「日航123便墜落―遺物は真相を語る・天空の星たちへ」公式ブログ

1985年に起きた日航123便墜落事故を、当時日本航空スチュワーデスとして勤務していた著者・青山透子が、事故の真相を追い求めて綴ったノンフィクション

本屋大賞ノンフィクション部門ノミネート 有難うございました

全国の書店の皆様に感謝を込めて

本屋大賞ノンフィクション部門にノミネートされて、そろそろ結果が出ることと思います。33年も前の事件性を問う作品に対して、ましてや当時の政府や事実を隠し続けている自衛隊の在り方を問うようなものですので、ダメでもともとでしたが、思いもかけずノミネートされただけでも大変有難く思っております。

いかなる結果となろうとも、私の本を推薦して下さった皆様、投票して下さった皆さまに本当に心から感謝申し上げます。有難うございました。

膨大な数のノンフィクションの中から10作品に選んで頂いただけでも大変嬉しく思います。

この本を通じてもっと多くの方々に本当に考えて頂きたいことは、今、この世相の有り様、他人を貶めることを平気で語る人たちがむしろ政府側にいること、異常に膨大し続ける防衛費の在り方です。平和はまず外交努力を先にすべきであり、逆に政治家が率先して北朝鮮の脅威を強調してあおり、言い値で次々買い続ける軍事関連備品や武器は

民意に反して他を圧迫するほど増え続けています。

1985年の事件発生時、ソ連(現ロシア)を脅威として、次々防衛費を増やしていき、枠をはずしていった中曽根康弘総理と現代はそっくりです。

もっと安倍晋三首相がすべきことは、この事件時に外務大臣だった安倍晋太郎氏、実父の早すぎた死を考えながら、まず改憲を問う前にすべきことは何かという冷静な自問自答です。それは自分自身の問題としても不可欠です。この日航機事件について、公にすべくことを伝えなければ、そして隠ぺい者の言いなりでは、単なる操り人形となってしまいます。

本物の信念があるのであれば、焦って憲法改正して自衛隊明記をするのではなく、1985年何が起きたのかを検証する必要があるのは当然です。

拙著を通じて真実を伝えるべく、首相公邸にてご遺族と群馬県警察医が、資料を持参して事件性を話をしたあの時、あの日の内容をもう一度振り返り、今こそ安倍夫妻に真摯に考えて頂きたいと思っています。

そのような日々を思い出しながら、ノミネート作品に選ばれたことだけでも感無量です。全国の書店の皆様に心から感謝致します。

 

news.yahoo.co.jp

 

JAL運行乗務員の大量飲酒逮捕におけるプロ意識のなさ  青山透子

日本航空公式HPより

***2018年10月28日(現地時間)、JL44便(ロンドン・ヒースロー国際空港発、東京国際空港行)に乗務予定だった副操縦士から検出されたアルコール値が、英国の法規に定められた規準を超える疑いが生じ、当該副操縦士は現地の警察当局により拘束されました。
拘束後、あらためて検査が行われ、本日、日本時間の11月1日 午前5時過ぎに現地警察当局より通知があり、検査の結果は英国の法規に違反するものであり、現地警察当局は当該運航乗務員を起訴したことが判明しました。***

この副操縦士は、ワイン1.5リットル以上、ピールを1.8リットル以上飲んでいたにもかかわらず、社内飲酒測定にひっからず、送迎する現地バス運転手に酒臭さを指摘されて逮捕、というおそまつさであったそうだ。社内検査のいい加減さもさることながら、私の最大の疑問は、出発前のブリーフィングや顔合わせ、地上職(運航管理者)との飛行ルート打ち合わせ等、出発前に顔を突き合わせて仕事をする人たちによるチェックが全く機能しなかったのか?、それとも気づいても知らんぷりなのか?という点である。旅客機まで移動するバス内で運転手が気が付くほどのアルコール臭であれば、同じバスに乗る人達も当然に気づく。通報されて逮捕されるまで、なぜ仕事仲間たちは、彼をほったらかしだったのか、最大の疑問である。さらにこれほどのアルコールを飲酒しているとすれば、常習犯の可能性もあり、この会社の体質や、プロとしてあるまじき姿を浮き彫りにしたと思われる。

同様に、全日空でも11月25日に沖縄那覇空港、石垣など5便に遅れが出た原因が、やはり機長の前日飲酒による体調不良であったと、31日に発表がなされたが、ずいぶんと日にちが経ってから発表することに違和感を感じた。

