あの時、いろいろな事を現場で聞いた方、32年も前のこと、法的に何の縛りもない、しかし心の縛りが恐れに繋がっているのでしょうが、遺族はもう高齢です。ぜひ、いまこそお知らせくださいますか。出来れば早くお知らせください。すぐに8月12日が来てしまいます。自分に抱え込んだ未公表の部分を今こそ勇気をもって出してほしいと願います。

 

新年いかがお過ごしでしょうか 青山透子

皆様、新年いかがお過ごしでしょうか。

今年はあの日から今年は33回忌です。仏教年ではこれで最後の年。一人ひとりのあの日の心を考えながら、振り返っていきたいと考えています。

まず私が振り返るのは、お世話になった先輩たちへ手紙として書き記していきたいと思います。

あの凄惨で無常な日から、もう三十三年もの月日が流れたのですね。

あの日、アナウンス担当だった対馬さんの気持ちはいったいどうだったのでしょうか。

貴女は当時29歳、長年付き合っていた彼と結婚したばかりでした。その新婚旅行から戻り、「対馬」と苗字が変わっての初のフライトでしたね。まだネームプレートも旧姓のままだったあの時、事故発生から墜落までの先輩の気持ちを考えると、今でも私は胸が痛くなります。

 

私と出会った時は、随分年上だと思っていました。あの頃の先輩のふんわりとした笑顔、落ち着いて気負いを感じさせない穏やかな態度に、当時失敗ばかりしていた新人スチュワーデスだった私の心はどれほど慰められたでしょうか。先輩の柔らかな声は、今でも心の中に残っています。そしてなぜか、その声に私がいつも励まされているような気がしています。

 

2010年、私は、天空の星となった520名の人たちと共に逝ったクルーについて、どうしても書き残して置きたくなり、一冊の本を書きました。取材の過程で、昔スタンバイルームで見た先輩の赤い手帳を、まさか日航安全啓発センターでもう一度見ることになるとは思いませんでした。

墜落現場から発見されたその手帳に、不時着を想定して英語と日本語でびっしりと書かれた機内アナウンス。もし、過酷な墜落状況下で書いたのであれば、貴女はどうしてそこまで強くなれたのでしょうか。

その歪んだ文字は、何を私たち後輩に語ってくれているのでしょうか。なぜ最後の最後まであのようなパワーを持てたのか、本当はとても怖かったのではないか、墜落までの約30分間、ご家族やご主人を思い出さなかったのか、それとも自分の人生を振り返る余裕も時間もなかったのか、もし私が同じ状況だったのならば・・・・数々の疑問と先輩への想いが湧き出てきました。

 

今、ここに当時の自分と重ね合わせて、貴女の気持ちのほんの少しでも分かち合えたらと振り返ってみたい、いいや振り返らなければならないのではないだろうか、そう思えてきました。それが本当の33回忌の供養となるのではないだろうかと思います。

 

貴女の文字は、私たちに何を残し、何を語りたかったのでしょうか・・・・

今年の締めくくり・来日したアレクシェービッチさんの疑問に答える

あと数時間で2017年。酉年は大空に羽ばたく鳥のごとく、飛躍の年としたいものです。このサイトを愛読して下さる皆様に深く感謝申し上げます。不定期の数少ない更新にもかかわらず、多くの方々に読んでいただきました。

先月、ノーベル賞作家アレクシェービッチさんが来日されて福島に行かれました。そして名誉博士号を授与された東京外語大で講演をなさいました。今年の初めに彼女の話を書いたので、彼女の言葉を今年の締めとしたいと思います。

彼女が思った日本人への印象として、大きな疑問が次の言葉でした。

社会主義国家における全体主義の長い文化(旧ソ連)ならわかるが、日本社会において人々が団結する形での『抵抗』の文化がないのはなぜでしょうか(責めるのではなく)福島の人々はなぜ団結して原発反対や国に対して抵抗していかないのでしょうか」

そして、国というものは人の命に全責任を負うことはしない、国民の意識の軍事化(強制的に右に倣えというような同質化)にも警戒を鳴らしていました。

福島については、国を提訴した福島の女性が一人ではなく、千人以上いれば福島の人々に対する国(及び国民)の態度も変わったかもしれない、とおっしゃていました。

どうも今の日本には、団結して「抵抗」することが悪いこと、国に逆らうと良くない、逆に損をする、福島からの避難者をいじめる、悪意をもって発言をする人が多いから黙る、団結出来ない、という変な文化?が蔓延っているようです。

人は社会からの強い抑圧や差別、弾圧といった非人間的な扱いをされた場合、微力な民衆が団結をして弾圧する政府や組織に抵抗する、という構図が成り立つのだと思います。しかし、長い間、例えば原発問題における金銭的な解決法やにじり寄りの方法、複雑に利害が絡み合った人間関係の上に成り立つ契約や取引などで、どうにも動きが取れない場合、団結や抵抗という文化が育たなくなっていくように思います。お互いうまい汁を吸った、と言い合い、田舎で世話になった人や恩義のある人が相手側だったり、お互いに依存し合っていたり・・・

移民国家の米国のように多種多様な人々の集まりでは、それはそれ、これはこれ、と良い意味で明確に分けて考えられる場合も多く、ドライな取引も可能ですし、民主主義の当然の権利として堂々と発言する人も多いでしょう。しかし、同質性の極みのような島国の日本では、近隣で同じ顔をした同じような考え方をする人々が、同じような営みを長年続けている為に言いづらい環境であったりします。こうして、諦めや抵抗の文化が失われていくのだと考えます。

そうなると、真実を追究しようとする人にとっては非常にやりずらい環境になります。たとえば、おかしな部分を見つけ出し、それを指摘したり、正義感をもって正しいことを実行する段階に、見えない恐れと歯止めがかかり、知らないうちに見て見ぬふりをして、自分され良ければよい、と諦めの気持ちが芽生えてくるからです。それは、都合の悪い情報を隠したい人にとっては最高に住みやすい国となってしまいます。これが生きにくい社会となる原因だと思います。

2017年は、日航123便事件発生による520名の人々の三十三回忌です。

これは、仏教年で弔い上げとなります。これ以降はもう個人ではなく私たち先祖の霊となって極楽浄土へ行く、という意味もあります。

そして、この33年という長くて重い年月を過ごしてきた事件関係者の皆様、せめて弔い上げとして、目撃したことや知っている事実をお話下さることを願っています。

遺族のKさんの言葉です。

「愛する人を失った遺族としては真実が知りたい。それが本当の供養になる」

2017年、どうぞよろしくお願い申し上げます。