「日航123便あの日の記憶 天空の星たちへ」公式ブログ

1985年に起きた日航123便墜落事故を、当時日本航空スチュワーデスとして勤務していた著者・青山透子が、事故の真相を追い求めて綴ったノンフィクション

日航123便墜落の真実と真相を求める遺族からの手紙ー「陰謀」と烙印を押す迷惑な人々へ    青山透子

先日、ある遺族の方々から、心を込めて書かれた拙著への感想と感謝の分厚い手紙を受け取りました。私の本への感謝のみならず、32年間の深い悲しみ、ネット上でのほんの数人による愚かな人の言動に対する怒りの言葉がありました。その一部を、皆様にお伝えしたいと思います。

事故犠牲者として、ご自分の2人のお子様(当時中学生の男の子と小学生の女の子)の名前を書かれた方は、32年間の無念さと事故原因究明を胸に、全く動かない事故調や世論と戦ってきた日々だったとのことでした。

「墜落事故の真相と真実を求め続けている遺族にとって、青山氏の本は多くの勇気と希望を与えてくれました。貴重な目撃証言を集めて真摯に事故原因を究明する姿勢を持ち続けておられ、拝読して深く感動しました。その懸命な努力と執念に深く感謝します」

事故時の日航社員として、本当にありがたいお言葉でした。

 

そして、次のような方もいらっしゃいました。

「自分が気に入らない内容だからと言って、すぐ陰謀と烙印をおして、本の価値を下げようとする愚かな人間へ一言言いたい。それは僻みなのか、愉快犯か、こういう愚かな人は、この本を陰謀論として烙印を押し、ご本人の学歴がどうの、経歴がどうのと別の問題を上げ連ね、いかにも本の内容が嘘であるがごとく書く情報を垂れ流し、私たち遺族の心を踏みにじる人がいる。これは、遺族にとって怒り以外の何物でもない。

また、この本を推薦してくれるジャーナリストや有識者への誹謗中傷も私は絶対に許さない。悪質な場合、即、調査をして、誰が書いたか特定する。本当に情けないです。

そういう迷惑な人は、たぶん次元の低い人間か、学歴コンプレックスか、相手を誹謗することで優越感を持ちたいのだろうが、実は自分が自分を貶めていることを気付いたほうが良い。もしかすると、当時の関係者かその後輩たち(省庁など)かもしれない。いくら素性を隠しても無駄である」

 

「私ら遺族への事故原因説明会で、群馬県前橋で当時の検事正から、『事故調査報告書もあいまいだ、ボーイングも修理ミスをしていないと言い、修理者名も特定されず、他の航空機事故との比較においても、状況は異なり、全く123便の事故原因のようにはならない。本当にこの事故原因はわからない』と聞いた私にとって、長年原因を独自に追及してきました。そのような中、目撃証言や新事実を提示した青山透子氏の本でつじつまが合いました。

皆さん、青山氏の参考文献にもありますが、国会図書館に行って、8.12連絡会の群馬県前橋地検による説明会議事録をお読みください。なんだ、これは、こんなに不透明な事件なのだ、とすぐわかります。そして、無責任に陰謀論だからとレッテルを張る人が、いかにくだらない、愚かな人かすぐわかりますよ。

陰謀とは『密かにたくらむ悪い事』という意味だとすると、逆にそれを書いて相手を陥れようとする迷惑な人たちこそ陰謀論者と言えるでしょう」

 

こういう怒りの言葉があることを読者の皆様にしっかりとお伝えておきます。

最後に長年交流を深めているある大学の元学長からの手紙です。

「すでに9万部突破との記事で、日本国も捨てたもんじゃないと思いました。子供たちの目撃証言が良識ある大人たちの心を揺さぶったのです。貴女の炯眼に脱帽です」

大学のあるべき姿とは何か。哲学的社会観をしっかりと持ち、金もうけではなく、本来の学問を通じて、何を伝える場であるか。それをいつも語っておられた元学長の言葉に感慨無量でした。

私も実は無名のノンフィクション作家ということで、どこまで皆様に読んで頂けれるのか、不安でした。本当に皆様の良心に感謝申し上げます。

 