もしかすれば、こういう発表は印象が悪くなるので、発表をしたくない、という意識が働き、両社の隠ぺい体質が浮き彫りとなったのではないだろうか。

乗務開始の12時間前は飲酒禁止が社内規定にある。大昔はなかったそうだが、近年は禁止であり、この全日空の機長も4つの飲食店で飲み続けてしまった、と語っている。

いずれも、社内規定を認識しているにもかかわらずだ。

こうやって、いい加減さや態度もルーズになっていくその先にあるのは、安全運航への意識の低さである。

 

29日にはインドネシアのライオン・エアーJT610便がジャカルタ沖に墜落して189人が亡くなった。真新しい飛行機で事故歴もないようだが、ようやくブラックボックスが回収されてこれから事故原因が解明されていくだろう。

当然のことながら、事故原因はブラックボックスのフライトレコーダーやボイスレコーダーを読み取り(これが2週間ほど)、解析分析(これが2か月ほど)を行ってから決まる。なのに、1985年の日航123便墜落の時は、まだ何も分析していない4日後の8月16日に、毎日新聞夕刊にてスクープ記事として、圧力隔壁破壊原因説が出た。

誰が、何の目的でこの事故原因を唐突に出したのか、そしてそれを出させたのか、当時は事故調の委員長でさえ当惑し、その後委員長は辞めた。このいきさつは異常であった。

この、いい加減なスクープ記事を書いたマスコミの人間、それになびいていった人達もプロではない。

どの分野においても、人の命を預かる仕事をしている人間は、プロとしての自覚を失ったときから崩壊が始まる。組織もそうだ。

JALANAもプロ意識に欠けたパイロットが次々と出てくる事自体が問題だと感じる。そしてそれを許す環境にあることが大変遺憾である。

そのうち、眠気を飛ばすからと、以前問題となった深夜バスの運転手同様に大麻を吸いながら操縦するパイロットも出てくるのではないだろうか。

その裏に何があるのか、しっかりと検証していかければ安全など保てない。

安易に悪しきに流れていく人間たちに、逃げ道を作ってはいけないのである。

自意識を高く持つプロを育てていくことも未来にとって大切な仕事だ。

英国におけるパイロットの今回の逮捕を重く受け止めなければならない。

 

 

22年目の歴史的講演 早稲田大学にて 青山透子

皆さん、22年前は何を考えて何をしていたのでしょうか?

もちろん、まだ生まれてくる前の人は無理ですが、幼子時代、学生、社会人、留学、新婚時代、子育て、バリバリ仕事三昧等々・・いろいろな場面を思い浮かべながら、その頃の自分と向き合って、ちょっと思い出してみてください。

人生において、本当に良き出会いからは、思いもかけないことが生まれるものだと実感しています。

私は22年前、水島朝穂氏の講演「新たな核時代における日本国憲法ヒロシマ、オキナワ、ベルリン、そしてチェルノブイリの現場から(渋谷にある司法試験伊藤塾オープニング初講演)」を最前列の席で受講しました。その講演の中で水島先生が何気なく日航機墜落の話をされたのです。偶然にも日航123便の話が出てきたのでビックリ仰天したのを思い出します。そして講演終了後に「私の先輩方があの日航123便の墜落で亡くなりました」と言いに行きました。その後、いろいろな疑問を書いた詳細な手紙のやり取りや、先生が推薦して下さった本を次々と読んだのが全ての始まりでした。

あれから22年間、様々な場面で水島先生に教えて頂き、議論出来たことが、今の本を書くきかっけとなったと思っています。様々な出会いが化学反応を起こして新たなものを創り上げるのかもしれません。

その頃の私は既に客室乗務員を退職しており、各企業の新入社員研修や人材教育、航空業界関連の授業、博覧会接遇教育に携わりながら、ちょうど家族の関係で米国と行き来していた時代です。時間的余裕が出てきたこともあり、もう一度学生に戻り、学問をしたいと思っていました。さらに、かねてから気になっていた日航123便について学び始めていた頃だったのです。

出会いというものは、本当に不思議なタイミングがあるものです。こうして私は、3冊の本を執筆するに至りました。

そして先日、早稲田大学の水島教授のゼミにて講演を行ったのです。まさか22年後に水島先生のところで私が講演を行うとは夢にも思いませんでした。さらに1985年には、まだ生まれてくる気配すらなかった学生の皆さんの前で私の3冊の本をもとにして話をするまで、受講者の学生たちの年齢位、22年間かかったということ、これも事実。

歴史的ともいえる瞬間に感無量でした。

単なる私のような一市民であっても、一つの信念をもって学問的追究をすることで、何かが見えてくること、真実の解明が可能であることを、これから社会に出る学生の皆さんにわかってほしいと思いながら話しをすることが出来たのは本当に嬉しい限りです。

事前に拙著を読んで下さっていたようですが、詳細なデータや写真をお見せするうちに、皆さん一人ひとりの顔つきが変わり、より一層真剣に聴いてくれていることが伝わってきました。

