「日航123便あの日の記憶 天空の星たちへ」公式ブログ

1985年に起きた日航123便墜落事故を、当時日本航空スチュワーデスとして勤務していた著者・青山透子が、事故の真相を追い求めて綴ったノンフィクション

母校の東大にてゲスト講義をしてきました 青山透子

東大で25年間も続いている有名な弁護士の先生方によるゼミのゲスト講師として、拙著をもとにして、法と人権と社会の有り方とは何か、について講義をしてきました。

学生の皆さんは将来法律系やメディアなどに就職するであろう非常に若い人たちです。32年前は父母が小学生から中学生、高校生ぐらいでしょう。彼らは当然生まれる気配すらないわけです。もし、事故機にお父さんやお母さんのどちらかが搭乗されていたら、彼らはこの世にいないのです。そんな昔の話をリアリティをもって共感していただけれるかどうか心配でした。

そこでグループ討議の際、私が持参した32年前の古びた茶色の新聞各紙を配り、その一面トップに出ている「日航機墜落」という文字、カタカナで書かれた搭乗者名簿、身元確認の困難さ、医師たちの証言、私がインタビューした人達の名前が出ている上野村消防団等の記事などを回してみてもらいました。

それにしても当時の世相と今ではあまりに違いすぎるため、どうやってあの当時の雰囲気を伝えたらよいのだろうか、話がちゃんと伝わっているかどうか、地下鉄サリン事件も知らない世代ですので単に風化を防ぐというよりは、伝え教えていくむずかしさも感じました。

人権についても個人対個人や企業対個人の場合よりも、国家対個人の場合、国側の組織的な様々な圧力や国側の隠ぺいのしやすさも考えなければなりません。法律では当時、情報公開法成立、施行前の時期で、一トンもの日航関連の資料や証拠物等を運輸省事故調査委員会は焼却して廃棄しました。あとからそれを知った遺族の怒りは相当なものでした。刑事裁判もなく、民事訴訟も示談が殆どだったあの事件について、後から検証することすら出来ない状態にされてしまったのです。半官半民だった日航と国の癒着、防衛庁日米安保問題、空の安全保障から深く考察し、時代的背景も考えながら、この事件を解明しなければならない、その重要性に気づいてほしいなあと心から願って話を終えました。

安易なネット情報や不確実なコメントに影響されることがないよう、パワーポイントを使い、関係者の音声も出し、医師などから学術用に使ってよいと特別に許可を得た一般には一切出ていない写真や確実な情報と裏の取れた内容と真事実、メディアの役割と報道の中身、そこから推定される仮説も提示して、皆さんに考えてもらうようにしました。きっと、ビックリするようなことも多かった思います。しかし、彼らの気づきが、今までの様々な政治的汚点や国家的失敗を克服することにつながり、「小さな目は見た」からの情報が「未来の目は見た」に繋がるのです。私も皆さんと共に貴重な時間を過ごすことが出来ました。先生方に深く感謝いたします。

大きな教室にぎっしりでしたが、皆さんと出会えて本当に良かったです。そして、一人ひとりの心の中に何かが残り、何時か誰かがこの事件を解明してくれることを願っています。

 

管理人からのお知らせ

何時もご覧いただきまして有難うございます。

講演、講義は大学等の学術に限らせて頂いております。

なお、番組制作の資料提供や取材などについてのご依頼ですが、こちらの書き込みコメント欄にご依頼頂きましても、ご指定へ直接メールをすることは致しておりません。

恐れ入りますが、河出書房新社へ電話にてご連絡を宜しくお願いします。そのあと、担当者より青山透子へ引き継ぎとなります。何卒宜しくお願い致します

 

 

 

1980年代のスチュワーデス秘話 青山透子

昨晩のテレビ東京の番組「あの事件の知らなかったコトSP」はいかがでしたか。このサイトに訪れた皆様で、当時を思い出しながら見て頂いた方も多かったと思います。

最初、客室内でのコックピットとのフライト前ミーティングの時、前回書いたアロケーションチャートが紙一枚、ちゃんと出てきましたね。ボーディングミュージックもリチャード・クレーダーマンの「渚のアデリーヌ」でした。ディレクターの方がメモしていたのを思い出して嬉しかったです。