私はこういう言葉を励みに、さらに努力をしていきたいと思います。

また余談ですが、笑ってしまうようなことで相手を陥れようとする魂胆がある人がいると初めて知りました。念のため、経歴、受賞歴、学歴は全て出版社に学位記、賞状等を提示し、写真もお見せして全て確認済みです。どこかの誰かとは違います。どうしても確認をしたいのであれば、作家の個人情報保護のため、顧問弁護士によって証明させて頂きます。申し込みの際は、先にご自身の経歴、その背景を明らかにしていただき、確認後は、全てその無責任な言葉を書いたページに、謝罪文を載せて頂くことを条件にします。

いずれにしても、遺族の心を踏みにじり、亡くなった方への想いをないがしろにすることは、天空の星たちが許しません。

あの日の事実を追及することは、故意過失を問わず、平時の日本において、何がなされたかを明らかにして、罪人をのさばらせないことに繋がります。

さらに無責任な書き込みによって傷つく遺族が一人でもいる以上、それを指摘し、事実を捻じ曲げた人がいる以上、その人間の罪の重さを自覚させていかなければならないのです。たとえ、今後、この問題を封印させようとしても、その人間が犯した罪は一生消えません。永遠に消え去ることはないと肝に銘じてほしいと思います。

そして、二度とあのような悲劇が起きないようにするには、どうしたら良いか、私たちはいつまでも考え続けていかなければならないと思います。

 

 

マスコミュニケーションに携わる人たちの心根はどうあるべきか  青山透子

今回は、マスコミ関連の人達の心根の問題について語りたいと思います。

 

まず、おかげ様で、新刊本は只今16刷中で、更に予約が殺到している状況です。これは私が皆様に投げかけた言葉の一つ一つに、世相を反映させながら、当時を知る人たちの怒り、その後生まれた世代による事実に対する驚き、そして亡くなった人を想う人々がいかに多いか、ということの現れだと思っています。

当時、日航の社員バッチを外し、言動にくれぐれも注意するよう会社から勧告された記憶があります。それは、日本人のみならず外国の方も含め、亡くなった乗客一人の人生で関わってきた人々は多数おり、日本国の人口の約四分の一は、学校関係、職場関係、地域関係、医療関係等、何等かの形であの事故に関わる人々であるから、気を付けるようにとのことでした。乗客には会社の重役や社長など出張の方も多く、オーナー企業では社長が亡くなり、会社が立ち行かなくなったところもあると聞きました。

こういう一般人にとっては、真実を明らかにすることが供養である、事故原因の不透明な部分は検証し直す、と当たり前に思えますし、それらの気持ちを汲み取り、細やかに調査して報道するのがマスコミュニケーションに携わる人の使命であり、プロとして当然だと思います。

しかしながら、報道関係者の中で、特にデスクや偉い地位にある人のほうが、見えない何かへの恐れか、自分の損得か、歪んだ忖度かはわかりませんが、報道の精神を忘却の彼方に置き去り、保身が先に立ってしまう、という情けない事態となっているような感じをうけます。

事実、ついこの間もマスコミ関連で前代未聞の出来事があり、私の本の紹介の際、デスクに上がった途端、上司によって、編集者がOKを出した紹介文を改変させられるということがありました。なお、これは批判しているのではありませんので誤解しないようにお願いします。私が言いたいことは、そのデスクの心根とは何なのか、という点に今の日本が抱えるマスコミの深い問題があると思います。

もしかすると、ごく普通の人々が当たり前に言えることすら、批判を恐れて言えないという勝手な自主規制があるのではないでしょうか。

番組制作や記事の編集者は下請けゆえ、本社の人間が責任だけ押し付けられたくない、とか、昔なら当然であったことがいちいち不安になって、何も出来ない上司が増えている、とか、諸々あると思います。

私のところに話をしに来た人たちや遺族の方々は、そういうマスコミに絶望していらしたのです。それを肝に銘じてほしいと心から願います。

この事件に関する毎年の報道といえば、恒例行事のような灯篭流しの映像、風化させないという内容です。また、既存の事故調査報告書は、裁判をしたとしても単なる一方の報告書に過ぎないにもかかわらず、まるでお上からのお達しのごとく、絶対視して、疑いもせず、検証もしない……。