こういった大学での講演会は教授会の承認を得て私の経歴、職歴、学歴を提示し、東大法学部、慶応医学部、東京外大、立教大大学院などで、日米安全保障問題や社会哲学、大災害現場の安全神話などをテーマにする教授や医師たちからの依頼で行っています。

学術使用の許可を頂いた未公開資料を提示して、事実のみを丁寧にわかりやすく説明しながら自ら考えてもらう、また、当時の薄茶色になったかび臭い新聞記事も多数持参してリアリティをもってもらうことを心掛けています。さらに524名全員の座席表を回覧して見てもらい、これだけ多くの人達の命が一瞬で消えてしまった事実と向き合いながら、曖昧な事故調査報告書から見えてくる様々な疑問や、未来への記録としての公文書の有り様、現在及び未来の国民への正確な記録を担保する必要性、民主主義の知る権利として正しい判断をする為の正確な公文書でならなければならないといった話をしています。

 

過去を直視して目を背けず、それぞれの場において迎合ではなく協調性をもった独立した精神で生き抜くこと、過ちの多いこの世の中でそれを心がけて生きていくことが不可欠であり、それが良い未来を創る基礎となると思っています。少しでもそれが伝われば本望です。

それにしても、22年間の数々の出来事を振り返りながら、本当に嬉しいひと時でした。

 

 そして拙著を通じて沢山のお手紙を有難うございます。

皆さまのお心のこもった手紙の向こう側に皆さまの人生も見えてきます。

あの事件に関係したそれぞれのドラマがあり、忘れられない瞬間や長い年月の想い出があるのだなあとつくづく思いながら読んでおります。そしてお手紙を下さる方々の意識の高さと読解力の高さ、また、社会において誠実に仕事をなさっていらっしゃる人達が読者に多いという事実。その方々が私の本をしっかりと読み、理解して下さっているということに、逆に私のほうが励まされております。

本を通じた良い出会いに心から感謝いたします。

 

海外からの手紙 青山透子

今や本は世界中を飛び回り、何時でもどこでも読めて、自宅にあっという間に届く時代である。その昔、海外の書店にしかない書籍を頼まれて買ってきたり、ヨーロッパの車の雑誌をお土産に買ってきたりした頃を思い出すと格段の差を感じる。書籍の関税は無税であり(おそらく今もそうだろう)、国境を越えた知的財産である。

海外在住で日航123便に関心のある人からのファンレターや海外の研究者とも交流があるが、先日、日本人で米国に長年お住まいの翻訳者の方からお手紙を頂戴した。

その方は、昨年出版した拙著の横田基地米軍へのインタビューのページを拡大(おそらく)して、米国人の友人にも見せて、私がこだわった「BY」について(日航123便墜落の新事実-目撃証言から真相に迫る・p134)実に多角的な分析をして下さった。

詳細は省かせて頂くが「この米軍へのインタビュー内容から分析すると、国家間で日本側からの救助要請というより、日航123便の機長から直接緊急着陸の要請があった、と十分考えられる」とのことだった。ということは、高浜機長が横田に緊急コールをして、着陸したいと要請したとなる。そうすると、町田市や横田基地周辺の人達の目撃証言であるアプローチしてくるジャンボジェットが見えた、ということと辻褄があう。

大変有難く、嬉しいお手紙であった。

 

さて、私への失礼な振る舞いと非常識なストーカー記者がいた新潮社だが、案の定、今話題となっている「新潮45」のLGBT特集記事で他の出版社や有識者たちから相当バッシングを受けている。社内でもその内容を否定している編集者がいるそうだ。新聞には「ヘイト本の新潮社」と大きな看板に書き込んである写真が掲載された。それはいたずら書きというより、本当の看板同様にきれいに書いてあるのでびっくりした。社長も自ら掲載内容について釈明に追われていたが、言論の自由を主張とか、LGBTを利用するのが左だとか右だとかはともかくも、それとは別に単なる無知の発言と言論の自由を一緒にしてはいけない。やはり卑怯な取材でおかしいと思ったことは当たり、おかしい会社となっていた、ということが明確にわかった。

つまり、常識を持ってきちんと調査し、客観的事実(医学的事実)を伴ったものを示す事が当たり前であり、単に好き、嫌いをベースにして大した知識もなく、無知がコメントしてはいけないのである。

たとえ、個人的嗜好に合わない人がいてもそれは別の問題であって、ましてや第一政党の自民党国会議員が率先してヘイト、いわゆる偏見に満ちた発言をしてはいけない。国の品格に関わる問題である。国会議員の彼女はなぜあのような発言をしたのかも大問題だが、なぜ客観的におかしいことを擁護する人がいるのか。個人的に利益を得る団体からの寄付金やら、これを言えばあの役職につける、というような目先の利益がチラついて発言した、とすればその記事を特集した新潮社も落ちたものである。