確かに今までの番組では、客室乗務員に焦点を当てたものはなかったという事で、その点は大変深い意味のある番組だったと思います。資料提供に名前と本名も入れて頂きましたが、制作者のご苦労も多々あっただろうと推察しながら見ていました。画面に出た当時の先輩の姿、制服姿の写真、懐かしいHさんのお顔など、33回忌として番組が放映されたことは本当に良かったと思いました。

ただ、前から聞いていましたが、再調査を言及するような内容ではなく、それに加えて遺族の小川さんの写真が、あまり意図がつかめない写真で唐突にそれも風景の1枚だけ、というのはちょっと情けなかったですね。

それにしても、今までなかった視点、つまり墜落機の日航の社員としての当事者のみならず、乗客と生死を共にした20代から30代の若い彼女たちの人生に思いをはせ、最後の瞬間をも、プライベートを超えた職業意識で目の前の苦難や状況を克服すべく、精一杯努力をしたのだ、という事実をあの番組を通じて皆様が重く受け止めてほしいと心から願います。

昨日はもう一つビックリした事、上野村へのヘリ墜落でした。このタイミングで?と大変驚きました。ご冥福をお祈り申し上げます。

 

さて、ちょっと当時の髪型ですが、訓練所にいる間、指定された日に銀座の資生堂美容室に行き、日航客室乗務員指定髪型という写真を見せられ、どんなロングヘア―でもバッサリと切られました。訓練中から新人にかけては、会社の指定する5つのパターンだけが許されていたのです。あの番組の客室乗務員は殆どの人はカツラだと思いますが、当時は今のように後ろに結ぶシニヨンではありませんでした。どちらかというと私の本に出ているような、横サイドを流すセミロングが主流で、シニヨンをしている人はパーサークラスの人だけでした。新人がシニヨンをしたら大変です。先輩に一言「あら、その髪型、10年早いんじゃない」と言われたものです。さらに番組の中で、赤田さん(ママさんスチュワーデス)が後ろにカーラーを巻いて、ギャレーで後輩に指摘されている場面もありましたが、あれは前髪(うしろではなく)を気にして、前髪だけカーラーを巻いて、ボーディング前に取る、ということをしていた人がいたエピソードから、演出したのでしょう。

カーラーで前髪を巻いていたパーサーに聞いた時がありますが、その理由は制帽でつぶれてしまうので、とのことで、これも新人はNGです。

髪型一つとっても80年代と今では違いますね。

それから、墜落直前まで赤い手帳に脱出アナウンスを書いていた、そして乗客の皆さんに安心感を持ってもらうように、地上と交信はつながっております、と最後のアナウンスをした対馬さん。私にとっては旧姓のMさん、という名前のほうがしっくりきます。高熱だったにもかかわらず、新婚旅行から戻って名前が変わって初のフライトでした。ネームプレートもまだ変わっていなかったそうです。新婚旅行は確か福島へ行ったと聞きました。客室乗務員は海外ばかり行っているので、結構近場で新婚旅行の人も多かった時代です。対馬さんのご主人は、刑事ドラマに出ていた俳優さんで、現在どうしていらっしゃるのかなあと思っていましたが、風の便りでは、その後持病が悪化してしまってお亡くなりになったそうです。きっとあの世で対馬さんと仲良くテレビを見ていたかもしれませんね。

 

 

 

本日8日(水)テレビ東京「あの事件の知らなかったコトSP」をご覧ください 青山透子

皆様、本日8日の夜、21時からテレビ東京系全国放映「あの事件の知らなかったコトSP」をぜひご覧になってください。その番組の中で、1985年日航123便(JA8119号機)に乗務していた客室乗務員に焦点を当てた再現ドラマがあります。

私の前著「天空の星たちへ~日航123便あの日の記憶」を読んで連絡を頂いたディレクターにお会いしたのが今年の春でした。当時のスチュワーデス(昔の呼び名ですね)に焦点を当てた番組は初めてだそうです。