この程度の人達であれば、いわゆる政治屋も官僚も舐めてくるでしょう。逆に彼らと癒着するほうが得と言えますね。

実際にあの日、墜落現場の上野村では必死に遺体収容を行い、医師たちは寝ずに検死を行いました。その時、隣町の軽井沢にて、官邸付きの報道関係者に囲まれて、お食事会やらゴルフ(多少は自粛したそうですが)、別荘ライフを楽しんだ中曽根氏ですが、彼を囲んでいた報道関係者の心根は、一体何だったのでしょうか。この人たちは今、520名の失われた命に対して、どういう思いで生きているのでしょうか。果たすべき役割を忘れていたのではないでしょうか。

報道関係者にとって、無難な内容であたりさわりのない番組や記事は、簡単です。批判されることもありません。しかし、それに何の価値があるのでしょうか。

 

最後にその昔、仕事上でお会いした報道機関のトップから聞いた話を書いておきます。

「その昔は、みな正社員だったこともあるが、責任者はドンと構えて、自分の軸を持ち、たとえ部下が驚きのスクープや批判覚悟の凄い企画を持ってきても、自分自身は決して動揺せず、ある時は会議で寝たふり(部下が話やすく、稟議が通りやすいように)して、部下が渾身の力をこめた作品を世に送り出すともいえる番組を作る気概があった。だけど、今は残念ながら、寝たふりする上司も、ドンとやれという人も減り、つまらない、どうでもいい報道が垂れ流されている、マスコミ全体が政府等の下請け状態か?視聴率低下や雑誌、書籍、新聞などの販売数下落はその業界人の自業自得の結果といえよう」

私たちの心根はどうあるべきか、皆さんと共に、考えていきたいと思います。

 

 

 

東大の学友からの手紙 青山透子

先日、評論家の佐高信氏にお会いしました。拙著をお読み下さり、色々と詳細にお話をさせて頂きました。佐高氏は当時の防衛庁長官加藤紘一氏の選挙区、山形県酒田市の出身で、加藤氏とも交流があったということでお話が弾みました。早速日刊ゲンダイに書いてくださいました。本当に有難うございます。

www.nikkan-gendai.com

 

佐高氏は慶応出身ですので、私の曾祖父と同じです。前著の謝辞にも書いたのですが、その昔、曾祖父は、福澤諭吉先生からじかに教わった門下生で、義塾では英語を教えていました。社中名簿を慶応義塾福澤研究センタ―から送って頂き、確認をしたとき、なんだか胸が熱くなってしまいました。自分が今ここにあるのは、何等かの使命をもって受け継がれているのだなあと思っています。

さて、東大の学友から、激励のメールが来ましたのでここに一部を書かせて頂きます。

 

『ちまたでは、根拠のないデマを流して、相手を貶めようとする愚かな人間がわずかでもいることは大変残念です。本が売れると妬みも多いことでしょう。どうしても自分の悪事を隠ぺいしたい人間たちは、あらさがしに必死でしょうね?デマを書いた人を特定して、友達の弁護士に頼んで名誉棄損で訴えてやればいいよ。ほんの一部の人だけど、ハエみたいでうるさいよね。

でも貴女がこの本の著者とは!驚いたよ。ちょっとした論文みたいで、学友としてもとっても嬉しいなあ~。共に社会人入学生として、若手に負けず劣らず、議論して、論文を発表して、研究調査地へ出向いて、現地で講演もして、私たち、本気で研究したね。本当によく頑張りました。留学生たちとの飲み会、楽しかったね。みんな、博士号を取得して、南アフリカミャンマー、ネパール、ベトナム、イギリス、アメリカと世界中に散っていきました。いつかまた会って議論したいなあ。東大での学生生活は実に面白かった。きっと彼らも母国と日本との懸け橋となって活躍していることでしょう。博士論文審査会では厳しい教授たちの一言でかなりまいったけど、でもそれをばねにして、地域の為に少しは役立つ論文を書いたと思う。私は学友として貴女を誇りに思っています。貴女の研究テーマとこの本は全く別物で一般人には想像はつかないだろうけど、根っこの部分は共通しているかもね。応援しています!』

 

いくつになっても、学ぶ心を持った人間は本当に若くて、初々しいと思っています。私は社会人となってから東京大学大学院に入ったのですが、自分の子供たちと同じぐらいの学生たちと共に語る日々は本当に充実していました。今度の東京大学校友会同窓会で皆さんにお会いすることを楽しみにしております。

 

 