ましてや権力側にすり寄った発言をすることで利益を得る人間が、自分の食い口を優先して、客観的事実を見ずに(歪めて)書いてはいけないのだ。例えばLGBTなら、これは医学的な見解をもとにして冷静に未来社会の有り様を見つめていく必要性がある

昔はなかったとか、昔はこうだった、ではなく、今だからこそ見えてきた、今だからこそ解明出来ることを考える事が重要だ。更にうっぷんを晴らすための発言であったり、フェイスブックヘイトスピーチを繰り返しているのが永田町やら霞が関であったら、それも職務中だったら、それだけで終わりである。

以前、ある読者が「青山さんの本を読みもせずに批判しているフェイスブックがある」と教えてくれた。その情報を知ったフリーライターが知人の◎◎◎◎省の人と会った次の日、瞬く間に自称ベルギー人のフェイスブックが消えた事件があった。他のマスコミ、報道関係者にも有識者にもそのことは伝わった。皆さんの中で記憶にある人がいるのではないだろうか。両手で頬を抑えて目をむいた写真で自称ベルギー人である。この人たち(複数らしい)が書くヘイトもすごかった。写真上は一応女、である。

新潮社記事事件もそうだが、未熟な乏しい知識の人達にとやかくいう資格はない。

例えば、私の場合、勝手に拙著をミサイル説と決めつけ、撃墜はありえない、そんな機能はこのミサイルにはない、というお門違いなコメントを掲載する新潮社から依頼された軍事評論関係者や、歩兵の勇み足で勝手に名乗り、きちんと読んで検証することもせずにフェイクニュースだとフェイスブックで触れ回り(これだけでも十分私への名誉棄損は成立する)、客観的に物事を見る事が出来ない教授もいる。ご自身の古巣をかばうのではなく、しっかりと現実を見つめたらいかがか。

日航チーフパーサーH氏は、拙著をパラりとめくったぐらいでいい加減で失礼なコメントを堂々とされていたそうだが、ご遺族から「日本語をきちんと理解していらっしゃるのかどうか疑問なくらい、書いていないことを都合勝手に理解したようなコメント」とお電話を頂戴した。そして、「H氏は私たち遺族にも会ったことがないくせに、この本は遺族にとって迷惑だと、勝手に言うな」と強くおっしゃっていた。逆に私はそのご遺族からなぐさめられたのである。このH元日航チーフも、もっと自分の書いたものに責任を持つことを知る必要があり、高校からもう一度勉強したほうが良いと思われる。社会人として長く生きていればよいというわけではなく、こういう人たちは自ら読解力がないと世間にばれていることがわかっておられるのだろうか。それにしても、なぜこういう行動を慌ててとり、こういう言動をするのだろうか。

何か大きな勘違いをしているのではないだろうか。

古巣の職場を守りたい一心とも思えない。むしろ古巣の職場では私の本を幹部一同読んでくれているそうだ。それに対してどう思うかとあるご遺族が聴いたところ「無言」のノーコメントだったそうである。この無言は、その内容が正しいと認めたことになる。

それに対して元日航パイロットの本などについて聞いたら「あれは読まないでくれ」と答えた。どういう意味なのか、読者の皆さんのご想像におまかせする。

それにしても仕掛けてくるほうも、最初は元日航パイロット、次は元日航チーフパーサーを出してくるとは。もしかして、私がまだ33年前の新米客室乗務員のままだと勘違いして、その上司をもってくればよい、とでも思っているのだろうか。実に愚かで子供じみた手法であり、時が止まったままの思考回路としか言いようがない。弁護士の方々やご遺族、大学関係者など周りの人達と大笑いした。

 一体、どこを向いて仕事をしているのか。とても情けなくなる。まさか国家の為などと思っているわけではあるまい。

少なくとも国民の為ではなく、組織としての隠蔽のためだろうと容易に想像出来る。それは自分の出世の為に働いている人達や、次の仕事がほしい人達なのだろう。そうではないと胸を張って言い切れるのかどうか聞いてみたい。

なお後日、自称ベルギー人のうちの一人は別件で取引して「ボンジョルノ」の国へ出世していったと聞いた。こういったことが日常茶飯事であることが、文部科学省の事務方トップがまた相次いで辞任したことからもわかる。

 

今後私たちがすべきことは一般人の感覚をもって、市井の人達の力でこういった問題を解決し、一歩ずつこの日航123事件を解明していかければならないということだ。

 