ディレクターにお会いした時はちょうど現在の本の執筆中でしたから、当時の資料や私が123便に何度も乗務した記録などが手元にありましたので、それをお見せしてあの日について、ディレクターの方にも臨場感を持ってもらえるように話をしました。また乗務していた客室乗務員のエピソードを書いた追悼文集や、アロケーションチャート(飛行機内で仕事の分担とエマージェンシー担当区域図などを書いた紙)もお見せしました。

あの日の担当区域については原在の本の第一章に図解していますし、先輩方のエピソードも前著同様に現在の本にもその一部を書いておりますのでご覧ください。

なお、アロケーションチャートには、社員番号や名前なども書いてあり、必ず出発前には、この便に誰が乗務しているとすぐにわかるように、当直デスクに一枚提出していきました。何かあった場合の連絡にもなります。フライト中は、いつもその紙一枚を制服のポケットに入れて仕事をしていました。そういうシーンがあるかどうかわかりませんが、あればここだ、と思ってみてください。その理由ですが、グループブライトの場合もそうでない場合も、担当区域はその日のパターンごとで変わるので、後ろと前のギャレー担当者やキャビン担当者は誰か、また緊急脱出は誰と連絡するかなどを確認することが必要だったからです。

当時は青焼き印刷というもので、今のコピーのような白黒ではなく文字はブルーでした。その文字に光があたると薄くなり、消えてしまうようなもので、長期保存には向かない印刷でした。そこで私は32年間、光が当たらないように黒いビニール袋に入れて保存していたのです。たったの紙一枚であっても、私にとっては大切な思い出です。

その気持ちが伝わる再現ドラマであることを願って……。皆さんも是非ご覧ください。

テレビ東京番組公式サイト

www.tv-tokyo.co.jp

 

 

 

1980年代のスチュワーデスと海外旅行秘話 青山透子

さて今週から来週にかけては、昔を振り返り、1980年代(昭和55年から平成元年)のスチュワーデスと日本人の海外旅行事情についてお話をしてみたいと思います。

実はこの「日航123便墜落の新事実」の執筆中、昔の資料や思い出の日記、当時の様々なグッズを引っ張り出して当時をイメージしながら、あの時はこうだったなあ、などと思いながら書いていました。当時を知らない人のために、原稿の段階で、注釈で少しその一部を入れたところ、担当編集者から「あまりに面白すぎるので、別の本にしましょう。これを入れると、この本の全体の流れが変わるからカットします」と無残に言われてしまい、泣く泣くカットした部分をぜひ皆さまにご紹介したいと思います。

1980年代、日本は一般庶民も海外旅行に行けるぞ!ということで、地方は農協を中心として、都市部はパック旅行の全盛期突入、という時代でした。ちょうど昨年ごろまでの中国の方々などと同じようにお金を持ち、大挙をしておしかけるような団体旅行でした。

航空会社ではばら売りの席は高額で、座席の値段がエコノミーの席でも何十万と高額でしたから、いまのような個人客はほとんどいません。会社からお金が出る海外出張者以外はパックで海外旅行、という時代でした。実はその当時、現在のHISの創業者Sさんが、バックパッカーとして欧米で切り売り(余った席)を安く手に入れて飛行機に乗ることを覚え、その残った席を格安で売る、という手法を学んで帰国して現在の格安旅行市場を作ったと聞きました。しかし、これは航空会社にとって正直言って嫌な市場、お客様にとっては最高の市場だったのです。いわゆる網の目をくぐって出来た格安航空券の市場でしょう。そんな時代だったと思ってください。

さて話を戻すと、カットされてしまった部分ですが、当時を思い出しながらどうぞ読んで下さい。

以下、カット部分の秘話です!