ある元自衛官からの手紙 青山透子

 元自衛官で飛行機乗りの方からの手紙をご紹介します。いくつになられても、大空に対して少年のような憧れと畏怖の念を持ち、心から尊敬する方です。今頃は、ハワイの島々の上空を飛行中ではないかと思います。

 まずその前に、今回、弁護士の方々や元B747機長、古くはハチロクの教官だった方(航空ファンはわかりますね)、F-104Jテストパイロット経験者、東亜国内航空時代のキャプテンなど実に多くのパイロットの皆様にお世話になりました。私の身内にもパイロット免許取得者がいて、様々な角度から事故調査報告書を読み込み、そしてこれがいかにいい加減な記述が多いかを議論しました。この点について、米国の専門家に英訳を持参して報告書を検証してもらった遺族の故川北宇夫氏は、矛盾点と記述の誤りを指摘し続けていました。

 事故調の報告書内容については今回はあくまでも「目撃証言から真相に迫る」というテーマだったために触れていませんのでご了解ください。

さて、手紙の一部をぜひ皆さんに伝えてくれ、という事なので、書かせて頂きます。

 

「青山さんの読者諸君、ちまたに感想を装った批判で、情報工作を行っている情けないやからがいるので、その見破り方をお教えする。まず、そいつが自衛隊員だった場合『国民の多くは~』とか、やたら国民という言葉を使いたがる。次に、必ず、不都合な部分、例えば、炭化した遺体、火炎放射器など武器記述には一切触れず、相手を貶める言葉にすり替え、従来の陰謀説にすぎない、元CAにわかるはずなし、お金儲けに利用等に言葉を変えて、本筋をずらす。全くなさけないやつらだ。それに同意するやつも殺人に加担した関係者だろうと容易に推定出来る。いいか、皆さん、何があったとしても520名の命を大切にしなかった人間がいる、ということを忘れずに。当事者の無念を忘れずに、いつまでも怒りを持ち続けよう。それがそいつらの罪を認識させる最大の方法である」

 

力強いお言葉、本当に有難うございました。

 

 

ある読者の方からの感想 青山透子

まだ書店に並んでから一か月しか経っていませんが、重版が続いております。正直申し上げて、これだけ多くの皆様に読んでいただけるとは思ってもいませんでしたが、恐らく皆様にとっても印象深い事件だったのだと思います。多くの方の持つ当たり前の疑問を一つずつ解明しながら、その向こう側に見える真実を追究していきたいと思います。なお、読者の方から大変嬉しいコメントがありましたので、皆様に紹介させて頂きたく、下記にその一部を掲載します。ご自身の働いていらっしゃる職場で私の本を紹介して下さっているとのことでした。

 

『自分たちが生きてきた証を残す ・自分より後の世代に『世の中の仕組み』を知ることの大事さを伝える ・付け足し付け足しで、しんどくならぬよう、引き算で『身軽に』してフットワークを軽く、いろんなことを経験しよう この取組のバイブルに『天空の星たちへ』を使わせていただいています。 今回の『新事実』も、テキストとしても大変にいい教材ですし、取り組み方は様々ですが、こういうことで123便の出来事を伝えていくのも『あり』なのかな、と思っています。 特に、『天空~』の前半は、書下ろしの随筆風で、大変読みやすく、とっつきもいいと評判です。 中盤、終盤は、やはり、事件の重大さと『何が真実やねん!?』に話題が集中します。 このタイミングで、新事実が発売され、重版決定と、予想通りの反響ですね。 私たちは、この程度のことしかできていませんが、天空の星になったクルーの方々が『生きた証』が、青山様の活動そのもので、本当に頭が下がる思いです。 今は数名での活動ですが、世の中の仕組みと、生きた証を残す、は、ライフワークとして続けていきたいと思っています。』

 

このように拙著を活用して下さる方がいらっしゃるというだけで、私の励みになります。本当にうれしいです。

それから次の様なコメントをネットに載せて下さっている方がいらっしゃるとのことで大変嬉しく思いました。

 

『非常に聡明な方で、わかりやすく、しかし切迫感と使命感を持って書かれた文章に魂を揺さぶられる思いがした。』

 

また、森永卓郎氏が、8月21日放送、文化放送のラジオ番組「大竹まことゴールデンラジオ」の中で新刊本の話をしてくださいました。特に、森永氏はニュースコメンテーターとして、日航123便の残骸が相模湾に沈んでいるのを発見した、というニュースがその後どうなったのか、ずっと疑問だったとのことです。拙著をお読み下さり、その内容を絶賛してくださいました。動画サイトに録音が出ていますので、皆様も聞いてください。