最後に、今回の自民党総裁選挙について少し書く。

石破氏も選挙ではかなり奮闘して票を伸ばした。同じ政党でもアウエーでの試合の様だったと思われる。こういう異論を唱える存在はどの政党でも一般の会社でも大変重要である。イエスマンばかりの会社はいつかは滅び、国は独裁者を生むのは歴史上の常識である。その点、たった一人奮闘し、それに投票した方々はご自身たちの矜持を貫いたと思う。大変見習うべきものがあった。そういう人にはもっと活躍してほしいと願う。

かたや、投票前にご馳走したカツカレーを食べておきながら、安倍に投票しなかったのは誰だ、とかなんとか言って、安倍陣営の陰湿さが浮き彫りとなったとの記事もあった。オリンピックも誘致したのだから、もっとスポーツマンシップ(最近死語に近いが)にのっとって、正々堂々としたらどうか。

超高額なイージス・アショアを買わせられることよりも、先に日航123便をきっちり解明して、戦後の日本の有り様をしっかりと考える事が重要だ。経済問題も含め、あらゆることが歪んだ始まりは1985年なのだから、それを見つめる政治家がいてほしい。憲法改正よりもこの日航機事件の解明を優先すべきだと思う。

 

追記だが、新潮社の新潮45が休刊することになったと今朝の新聞に出ていた。当然の結末だろう。ただ、なぜこのような企画をして、誰が指示したのか、はっきりさせなければならない。そうしないと、いつまでも同じ失敗を繰り返すことになる。

LGBTのみならず、拙著に対して「元CAのぼろ儲け本」という下品なタイトルをつけて、悪貨は良貨を‥と書いた責任は重い。どちらが悪貨か、今回の騒動で露見した。悪貨の記事を垂れ流し、それに追従してコメントする人たちのような悪がはびこると、善は滅びかねない。だからこそ私たちの不断の努力が必要なのである。

なお余談だが、昔から知っている大手メディアの方からも週刊新潮の記事「ぼろもうけのトンデモ本」に対して次のようなコメントを頂戴した。

「これは悪意に満ちた記事だね。元チーフパーサーという秀島一生という航空評論家は、貴女の本の事実の積み重ねを陰謀と呼び、根拠を示せと言いながら、数ある根拠を見ない、愚かな人だね」と語っておられた。「さらに『事故原因の究明を求める声が、このような陰謀論と一緒くたにされてしまいかねず、困ります』という詭弁は、この記事を依頼した人と同レベルで、販売低迷の新潮社と同じだ。所詮売れていることへの妬みだから気にしなさんな。印税いくらとかすぐにお金に話をもっていく人こそが、卑しい人間で、お金にこすい人だから」と慰めて下さった。

御巣鷹の尾根に何度も行ったことのある人ならば、けして言わない言葉を、元日航パイロットの杉江氏や元日航チーフの秀島氏が語るとすれば、彼らは一度も墜落現場に行ったことがないのだろう。520人の墓標に手を合わせたことのない人間は、特にお金で雇われた御用軍事評論家は仕方がないとしても、元日航の社員が語る資格も価値もない。

 

今回のことで、より一層、事故原因を追及するご遺族と、心から応援して下さりお手紙書いて下さる皆さんと共に、悪を退治しなければならないとつくづく思った次第である。

本というつながりから生まれた善意ある方々に心から感謝申し上げる。

 

 

 

 

 

 

公文書という未来への記録を大切にしなければならない理由 青山透子

33年前、運輸省事故調査委員会が書いた公文書は、私たちの信頼に値するものではない。その理由は、拙著に書いた通りである。

公文書管理法1条には「健全な民主主義の根幹を支える国民共有の知的資源」が公文書であり、主権者である国民が主体的に利用し得るものと定義されている。それは国(地方自治体も含む)及び独立行政法人の諸活動を現在及び将来の国民に説明する責務が全うされることを主眼としている。つまり未来への責任のために作成されるものだ、ということだ。

未来への無責任内閣ともいえる安倍内閣の振る舞いを見るに、残念を通り越して呆れてしまうのは私だけではないはずだ。何時から首相夫人が都合の悪い時だけ私人と呼ぶことになったのか、自分のお友達優遇の国土無償提供は誰の指示か一目瞭然であるにもかかわらず、なぜうやむやになるのか。公文書改ざんが当たり前ではなく、異常な状況であることをもっと厳しく見つめなければ歪んだ未来になりかねない。

 

私の曾祖父が慶応義塾の塾員でその昔、福澤諭吉先生の元で学び、塾に残って英語講師をしていたことは第一作のあとがきに書いた。その時福澤研究センターから入社台帳を届けて頂き、その名前を見たとき、非常に感慨深いものがあった。