〈一九八五年当時、マイレージや格安航空券などなかった時代で、国際線のファーストクラスはノーマル運賃で大変高額であり、ビジネスクラスも企業等の出張が殆どで、一般客は新婚旅行や自治体の視察旅行、農協関係など団体客が多かった。

直行便の最長路線はニューヨーク便で、北回りヨーロッパ便は全てアンカレッジ経由、南回り路線は、東京、バンコック、デリー、カラチ、アブダビバーレーンクウェート、ジェッタ、カイロなど中近東を経由してアテネまで飛んでいた。このフライトが入るとクルーは最長十八日間、家に帰れなかった。

私の記憶する思い出話としては、大阪発ソウル行きで、テ―ブルの上には現金と花札が飛び交い「姉ちゃん」と呼ばれたこともある。おしりを触られた、と言って新人スチュワーデスが泣きそうになったこともあった。そんな怖いお兄さんたちでも、絶対にこちら側の指示に従わなければ着陸後逮捕されてしまうことがある。それは、ソウル空港到着前には必ず機内全ての窓を閉めることであった。これは軍事機密上、空港周辺が国防施設の為とのことだった。北朝鮮との関係や、日本と韓国との関係にとって飛行機の窓を閉めることが重要だった時代である。

南回りでは、インドからの出稼ぎ労働者がカイロなどに行くため、初めて乗る飛行機で文化的にもトイレの使い方がまったくわからないため、座席の上や通路もトイレと思い込んで、その後始末が大変だった。ついこの間までの日本もそうだが、インドも農業の肥料として糞尿は貴重だったことが理由だろう。インドでは道端や田んぼで用を足すことが当たり前であったので、そこで、飛行機内の通路、座席の上、トイレのふたの上、は当たり前に用を足すところであったのだ。中には、ターバンをトイレの水(ブルーレットで色がきれいだと思ったらしい)を使い、便器で洗濯をして、機内の座席の上に干していた。なお、真っ白なターバンはたちまちブルー色に染まり、それを見て驚いた私に、綺麗だろう、と自慢されたことがある。

ちなみに、なぜインドの出稼ぎ労働者がJALに乗っていたかというと、自国のインドのナショナルフラッグのエアーインディアは、スチュワーデスがカースト制のトップクラスのお嬢様だったため、それより以下の身分のものへサービスは出来ない、という理由で乗せてもらえなかったからである。JALはその路線は安く乗せてあげていたそうである。

私が初めてファーストクラスを担当した時、ある富豪がクルーのサービスが良かったと乗務員全員を自家用大型ヨットのクルーズに招待してくれたこともあった。

パリでは、日本人観光客がお金を使いたい放題で爆買いするため、ショッピングツアー客は現地では有難いお客様の反面、マナー違反の日本人、というレッテルが張られていた。例えば、エルメスのスカーフの綺麗な展示品はおばさまたちがバーゲンのようにひっくり返すのでぐちゃぐちゃになり、いつも店員が渋い顔をしていたし、ヴィトンのバックのお店はオープン前に日本人が並ぶため、仕方がなく早々に開店して、店内は日本人だらけとなっていた。

当時のハンサムな人気俳優のアラン・ドロンとの夕食ツアーに参加する団体客は、全員日本人の中年女性ばかりで、とても華やかなロングドレス姿で、赤や黄色、青、のスパンコールの全身をキラキラさせて、団体バスに乗って集団でレストランに行き、パリの人達があまりのすごさに驚いて見ていた。

ニューヨークのティファニーでは、『ティファニーで朝食を』の映画のシーンをまねて、日本人の為に営業時間前の早朝、ティファニー店内で日本人が朝食を食べるツアーもあって、米国人もびっくりしていたこともあった。日本人観光客の振る舞いにこんな時代もあったことを、今、知らない人たちにぜひ伝えておきたい。〉

御巣鷹の忘れな草が上を向き。(ある新聞の川柳からー読者が送ってくれた言葉)

管理人です。

皆様から出版社についても感謝の言葉を頂まして、ありがとうございます。読者の皆様から、温かいメッセージや敬意を込めた読書感想文など続々届いております。

トーハン(出版商社)の調べによりますと、出版してわずか2か月で全国でベストセラーの10位に入り、先月は9位、今週は5位と徐々に順位を上げてきています。全国的な読者層の広がり、さらに多くの皆様からのご支持を賜り、誠にありがとうございます。特に、遺族の方からのご支援、その関係者からの感謝の言葉が多く、嬉しい限りでございます。