森永卓郎:日航123便の墜落事故と米軍救援ヘリの謎に関する新事実 - YouTube

 

なお、8月22日付日刊ゲンダイのコラムでジャーナリストの斎藤貴男氏が拙著を紹介してくださいました。ポイントを押さえて的確に書いて頂きまして、本当に有難うございます。下記(電子版アドレス)

www.nikkan-gendai.com

また、植草一秀氏がご自身のブログにて、拙著を紹介してくださいました。本当に有難うございました。

日航ジャンボ機墜落真相を闇に葬る大きな力: 植草一秀の『知られざる真実』

 

 

日航123便 ある遺族の方からの手紙 青山透子

多くの皆様からの感想や励まし、お心遣い溢れるレター、読後感を表して、直筆の美しい薔薇の絵をかいて送って下さった元全日空B747機長、元航空自衛官ファントムの教官、有識者の方からの激励等々、本当に有難うございます。皆様の温かいお心に深く感謝申し上げます。その中でも目を引いたお手紙の一部を紹介させて頂きます。

大阪在住の遺族の方からです。「(略)一気に読ませて頂きました。これからも私ら遺族は益々行動を起こさなければならないと・・・思いました。遺族としてしなければならないです。再調査を願う事です。ぜひ協力してくださいませ。33回忌だからこそ関係者には本当のことを語ってもらいたいと願うばかりです。貴女だからこそ書いて下さったことに深く感謝いたします。本当に有難うございました」

また、引退されたパイロットの方からのお手紙も一部紹介します。

「(略)私はB747機のテストパイロットをやっていました。隔壁修理ミスについての報道に『それはおかしい』と私が思ったのを覚えています。飛行中に隔壁破壊はどう考えてもNOと思います。墜落時の衝撃で亀裂が入ったのが自然です。あの時、事故翌日の13日に素早くボーイング社社員や調査委員を米国は日本に送り、世界中に飛行しているジャンボ機の型式とは関係なく機体番号JA8119機だけの問題として発表しました。その時から私は『これはおかしいぞ』と思い始めたのを覚えています。青山様の本で『新』事実で目が点になったのでした(略)」

日本ペンクラブに所属するある作家からの手紙です。

「献本された本を一気に読みました。この墜落原因については、ファイアービーにやられたとか憶測と思い込みが多い幼稚な文の、既に発行されている本とは明らかに違い、貴方様独自の視点での文献調査と現地でのインタビューの積み重ねは非常に価値がありました。正直言って、毎年の精霊流しのニュースとしか、認識が私にはなかったが、論理的明確な文体、流れの良い文章これは大変評価に値します」

そのほか、沢山のファンレターも大変ありがたく思っております。また、8119や123という数字と巡り合ったことで、偶然私の本に出合えた、という方もいました。

それから、水島朝穂教授の公式サイトに出ている最後のJA8119号機の写真もよく見て下さい。あの飛行機が撮影されたのは羽田空港で、123便として大阪へ行くために滑走路に出た瞬間に撮影されました。あの窓の向こう側に亡くなった方々が乗っていました。2階席に非常用出口が見えると思いますが、2階席は坂本九さんが乗っていました。あの日はほぼ満席なので、下の階に空いた座席はなく移動することは出来ません。いまから不時着する、という場合とも異なり、突発的緊急時は乗客が下に移動中急降下もあるため、それも出来ません。私たちはインストラクション通りではなく、臨機応変に対応しなければならないのです。あの日、恐らく木原APは、あの高い2階非常用口からの脱出を考えていました。

皆様からのメッセージを励みにしてあの日を忘れず、伝え続けてきてよかった、継続して調査をしてきたことで見えてきた新事実をこれからも探し続けていきたいと思います。

皆様と共に、そして天空の520名と共に 青山透子

 

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ANA機、機内気圧低下による緊急着陸とあの日を考える 青山透子

33回忌の昨日12日、18時発の全日空37便(羽田空港から大阪伊丹空港行き)が、離陸して20分後位に機内の気圧が急激に低下したとして、羽田に引き返し19時前に緊急着陸をしました。ちょうど相模湾上空で引き返した、ということになります。CAのアナウンスの声が震えていたそうですが、おそらく日航機事故を思い出したのかもしれません。