もっとさかのぼれば、伊達家重臣の時、家の蔵にローマ法王から送られた書簡がないかと博物館調査員が訪ねてきたこともあった。

これは自慢ではなく、日本という国をどこまでさかのぼってきちんと考えなければならないか、未来への責任はどういう風にあるべきかを自問自答しているのである。長い歴史の中で、たまたま今を生きている私たちにとって、歴史的文脈の流れをおろそかにするような政治屋や無責任な一部の公務員よって公文書をないがしろにさせてはならないのである。

 

改ざんをしても平気な人たちや嘘つきに未来への覚悟などない。覚悟のない人ほど、相手に対して覚悟があるか、と叫ぶのである。

その昔、宮澤喜一氏や加藤紘一氏がご存命の頃、麻生氏にもお会いしたが、あの頃はまだ顔はまともで、口が歪んで曲がってはいなかった。恫喝をしすぎて口が曲がったのか。

私が花博の仕事をしていた大阪で、安倍氏が夫婦で同僚の家に遊びに来ていた時、安倍氏はお父上の秘書だった。その後、野党時代の安倍夫妻にもお会いしたが、あの頃はまだ素直で素性が良い表情をしていた。

ところが、今はどうか。年齢を重ねてきた思慮深い表情とは到底思えない、

まるで詐欺師のようにペラペラと薄い言葉を連ねて、よくしゃべるがそこに深い意味などない。秋葉原にて、ニタニタと、まるですべてを忘れるための秘薬でも服用しているかのような二人の顔がテレビに写し出されていたが、それを見てより一層、がっかりした。かつて一緒に撮った写真と見比べてみても、当時の面影もないその表情には、あまりにも怪しげな雰囲気が漂っている。

その一方、慶応つながりでもあり、言動に知性を感じる石破氏は、だんだんと良い表情になってきた。しっかりと言葉を大切にしながら話す内容には、鋭い観察眼と深い洞察力がある。

私は、もういい加減に、軽い神輿からどっしりとした重みのある神輿に担ぎ変えをして、新しい風を吹かせる時期に来ていると思っている。そうしないと、未来への責任があまりにも保てないからである。

 

 

 

「沈黙の春」から「苦海浄土」という記録本に学ぶ 青山透子

私がなぜ日航123便事件を取り上げたかの直接的理由は3冊を熟読してもらえばすぐわかるが、世の中には邪推による勝手な理由づけで私を貶めようとする悪意を持つ人がいるのは事実である。そこで、そういう人間にもぜひ読んでほしいと思う本を紹介する。

事実を知って素直におかしい、と思った時、書く勇気と意義について、私に深く考える機会を与えてくれた本である。

まず、私は1990年の花博(大阪)、2005年の愛・地球博(名古屋)に政府系の仕事で関わったが、いずれの博覧会もテーマは自然と環境であった。その時、昔読んだ「沈黙の春レイチェル・カーソン著)」を思い出した。海洋生物学者の著者が、ある日何気なく通勤途中に湖を見たところ、大量の魚の死骸が浮かんでいることに驚いた。調べてみると、なんと、その周辺では鳥たちも魚も虫も死に、農夫も健康を害していることに気づいた。そこで原因を探り、過剰な殺虫剤による公害汚染という大きな問題を突き止め、それを告発する決心をして調査した結果を本にしたのである。

発表当初、ものすごい個人攻撃にあい、「ヒステリー女、オールドミスのくせに未来を語るな」などという今では驚くほどのセクハラ、パワハラを超えた非難を受けた。これは主として権力者(政治や殺虫剤メーカーの巨大産業側)による嫌がらせであった。それでも彼女はひるまずに訴え続けた。それが、「毎年、春になり鳥の声がしない世界に住みたくはない」という信念であり、「沈黙の春」という本のタイトルとなっている。偶々友人を介してその時のケネディ大統領夫人ジャクリーンケネディ氏の目に留まり、実態を真摯に受け止めたジャクリーンが大統領を説得し、多額の献金を受けている巨大産業協会の圧力をものともせず、公害問題を取り上げて検討することになったきっかけとなったのである。この時、殺虫剤メーカ―の企業に多額のお金で依頼された御用学者は必死に彼女の調査のあら捜しをして、批判を続けた。しかし、市民たちはその様子に「おかしいものはおかしい」と味方をしたのである。

こういうジャクリーンのような存在、そしてそれを真摯に受け止めるような政治家が、今の日本にいるのだろうか。残念ながら33年間いなかった、ということになる。そしてジャクリーンのような賢い妻もいないことに、私は失望している。知ってしらぬふりをする人間が、あまりに多すぎる。今の首相夫人はいかがなものか。大変残念なふるまいだ。かすかな期待は泡と消えてしまった。