今後とも、是非この本の存在を多くの方に知って頂き、あの日について一緒に考えて頂けますようご支援のほど、よろしくお願い致します。

 

御巣鷹忘れな草が上を向き』青山透子

これは、ある大阪在住の読者の方からのはがきに手書きで美しく描いてあった川柳で、ご本人によれば、9月10日に某新聞で掲載された言葉、だそうです。どなたが書かれたのでしょうか。言葉の隅々に温かさを感じます。勿忘草は、春の季語だそうで、今ではないのですが、もしかして、この季節外れの季語を使い、私の本をお読み頂いて書いて下さったのではないだろうか、と勝手に思っています。御巣鷹の尾根に咲いた忘れ去られると思っていた花草が、そっと上を向いた、そういう気持ちでしょうか。

ネット上には、荒々しい未熟な言葉で他人を批判することしかできない寂しい方がいるようですが、この川柳には、そういうことは一切なく、ただひたすらに上を向く日を待っていた情景が目に浮かびます。センスの良い素晴らしい川柳だと思いました。

今、巷では選挙の嵐よりも台風が心配、という日々が続いておりますが、拙著の183ページに書いた通り、政治の良し悪しを見分ける目を持つには、無知であってはならない、ということをお伝えしたいと思います。

よく、短絡的に(近視眼的に)、思想を右とか左と分けていう人がいますが、これほど馬鹿げて単純な基準はありません。そう書く人は己の無知を恥じたほうが良いと思います。最も重要なことはそのような区分けではなく、公務員になったのであれば、後世の為に都合の悪い公文書を捨ててはならない覚悟を持つ、政治家は自己都合でそれを捨てさせない、嘘で国民をだまさない、自分たちも法を犯した場合は、警察に逮捕されることを肝に銘じて政治をする、民衆に嘘を教えて自分の都合良い方向へ扇動しない、ということが重要です。これらは、右左関係なく、人間として当然の義務です。

私たちの側も子供世代に恥じない行動をする、自分の食い口を最優先せず、間違ったこと、誤ったことをした人には厳しい目を持つ、ということです。特に自然環境保全を優先して考えることが、生命を維持する観点から大切であり、いくら少子化対策と言っても、汚れた大地では子は育ちません。これらについても与野党関係ありません。

日本において私たちは、同じような思想や似たような顔の中で生活をしてきて、人種の異なる人との交流も必要最小限で、多民族国家というほどでもない環境で暮らしてきました。そういう生活では、自己分析や自分を常に客観的に見つめるということが苦手な人が多いと思います。事を荒立てることを好まず、何かあったとしても隠すことで平穏であればそちらを優先する意識が強く働くゆえ、集団主義が芽生えてきたのでしょう。政府機関の横暴さや、政治の偽りに多少のことは目をつぶろう、と思ってしまいがちです。しかし、その結果何がもたらされるのか……。黙認により反省せず、必ず過度な隠ぺいが生じ、いずれは自分に火の粉が降りかかる日が来ることを、様々な事を経験してきた人程、強く感じます。それは戦争経験者や原爆の被ばく者であり、原発事故の被害者にも通じる気持ちでしょう。

日本航空の倒産を例にとれば、今の神戸製鋼東芝同様、隠ぺい体質がその会社を滅ぼすことが分かるでしょう。国も同じだと思います。原発事故も、公文書破棄も、連日の自衛隊の事故も、何等かの兆しと言えます。日航の内部が隠ぺい体質でおかしくなっていった時もミスや飛行機事故が多発しました。それは自衛隊員自身が一番危惧していることでしょう。結局付けを回されるのは現場で働く自衛隊員であり、私たちです。