32年前、同じように18時羽田空港発の日航123便は機内与圧低下によって垂直尾翼が吹き飛んだという理由で、結果的に、御巣鷹の尾根に墜落しました。

同日同時刻、同じルート。そして与圧系統の故障で機内の気圧低下という理由。これは単なる偶然なのでしょうか。

もし、見えない力というものがあるとするならば、私はこれは天空の星たちのメッセージが込められているのではないだろうか、そして与圧低下の状況を客観的に教えてくれたような気がします。

これは「魂の叫びではないだろか」と言ってくれた恩師の教授もいます。私も「風化させてはならない、あの日を忘れないでほしい」そういう520名のメッセージだったのだと確信します。

 

私は昨日、成田山にて33回忌として、新刊本を天空の皆様に捧げるために供養を行いました。お寺の上を成田発の飛行機が多数飛び立っていました。

実は、出版の際にもいろいろなことがありまして、そのうちのいくつかを読者の皆様にお伝えしたいと思います。これは全て本当の話です。

深夜午前2時頃、寝ずに執筆していた時です。どうしても対馬先輩の資料でほしいもの(紙1枚)が見つからず、膨大な資料に埋もれて1枚ずつ探していた時、疲れから意識がもうろうとして、思わず転んだのですが、そのはずみで積み上げてあった新聞や資料が雪崩のように崩れ、突然探していたその資料が、目の前にひらりと落ちてきました。あ!これだ、と本当に驚きました。実はこの経験は執筆中、何回かありました。

次に、前著にあるように「沈まぬ太陽(映画、若松節朗監督)」のエキストラで、群馬県高崎市民体育館に行った時の事です。撮影の際、お昼休み中に、監修で来ていた大國勉先生(群馬県警察歯科医師)の休憩部屋に行ってお話してみようと、部屋をのぞくと誰もいませんでした。まだ大國先生にお会いしていなかった時なので、顔がわかりません。どこかにいるのかなあ、と思っていました。

さて、撮影に入る前、私たちエキストラのいる風景をちょっと高い所から見下ろしている年配の看護婦さん(古いナースキャップをかぶり、日赤のようなスタイル)と一緒に、年配の医師(白衣姿で少し汚れがついている)が目に入りました。二人は顔を見合わせて「このセット、良く出来ているわねえ。すごいわねえ。あの日と同じですね」と話をしている声が私の耳に聞こえてきました。ああ、もしかしてこの人が大國先生なのか、と思っていたところ、すぐにセットに入る合図が出たので、話しかけられませんでした。その後いくら探しても見つからなかったのです。

後日、大國先生にインタビューを正式に申し込んでお会いしたのですが「あれ?あの時私が見た医師とお顔が違う?」と思いまして、私の見た医師はもしかするとエキストラ役の人?と思っていました。

その後、若松節朗監督にもお会いする機会があり、確認したところエキストラはお年寄りの人はいなかった、ということでした。

そして執筆中、私が新聞記事をチェックして目に入った記事とその写真に写っていたのが、あの時見たご年配の医師の顔でした。その記事は、群馬県の医師たちが遺体状況の確認が困難で、寝ずに活動をしている、という内容でした。この写真を大國先生にお見せして、その年配の医師のお名前を聞いたところ、なんと、事故直後、疲労困憊の為に亡くなったとのこと。

ええ?それでは2009年に私が見たあの医師の人は?そして看護婦さんは?

ここからは、皆さんのご想像にお任せします。

そのほかにも、担当編集者が夜中、出版社の部屋に一人残って作業をしていたら、最後の追い込みの校正中に、突然開くはずのない非常用ドアがバタンと大きな音を立てて開き、目が覚めた、とか……いろいろありました。

きっと、あの世から応援してくれていたのだと思います。

なお、早稲田大学法学学術院教授の水島朝穂氏がご自身のHPで拙著を紹介してくださいました。

また、西日本新聞のコラム春秋にて、拙著を取り上げてくださいました。

心からお礼申し上げます。

水島朝穂HP

直言(2017年8月7日)日航123便墜落事件から32年――隠蔽の闇へ

 

西日本新聞HP

「8・12」が来ると思い出す… - 西日本新聞