さらに、自民党内の有り様はいったいどうしたものか。石破氏を支持すると安倍陣営に恫喝されて、アンタの将来はない、と言われた、といった記事が出ていたが、内輪でさえそのような振る舞いをする政治集団に、未来を託せるとは到底思えない。

そういう日本の悲劇は、水俣病などの公害問題への対応や福島原発にも通じる。

私が尊敬する石牟礼道子氏は普通の主婦感覚として、やはりおかしいことはおかしいと水俣病の実態を訴えた本「苦海浄土」を出版した。裁判記録や証言記録を丁寧に書いたこの分厚い本は、石牟礼氏の患者への温かいまなざしと、原因がチッソ株式会社の排水という事実を知りながら野放しにしたことで公害がさらに広がった国家の犯罪への怒りが交差している。御用学者は「腐った魚を食べたからだ」と現地調査もせずに国に報告している。なお、宇井純氏がペンネームで告発本を出しているが、この宇井先生も大変尊敬に値する方である。

いずれも、疑問を持って調査をしてその結果を書くというスタンスは、私との共通点が非常に多く、何度か読み返すバイブルのような存在である。

これらの中で重要な役割を果たすのは市民の力だ。通常の感覚をもつ普通の人たちが声を受け止めて自分の事として考えることで、未来は良い方向にいくが、それを失った時、あらぬ方向に向かってしまうのである。結局、自分たちにその火の粉は降りかかる。

今の日本で求められることは、一人ひとりの誠実な役割である。そのきっかけに拙著がなればこんなうれしいことはない。

下記、レイチェル・カーソン日本協会HP

レイチェル・カーソン日本協会

宇井純先生から学ぶシンポジウム記録

http://www.einap.org/jec/jec_old/sono/ui-manabu-full.pdf

石牟礼道子氏(熊本県教育委員会

http://kyouiku.higo.ed.jp/page2022/002/005/page2332.html

記録されない事実を掘り起こして書く意義   青山透子

まだ夏は終わらず、もったりと湿った空気の中、ふらりと立ち寄った図書館にて、立花隆氏が書かれた古い本を見つけた。立花氏とは、私が先生の講義を受講した頃からの知り合いであり、日航123便についてゼミでも話をして、私の本も読んで頂いている。

先生のお母様がお亡くなりになった時も知り合いの編集者や学友と共に参列したが、関係者のみのお別れ会で小雨にもかかわらず、各出版社社長など多くの人達が故人を偲んでいらしていた。あの時は美味しいお茶とお菓子をいただきながら、御母堂様の愛読書「幸福論(アラン著)」も形見分けに頂戴した。そういえば新潮社の社長や重役の方もいらしていたが、今私にあの失礼で卑怯な取材をもちかけてきた記者の話を聞いたら何と思われるだろうか。もっと失礼なのはその陰に隠れている人かもしれない。

さて、図書館で偶然目に入ったその本「エーゲ・永遠回帰の海(書籍情報社)」は、立花氏が写真家須田慎太郎氏と、1982年にギリシャを中心としたエーゲ海沿岸を40日かけて取材旅行をした際に書き記したものと美しい写真によるものであった。当時の立花先生は田中角栄研究の本を執筆中であったが、裁判の合間に息抜きで紀行文を書いたとのことだ。私も今、日航123便事件の本を3冊、世の中に送り出してほっとしていた時であり、エーゲ海ブルーの表紙がすっと目に入ってきたのである。その中に下記の文章があった。

「記録された歴史などというものは、記録されなかった現実の総体にくらべたら、宇宙の総体と比較した針先ほどに微小なものだろう。宇宙の大部分が虚無の中に呑み込まれてあるように、歴史の大部分もまた虚無の中に呑み込まれている(p46)」

そうなのだ。そういう記録されていなかった事実を掘り起こして、本として書き記して残しておくことが重要であり、本にはそういう価値が含まれている。今ようやく、それを実感することができた気がする。

 

そして、もう一冊の本が目に入り込んできた。「服従の心理 アイヒマン実験(S・ミルグラム著)」である。

はしがきにある次の言葉は人間の心理を端的に表している。

「盗み、殺し、暴行を心の底から忌み嫌っている人でも、権威から命令されると、これらの行為をわりあい気軽にやってしまう。自分の意思でふるまっているときなら考えられもしない行動が、命令された時にはためらいもなく実行される。(p9)」

これは、今の隠ぺい体質と言われている組織に十分当てはまる。軍隊は特にそうだろう。官僚たちも、政治の世界もそうだろう。外部から閉じた世界であればあるほど当てはまる。自分事であればためらうことも、組織の中で、自分より上の権威ある人からの命令であれば、規範意識すらなくしてしまい、責任も感じず、行動してしまう。これが社会を腐らせる源である。