だからこそ、様々な意見を取りいれた政治をしなければいけないのです。今、それが出来ているのでしょうか。現実に出来ていないから、国民の皆さんが問題だと思っていることを一切解明せずに、公文書も出さない、破棄した、という事実があるのです。これでは、またいつか私たちに火の粉が降り注ぐことになりかねません。事実を見つめる勇気をもたなければなりません。

 

私は皇族フライトで皇太子様(当時の浩宮様)のイギリス留学も担当し、大臣クラスの多くの政治家や本田宗一郎氏と藤沢武夫氏のような実業家のフライトなども担当しました。その中で、ファーストクラスで本物のお客様に共通することは、相手が誰であろうとも、とても気さくで話かけやすく、私たちクルーにも気を使わせないでくださる、ということでした。大臣でも、VIPルームを使わずに、一般人と一緒に待合室にいる人もいらっしゃいました。

それとは別に、地位が高く、お金持ちかもしれませんが、『私はファーストの客だぞ、大臣だぞ、サービスが足りない』という自己顕示欲の強い態度の人には、地位の上に胡坐をかいているようで謙虚さがなく、空威張りばかりが目につき、本物のオーラもありませんでした。これは自分では何もせずに、ネット上で前向きな意見ではなく、ただ批判だけしている人にも共通するでしょう。

このようにその人間が本物の資質を持つ人かどうかを見分ける目は、知恵のみならず知識も必要で、様々な経験などからも養われます。その経験から言いますと、今の政治状況はひどく、取り巻きの人間たち(官邸も含め)のお育ちが悪すぎますし(昔風の言い方ですね)、私利私欲を優先して自分にとって都合の良い人の顔色を見て行動し、国民を見ていないのは事実です。森友問題の人事を見ても、加計問題でもそうでしょう。

私たちに課せられたことは、本物の偽りのない人を見抜いて一票を入れる努力をし続けなければならない、ということです。投票率を上げる必要があるのは、どうしても多様な視点から物事を見ることが重要だからであり、いつもの固定化した人たちによる利益誘導型ではいけないのです。

私自身のルーツからいえば、自民党よりも古く正しい保守系で、日本古来からの家系ですが、だからと言って、今の偽りの保守系の人とは一線を画したいと思います。

そして、御巣鷹の尾根の勿忘草がいつも上を向くように、あの日の事実を見つめ、それを謙虚に自戒を込めてきちんと検証してくれる人を選びたいと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

日航123便墜落の真実と真相を求める遺族からの手紙ー「陰謀」と烙印を押す迷惑な人々へ    青山透子

先日、ある遺族の方々から、心を込めて書かれた拙著への感想と感謝の分厚い手紙を受け取りました。私の本への感謝のみならず、32年間の深い悲しみ、ネット上でのほんの数人による愚かな人の言動に対する怒りの言葉がありました。その一部を、皆様にお伝えしたいと思います。

事故犠牲者として、ご自分の2人のお子様(当時中学生の男の子と小学生の女の子)の名前を書かれた方は、32年間の無念さと事故原因究明を胸に、全く動かない事故調や世論と戦ってきた日々だったとのことでした。

「墜落事故の真相と真実を求め続けている遺族にとって、青山氏の本は多くの勇気と希望を与えてくれました。貴重な目撃証言を集めて真摯に事故原因を究明する姿勢を持ち続けておられ、拝読して深く感動しました。その懸命な努力と執念に深く感謝します」

事故時の日航社員として、本当にありがたいお言葉でした。

 

そして、次のような方もいらっしゃいました。

「自分が気に入らない内容だからと言って、すぐ陰謀と烙印をおして、本の価値を下げようとする愚かな人間へ一言言いたい。それは僻みなのか、愉快犯か、こういう愚かな人は、この本を陰謀論として烙印を押し、ご本人の学歴がどうの、経歴がどうのと別の問題を上げ連ね、いかにも本の内容が嘘であるがごとく書く情報を垂れ流し、私たち遺族の心を踏みにじる人がいる。これは、遺族にとって怒り以外の何物でもない。