そして、こういった権威と服従の関係には必ず報酬構造と密接に結びついていると書かれている。つまり、個人的に責任を負わず、命令だからと権威者に服従さえしておけば、報酬が得られて自分の懐が潤う。しかし、服従しなければ罰せられる可能性があり、さらにはめられてお金もなくなる、こういう報酬構造の中で、まるで囚人と看守の関係のように陥っていく。そこに必ずヒエラルキーも深く絡んでくる。

昨今の自分の息子を入学させてもらうかわりに補助金を出してあげる(これはその個人のお金ではなく税金だというのにまるで自分に裁量があることを勘違いする)、という官僚と大学との関係や、首相に取り入ったお友達として多額の値引きがあった森友問題、特別獣医学部を許可された加計問題とも通じるだろう。

多くの人達の心には何が正しく、何が間違いであるか、これはやってはいけない、という規範意識や良心がある。しかし、過去の失敗を認めたくない体制固持や、自己利益や保身にすぎないことを、いかにも全体の利益のごとく語る権威者がトップの組織において、その組織全体が人間性を見失った時、全く別の「新しい動物が出現する(p244)」ということが実験結果からわかったということだ。その動物は「権威による賞罰のみを気にする動物」だそうだ。これは、まさに日航123便事件を33年間も、その墜落原因をする人やその追及を放置させるよう仕向けてきた人たちに当てはまる。真実を追究している人に対しての嫌がらせもそうだ。

私の本をしっかりと読んで下さる読者の皆さんは、実に客観的で誠実な感想を寄せてくれる。当然のことながら、平常心を持つ普通の人達である。しかし、「権威者の賞罰のみを気にする動物」と化した人たちは、誤った読み方をして、都合の悪い部分をスルーして、どうでもいいことをあげつらう、お門違いな批判をする。逆にそれが不都合な事実だと自ら暴露していることを一般の人たちが気づいていないとでも思っているのだろうか。

 

なお、今年の8月12日の群馬県上野村での慰霊祭に際して次のような情報を頂いたので皆様にお伝えしておく。

昨年までの慰霊祭では、加害者席に日航が座り(真ん中の位置)、航空局はその端であった。しかし、今年は、日航関係者が隅のほうで端に移動して、逆に中程の位置に国土交通省の航空局が座った。例年、名前も日本航空取締役〇〇と、座席に書いてあったが、今年は日本航空の文字がなく、名前のみの記載と変わっていた。それに対して、例年10名参列の航空局の役人はなぜか4名増えて14名となり、名前も航空局のみだったのが、今年は航空局〇〇、と名前が入ったそうである。両者の責任関係に変化が出てきたのではないだろうか、との情報であった。何等かの変化が生じているのは事実であろう。しかしながら、33年間、一度も防衛省自衛隊関係者が出席していないのは、いかがなものだろう。全く責任がない、という意思表示なのだろうか。

さらにもう一つ事実をお伝えしておく。昨年、学友から、東大本郷キャンパスの図書館でも貴女の本は10人以上待ちですごい人気よ、とメールがきた。大変嬉しかったことを覚えている。しかし、今年に入り、急に貴女の本のタイトルを探しても出てこない、と言われた。これはいったいどうしたことかと図書館司書に聞いたところ、勝手に持って行った人がいたり、破損したり、何等かの作用があった場合、そういうことがありうる、とのことであった。破損や勝手にくすねていったのであれば、それは仕方がないのだが、万が一、どこかの役人が(自分の息子を大学に入れて補助金という公金を渡すという部署)が何等かの指示を出していたとすれば、大問題であろう。

誰が破損させて、持っていったのか、今調べてもらっている。

 

最後に、私たちは、この正常な社会を保つため、努力し続けなければならないことをお伝えしたい。私自身、この日航123便問題を取り上げたきっかけは、第一作を読んで頂ければ明確にわかる通り、学生たちの問答からであった。何のバイアスもかかっていない時、むしろ公表されたものを事実と信じていた時である。

その後、おかしいと気づいた時から、事実関係を明確にしなければ先輩も含め520人の命が報われない、との思いからスタートを切った。そこに研究者としての魂も入った結果、第三作目が完成した。

事実を積み上げてたことに対して、私たちは謙虚にならなければならないのだ。

自分の都合を優先し、たった数名のメンツや罪人をかばうために、520人の命をないがしろにした「権威による賞罰のみを気にする動物」の存在を許してはいけないのである。それに加担して、沈黙を続けている間は一生普通の人間としての幸福が保てない。

幸福とは、一人の人間としての安らぎを得られる環境を私たち自らが作っていくことで得られる心の有り様と考える。

自己愛と己の立場だけを優先される権力者は周りの無知を増長するにすぎず、隠ぺいでは幸せは得られない。