また、この本を推薦してくれるジャーナリストや有識者への誹謗中傷も私は絶対に許さない。悪質な場合、即、調査をして、誰が書いたか特定する。本当に情けないです。

そういう迷惑な人は、たぶん次元の低い人間か、学歴コンプレックスか、相手を誹謗することで優越感を持ちたいのだろうが、実は自分が自分を貶めていることを気付いたほうが良い。もしかすると、当時の関係者かその後輩たち(省庁など)かもしれない。いくら素性を隠しても無駄である」

 

「私ら遺族への事故原因説明会で、群馬県前橋で当時の検事正から、『事故調査報告書もあいまいだ、ボーイングも修理ミスをしていないと言い、修理者名も特定されず、他の航空機事故との比較においても、状況は異なり、全く123便の事故原因のようにはならない。本当にこの事故原因はわからない』と聞いた私にとって、長年原因を独自に追及してきました。そのような中、目撃証言や新事実を提示した青山透子氏の本でつじつまが合いました。

皆さん、青山氏の参考文献にもありますが、国会図書館に行って、8.12連絡会の群馬県前橋地検による説明会議事録をお読みください。なんだ、これは、こんなに不透明な事件なのだ、とすぐわかります。そして、無責任に陰謀論だからとレッテルを張る人が、いかにくだらない、愚かな人かすぐわかりますよ。

陰謀とは『密かにたくらむ悪い事』という意味だとすると、逆にそれを書いて相手を陥れようとする迷惑な人たちこそ陰謀論者と言えるでしょう」

 

こういう怒りの言葉があることを読者の皆様にしっかりとお伝えておきます。

最後に長年交流を深めているある大学の元学長からの手紙です。

「すでに9万部突破との記事で、日本国も捨てたもんじゃないと思いました。子供たちの目撃証言が良識ある大人たちの心を揺さぶったのです。貴女の炯眼に脱帽です」

大学のあるべき姿とは何か。哲学的社会観をしっかりと持ち、金もうけではなく、本来の学問を通じて、何を伝える場であるか。それをいつも語っておられた元学長の言葉に感慨無量でした。

私も実は無名のノンフィクション作家ということで、どこまで皆様に読んで頂けれるのか、不安でした。本当に皆様の良心に感謝申し上げます。

 

私はこういう言葉を励みに、さらに努力をしていきたいと思います。

また余談ですが、笑ってしまうようなことで相手を陥れようとする魂胆がある人がいると初めて知りました。念のため、経歴、受賞歴、学歴は全て出版社に学位記、賞状等を提示し、写真もお見せして全て確認済みです。どこかの誰かとは違います。どうしても確認をしたいのであれば、作家の個人情報保護のため、顧問弁護士によって証明させて頂きます。申し込みの際は、先にご自身の経歴、その背景を明らかにしていただき、確認後は、全てその無責任な言葉を書いたページに、謝罪文を載せて頂くことを条件にします。

いずれにしても、遺族の心を踏みにじり、亡くなった方への想いをないがしろにすることは、天空の星たちが許しません。

あの日の事実を追及することは、故意過失を問わず、平時の日本において、何がなされたかを明らかにして、罪人をのさばらせないことに繋がります。

さらに無責任な書き込みによって傷つく遺族が一人でもいる以上、それを指摘し、事実を捻じ曲げた人がいる以上、その人間の罪の重さを自覚させていかなければならないのです。たとえ、今後、この問題を封印させようとしても、その人間が犯した罪は一生消えません。永遠に消え去ることはないと肝に銘じてほしいと思います。

そして、二度とあのような悲劇が起きないようにするには、どうしたら良いか、私たちはいつまでも考え続けていかなければならないと思います。

 

 

マスコミュニケーションに携わる人たちの心根はどうあるべきか  青山透子

今回は、マスコミ関連の人達の心根の問題について語りたいと思います。

 

まず、おかげ様で、新刊本は只今16刷中で、更に予約が殺到している状況です。これは私が皆様に投げかけた言葉の一つ一つに、世相を反映させながら、当時を知る人たちの怒り、その後生まれた世代による事実に対する驚き、そして亡くなった人を想う人々がいかに多いか、ということの現れだと思っています。

当時、日航の社員バッチを外し、言動にくれぐれも注意するよう会社から勧告された記憶があります。それは、日本人のみならず外国の方も含め、亡くなった乗客一人の人生で関わってきた人々は多数おり、日本国の人口の約四分の一は、学校関係、職場関係、地域関係、医療関係等、何等かの形であの事故に関わる人々であるから、気を付けるようにとのことでした。乗客には会社の重役や社長など出張の方も多く、オーナー企業では社長が亡くなり、会社が立ち行かなくなったところもあると聞きました。

こういう一般人にとっては、真実を明らかにすることが供養である、事故原因の不透明な部分は検証し直す、と当たり前に思えますし、それらの気持ちを汲み取り、細やかに調査して報道するのがマスコミュニケーションに携わる人の使命であり、プロとして当然だと思います。

しかしながら、報道関係者の中で、特にデスクや偉い地位にある人のほうが、見えない何かへの恐れか、自分の損得か、歪んだ忖度かはわかりませんが、報道の精神を忘却の彼方に置き去り、保身が先に立ってしまう、という情けない事態となっているような感じをうけます。

事実、ついこの間もマスコミ関連で前代未聞の出来事があり、私の本の紹介の際、デスクに上がった途端、上司によって、編集者がOKを出した紹介文を改変させられるということがありました。なお、これは批判しているのではありませんので誤解しないようにお願いします。私が言いたいことは、そのデスクの心根とは何なのか、という点に今の日本が抱えるマスコミの深い問題があると思います。

もしかすると、ごく普通の人々が当たり前に言えることすら、批判を恐れて言えないという勝手な自主規制があるのではないでしょうか。

番組制作や記事の編集者は下請けゆえ、本社の人間が責任だけ押し付けられたくない、とか、昔なら当然であったことがいちいち不安になって、何も出来ない上司が増えている、とか、諸々あると思います。

私のところに話をしに来た人たちや遺族の方々は、そういうマスコミに絶望していらしたのです。それを肝に銘じてほしいと心から願います。

この事件に関する毎年の報道といえば、恒例行事のような灯篭流しの映像、風化させないという内容です。また、既存の事故調査報告書は、裁判をしたとしても単なる一方の報告書に過ぎないにもかかわらず、まるでお上からのお達しのごとく、絶対視して、疑いもせず、検証もしない……。

この程度の人達であれば、いわゆる政治屋も官僚も舐めてくるでしょう。逆に彼らと癒着するほうが得と言えますね。

実際にあの日、墜落現場の上野村では必死に遺体収容を行い、医師たちは寝ずに検死を行いました。その時、隣町の軽井沢にて、官邸付きの報道関係者に囲まれて、お食事会やらゴルフ(多少は自粛したそうですが)、別荘ライフを楽しんだ中曽根氏ですが、彼を囲んでいた報道関係者の心根は、一体何だったのでしょうか。この人たちは今、520名の失われた命に対して、どういう思いで生きているのでしょうか。果たすべき役割を忘れていたのではないでしょうか。

報道関係者にとって、無難な内容であたりさわりのない番組や記事は、簡単です。批判されることもありません。しかし、それに何の価値があるのでしょうか。

 

最後にその昔、仕事上でお会いした報道機関のトップから聞いた話を書いておきます。

「その昔は、みな正社員だったこともあるが、責任者はドンと構えて、自分の軸を持ち、たとえ部下が驚きのスクープや批判覚悟の凄い企画を持ってきても、自分自身は決して動揺せず、ある時は会議で寝たふり(部下が話やすく、稟議が通りやすいように)して、部下が渾身の力をこめた作品を世に送り出すともいえる番組を作る気概があった。だけど、今は残念ながら、寝たふりする上司も、ドンとやれという人も減り、つまらない、どうでもいい報道が垂れ流されている、マスコミ全体が政府等の下請け状態か?視聴率低下や雑誌、書籍、新聞などの販売数下落はその業界人の自業自得の結果といえよう」

私たちの心根はどうあるべきか、皆さんと共に、考えていきたいと思います。